消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

娘の悔し泣き

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4歳の娘は、
この年齢の子供らはみんなそうなのだろう、
脈絡なく急に不機嫌になったり泣き出したりする。
脈絡あったりするケースもあるが、その脈絡は大人に納得できるものではなかったりする。
特に、タイミングなんかがそうで、
昨日の話や出来事なんかを急に思い出したのか怒り出したりするのは困ったもんだ。


子供は、表現できること、伝える手段が非常に限られてるので、彼らも大変歯痒いのだろう。
一生懸命伝えようとしてくる姿は愛らしくも…
「…わからん」と悩ましい。


だがしかし、
先日、娘が怒り出したのは、
思いの外分かりやすく、
反省させられる内容であった。

 


うららかな休日のお昼前。
オヤツを貰って本来であればご機嫌であるはずの娘が、台所仕事をしている妻のところへにじりよって、
悔し泣きに泣き出した。
堪えようとしても涙が出てくる、という感じで嗚咽を漏らしている。
一体全体何事か、と妻が娘に聞く。
私は、「どうせ別のオヤツが食べたい」とか言い出すのだろう、とタカをくくる。

 


娘が鳴き声と涙を一生懸命堪えながら説明を始める。
「お母さんには、何でも、買ってあげるのに、
みちるは、欲しいものあるのに、
お誕生日はまだまだだし、
でも、みちるも、欲しいものがあったのに…」


毎日のように、プリキュアの変身オモチャや、
キラキラきらびやかな雑誌の付録を欲しがる娘。
世間は本当に女の子をときめかせるものに溢れてる。
(もちろん男の子も…)
各メーカーは、親たちの財布事情に本当に無頓着である、なぜか、
普通に考えれば、1クールで新キャラを出して異なる変身グッズなど、とても買い与えられるものではないと分かってくれないのだろうか…。


4歳にはまだ早いかも、と思いつつも、
あまりに何でも欲しがるので、娘にはお小遣いをあげ始めてみた。
お菓子や洋服はもちろん親が買ってあげるが、
ガチャガチャについてはなるたけお小遣いをやり繰りするよう促してみている。


とにかく子供はガチャガチャが好きである。
駄菓子屋のガチャガチャの前には毎日子供達が群がり、
ファミレスはお子様ランチにガチャガチャ用コインをつけてくる。


しかしガチャガチャのプライズは、娘にとっては「本物」ではないらしい。
プリキュア変身グッズに対して「持ってるじゃん」と指摘すると、
「あれはオモチャでしょ!本物じゃ無いでしょ!」
と返答する。


そして、彼女曰く「本物」を手に入れる日を夢見て、誕生日の日を心待ちに数え、
(あと200日、とかいう凄い数字なのに)
月が変わると「あー嬉しい!」と騒ぐ。
誕生日が近づいてることを実感できるかららしい。


…しかしそんなに与えてないわけではなく、
むしろめちゃめちゃ買いまくってるのだが…


娘は、お小遣い渡すようにしたところ、
ガチャガチャをしなくなった。
毎週お小遣いを貰うたびに玩具屋に行きたがり、
イトーヨーカドーのおもちゃフロアで
「これは買える?」
「これは買える?」
と次々聞いて回るが、たくさんお小遣いを貯めないと手が出ない絶望感に顔を歪めてる。
千円まで貯めないとろくなものが買えない。


すると、娘はどうやら、お小遣いを貯めることにしたようである。
お小遣いでガチャガチャをするのかと思ったら、しない。
百円ショップで買うのかと思ったら、買わない。
「お父さんのお金で買って!!」
と言うようになった。
…なかなか小賢しい。


これが、「欲しいもののためにお小遣いを貯める」という、
我慢と忍耐と計算能力、という良い成長に繋がった、と一瞬思っていた。


ところが、違った。
違ったのである。
我慢して楽しみを醸成していたのでは無いのである。
不満を溜め込んでいたのである。
「お小遣いを貰えてる」ではなく、
「買ってくれない(だから貯めてる)」だったのである。

 


私は、妻に対しては気前のいい夫たろうとして、
口癖のように
「何でも買ってやる」「いくらでも買ってやる」
と言っていた。
娘のいる場であっても、
妻があれがいるこれが欲しいと言えば、
内容なんか聞かずに「買ってやる」と言っていた。
大半は生活用品だったり湿布などの医療用品だったりするのだが、
娘にはそんな違いなぞ分かるわけがない。


かくして、
「ママには何でも買ってあげてる」
「あたしは欲しいと言っても買ってくれない」
「あたしは買いたくても全然買えない」
お小遣いが少なすぎる、という要点にまで思いが至ってるかは不明であるが、
毎週150円をいくら貯めても、千円のおもちゃにまで届かず、不満ばかりが溜まり、
それが、悔し涙に至ったのである。


そんな事とは梅雨知らぬ私は、
この日、いつものように妻には「何でも買ってやる」といい、
娘にはわずかなお小遣いを渡していたのである。
娘は嬉しそうに、財布に貯めた小銭を数えていたわけであるが、
この不公平に不満を爆発させ、
台所の妻を前にして悔し涙を流し始めた、と言うわけなのである。


この複雑な心情をちゃんと伝えてくれた娘に感謝したいが、
如何に私が子供に対して無神経であったかが、よくわかった。


「どうせ何のことか分からないだろう」とか、
「必要なものだけを買ってるのだから分かるだろう」とか、
「言うだけ言うけど買ってないのも分かるだろう」とか、
「娘にもお菓子や服や、全然ガンガン買ってるだろう」とか、


そんな様々なインアウト、
分かるだろ、分からないだろ、
の勝手な期待値を娘に持っていた…
いや、むしろ、娘のことなんて全然見ておらず、
ただ、妻との話は妻と、
娘との話は娘との、と、
勝手に切り分けた物語、異なるチャンネルのように解釈してしまっていたのだ。


考えてみれば、随分都合の良い話である(大人として)。


そして、大きく反省した。
同じ土俵、
同じ番組の中で、娘と、妻と、家族でいることを、
私も親としてちゃんと理解し、腹落ちし、ストーリーを語らなくてはならないのだ。


娘に、たった4歳の幼い頭と感情に、我慢と嫉妬を押し付けていたことに大きく反省し、
そして4歳だから「分かる事と分からないことがある」ことを、ようよう気をつけるようにし、
家族の物語を構成していかねばなるまい。


家族物語の、表舞台と裏側、だ。
在宅勤務のせいで、本来は裏側でしか話さない事を、表のセリフに混ぜてしまっていたということだ。


娘よ。
幼い君を無視してすまなかった。
これからは、お母さんにも、厳しく経済DVしていくからな!!
(それは違う)