消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ドラゴンクエスト3 HD-2D リメイク

・購入:20241214

・クリア:20250209

・クリアまでのプレイ時間:63時間

 

本日(2024/2/9)クリアした。

63時間、勇者のレベル53。

多分…結構遅い方、であろう。

ふらりと見かけたブログでは、

「定年後の楽しみとしていたドラクエ3 を3日でクリアしてしまい…」

という記述があった。

インパクトを強くしようとしただけの記述かもしれないが、

3日って…1日何時間プレイしたんだよ…その定年おじさん…。

 

自分自身、63時間、寝落ちも含めてではあるものの、

これだけプレイして「詰まらなかった」とは言えない、もちろん。

もちろん面白かった、面白かったのである。

ただ、どうしても不満のほうが言いやすいゲームであった。

不満を…言うことも一つの楽しみというか…それが老害っぽさであるけれど、

旧バージョンを知ってるからこそ「ここがさぁー」と突っ込むことで、

自分の思い出を補完するような、肯定するような気分になれるところがある。

…そうか、これが老害か…。

 

同時購入し、並行してプレイしていたゼルダの最新作、

「ゼルダの伝説知恵のかりもの」の方を手放しで絶賛してしまう側面があり、

そちらとの対比が私が勝手にしてしまった、とそういう個人的事情は、ある。

最新ゲームと、1988年発売が36年経てリメイクされた作品を比べるのは

そもそも土俵が違うのだから、と思いつつも、ゼルダは…ゼルダは面白かったぞ!!

プレイフィール、UI がめちゃくちゃ良くできてたぞ!!

ドラクエ…そこんとこ、どうなのよ??

でもしかし、プレイ時間はドラクエ3 の方が長いのであった。

 

 

■総論

素直にドラクエ3 リメイクをプレイした感想としては、

・とても親切に…ぬるい難易度になった

・画質キレイだけれど、それはそんなに求められるものでもなかったかもな(自分的に)

・転職がとにかく楽しい

・音楽が壮大にオーケストレーションされすぎて、感動的だけれど、昔々のピコピコ音源も欲しかった

・物語を進めるための「依頼」にイラッときた

 

という、あまりポジティブじゃないものがポロポロ、出てきた。

(63時間もやり込んだくせに文句言うなんて…ほんとに老害っぽい)

ただ、これはむしろ「細かい文句が出るほうがそのゲームにはまっている」という証左でもある。

文句言いながらもひたすらやり続けたのはハマってる証拠。

一つには、妻に先を越されたら追いつきたい、と思った点。

珍しいことに、妻も興味を持ってプレイする、と言ってきたので互いの空き時間で交代プレイしたのだ。

なので、再起動する手間を省くために、私のセーブデータは妻のアカウントにある(冒険の書を分けた)。

一つには、…ゼルダをクリアするのが勿体なくて(進めるのが惜しくて)、ドラクエの方をプレイした点。

 

そういう、ちょっと前向きではない理由でプレイし続けた面もあるものの、

それでもやっぱり、転職を繰り返して強くなる感触が楽しくて楽しくて、

次はどの職業にしよう…この職業はレベルいくつまであげて…性格はこれにして…

と育成に振り切った楽しみ方に生まれ変わったドラクエを、堪能したといえる。

 

それぞれの要素をピックアップして感想を綴っていく。

 

 

 

■とても親切に…ぬるい難易度になった

これは発売後、各所で指摘されていたことである。

敵の強さ、勇者側の強さ、という、戦闘の難易度面もあるが、

後述する、MP リソース管理が不要になった点が、まず第一によく指摘されていた点。

これははっきりと、ゲーム性が変わったな、と感じた。

それが悪いかというとそうではなく、楽しみ方の軸が変わったと感じた(後述)。

 

もう一点は、

これはもう、しょうがないのだろうけれど、

「ヒントの出し方」である。

マップ上には次に進むべき、イベント発生ポイントがマークされ、

そもそもマップが簡単に見ることができる時点で、FC版からは信じられないほどのイージー化である。

 

そして、物語的な補足説明、次の目的地へ促す補足説明の多さ。

…そりゃ確かに、何の説明もなしにオーブ集めを開始するのは意味不明に感じるかもしれないし、

急に手に入った自由=船で途方にくれる前に「とりあえずここ行けば」と示す必要もあるのだろう。

私の場合、FC版の虹の橋が全くわからず詰んだ記憶があるのだが、

それについても実に丁寧に、司祭が(なんで司祭が?)、

「さあ! あの場所でこれを使うんだ!」

と教えてくれて。

…そこまで分かってるなら何してたのお前、と、補足説明に腹立つ場面も何度かあった。

 

特に6つのオーブを世界中で集める段階で、

ご丁寧に調査すべき場所を(6箇所だけじゃないけれど)、

地図上にマークアップしてくれて、

「その情報はどこから手に入れたのよ?? ルビスの使者か??」

と突っ込みたくなるほど明確に示してくれる。

こういうの、世界をなんとなく旅しててたどり着くのがドラクエ3 の醍醐味だったんじゃないかなぁ、と思ったのだけれど、

妻のプレイを見てたら、

「マークされたところ全部行ったのに、ストーリーが進まない!」

と怒っていたので、

なるほど…丁寧に示す必要があるんだな(示してても怒られるくらいなんだから)と

理解した次第である。

 

様々な「難易度低下=ユーザへの説明追加」の面については、

だいぶ、ヘンテコリンで嫌だな、と思う側面が上述の通り多くあったが、

それは、原作を知っているからこそのツッコミどころとして、むしろ楽しめた。

 

初体験の妻に、オーブ集めの説明、どう思った? と聞いたら、

「別に。次の目的が出たな、くらい」と言ってた。

指示されることになれたJRPG プレイヤーらしい理解である。

 

 

 

■美麗なビジュアルに旧作を思い出す

非常に書き込まれたビジュアルの世界の中を、

頭身のだいぶあがった主人公たちキャラクターが闊歩する。

HD-2D 技術とスクエアが謳うアートワークは、見た目は素晴らしい。

 

しかしプレイフィールとしてどうだったのかというと、

美麗故にマップ、建物が大きくなって広すぎて疲れる感覚、

書き込まれたグラフィックの中で、通れそう、通れない、がとても分かりにくい、

特にアイテムの隠れ場所が分かりにくい(壁にかかった袋、はさすがにちょっと老眼にきつい)。

主人公たちキャラたちの動き(見た目)が上下左右の4方向で若干違和感がある(すぐに慣れたが)、

などなど。

あまりプラスに感じられなかった。

個人的には、DQ8 やDQ11 の路線のほうが見たかった気がする。

もちろん、3D ビジュアルで建物やダンジョンをぐるぐる回すような(DQ4、DQ5 のような)リメイクを期待したわけではく、ただビジュアル的にはあっちの方が向いてたんじゃないかなぁ、と感じた。

 

そして、細かくも明確に不満と感じる、わざわざこっているところがあった。

それは「開いた扉をちゃんと表現している」点。

ここ、こだわる必要あったのか…?

扉をあけると、扉のドア板がちゃんと存在していて、それに引っかかるというこだわりようである。

それが細部まで拘るHD-2Dのリアル…ということなのかもしれないけれど、

部屋の出入りに際して、そのちょっとした障害物となるドア板に引っかかり、

少し上下にずれてくぐり直すたびに「いるのか、このちょっとした引っ掛かり」と何度も苛ついた。

FC版、開けたら消えてしまうドア板について、堀井雄二は不満だったんだろうか…?

(そんなリアルさいらないんだけれど、と思った事例)。

 

 

その一方で「リアルじゃなさの苛立ち」もあった。

生け垣、草花、「いやそこは登れるだろう」という、小規模な障害物の存在である。

旧来からドラクエは、街の中にも探索要素があり、

少し回り道したり工夫しないといけない場所や建物があって、

そういうのに気がつくのが楽しかったりするのだけれども、

その楽しさは…ある程度健在なのだが、

美しいビジュアルの中では「なんでいけないの?」と首をひねりたくなる生け垣、草花程度の障害物で、

マップを見てなんとなく把握して大回りルートを取る、ということも何度かあった。

マップは俯瞰視点で障害物もマップ上はわかりやすく書かれている。

そのマップの見た目こそ、旧来のドラクエの操作画面であったんだなぁと思い出す。

旧作、FC 版は容量の関係もあって、抽象的な表現で

「マップの中を動く自分」というゲームゲームした画面に落とし込まれていたわけだ。

HD-2Dでリメイクされて、美しいビジュアルの…そのビジュアル性だけを重視したプレイフィールに、

「芸術的だけれど(移動は)楽しくない」という、痛烈な違和感を感じるのだった。

俺達は、記号的な世界を楽しんでたんじゃなかったっけ??

 

 

美しい街並み、風景を見ながら、

特にことさら思い出したのがFC版のエンディング、であった。

 

当初、

HD-2Dリメイクのあまりにも壮大で華麗な装飾と、巨大な建築を誇る各町並み(特に城)を見ていると、

「え、こんなに物凄い建築技術と文明をもった世界だったの?」

と、記号的なファミコン世界からの文化的・文明的飛躍に面食らってた。

こんだけの組織力と技術があるなら、個人である勇者やオルテガに託さなくても、国家で魔王対策できるんじゃね、という国力を物凄い感じた。

それはそもそもの物語性へのツッコミであるものの…。

各都市の建築物の巨大さ、壮麗さ、完成度はともかくとして、

各都市、お城の「その国感」が、しっかり世界旅行を感じさせるビジュアルに生まれ変わっていた。

 

多分…これが堀井雄二が描きたかった世界観なんだ。

 

 

FC版のエンディングで強く覚えているのは、

非常に苦労してたどり着いた、強敵を打倒して見ることが叶ったエンディングは、

なぜだか代わり映えしない、城の外観を次々と見せられる、というものだった。

FC版の容量の制限があったことからだろうが、

FC版ドラクエ3 の、世界各地の城は、全て同じグラフィック、アイコンであった。

それこそ、たしかドラクエ1 から変わりない灰色のグラフィック。

(違うかな、ドラクエ1の「城」「村」の見た目からは、随分立派になってて驚いたんだったかな)

この、アリアハン、ロマリア、地下に落ちてのラダトームまで、

皆同じ見た目の城のアイコンがために、同じ文化圏の世界を旅している、という印象が、

当時はあった気がする。

 

それが、FC版でも、

ピラミッド攻略に向かったあたりか、

少なくとも、ジパングに到着したあたりで、

「あれ? これもしかして、現実世界の世界地図になってるんじゃね?」

と気づかされる。

ジパングは、その形そのものが明らかに日本地図に酷似していて、

それで、もしかしてドラクエ3 の世界は、現実世界を模しているんじゃないかと気が付き、

あぁそうか、「ロマリア」はローマで「ポルトガ」はポルトガルかと気づくのである。

 

そうしてエンディングにたどり着いたとき、

延々と、同じ城のグラフィックを、周辺の地形でようやくなんとか

「ここかな?」「あそこかな?」と思い出しながら眺めていると、

長かった冒険が思い出され、その冒険が世界旅行であったことに気が付かされるのである。

 

すぎやまこういちの印象的で壮大なエンディングテーマにのせて、

(ラーミア感の強いエンディングテーマにのせて)

この川と森に囲まれたのはあそこだったかなぁ、とか、

ジパングはさすがにわかるなぁ、とか思い出しながら、

その世界を救ったのが自分であることを実感するのであった。

 

今回のHD-2D の豪華なリメイクの世界を旅していて、

各城ごとに非常に特色豊かで立像、建物の雰囲気も異なっている町並みを見ていると、

FC 版でもほんとうはこうやって世界を表現したかったんだろうな、堀井雄二、と。

(SFC版は未プレイ)。

 

それがために、HD-2D版のエンディングでも世界の都市たちが順番に流れるのかな、と期待していたのだが、

確かに各都市が映し出されるのだが、外観ではなく町中の映像であった。

出会ってきた人々の「その後」が垣間見えて、それはそれでもちろん感慨深いのだが、

逆に外観が1箇所も表示されないのは、FC版のエンディングと比べて違和感があった。

そして、気がつく。

あ、そうか、ルーラだ。

過去作のルーラは、街の外に飛んでいく。

外観をまず目視して、それから街の中に入っていた。

各城、村の外観(と周辺地形)を見る機会が、FC版当時は非常に多かったのである。

それに対し、HD-2D 版は、おそらく外観を見る機会は極端に少ない。

下手したら、最初にたどり着いた、その1回だけということもありそうだ。

 

 

それは、街の中へルーラするからだ。

今作のルーラの飛び先は最初から街の中。

それは当然の合理性だと感じる。

実際グラフィックを美麗にした結果、世界や街の切り替えで発生するロード時間は、

一瞬とは言い難いそこそこの秒数である(3-5秒位?)。

その秒数を、ルーラ直後と街に入るので2回発生させるくらいなら最初から街の中に飛んでいくのは、

当たり前っちゃ当たり前の仕様変更である。

 

その結果、各ランドマークの外観を見る機会が激減したのだ。

 

ただでさえ、旅の過程におけるレベルアップで体力魔力とも全回復する仕様変更を受けて、

街に戻る、という機会自体が激減している。

宿屋に泊まる必要性の激減。

洞窟探検も、怯えることなくどんどん先に進んでいけば、そのうちレベルアップして、

元気いっぱいに回復して探索を続けられるのだ。

冒険の始めの方のダンジョンでは、ダンジョン内に回復ポイントまで用意されてて、

全く帰還する必要性を感じさせない。

街には、時には武器防具の買物で戻りたい、と思うタイミングがかろうじてはあるかもしれないが、

アイテムやイベント事がなければ、下手したら1回立ち寄るだけで二度と寄らない村もある。

 

さすがにメインランドマークであるお城、には、

イベントの回収、アイテムの回収、はぐれモンスターの回収、

場合によりバトルロードへの参加で、複数回行く機会はあれど、

外観については本当に全然見る機会がないのである。

せっかく、外観も凝ってるのに。

…外観ビジュアルが凝りすぎていて、入口がわからなくてイラッとするという側面も、

HD-2Dへの老人からの苦言として記しておこう(そこのリアリティはいらないんだってば)。

 

外観が思い出に残らないから、エンディングでも外観表示はなし。

便利な今どきの仕様として、ルーラの仕様を歓迎はするものの…

FC版エンディングを懐かしむ身として、寂しさも感じたのだった。

 

 

 

■ルーラの仕様変更、リソース管理のゲーム性

エンディングイメージまで変えることとなった(と勝手に思っている)、

ルーラの仕様変更は、

このリメイク版において大いに語られた要素の一つであった。

一つは、屋内での使用が可能となったこと。

一つは、消費魔力が0 となったこと、である。

 

ファストトラベルの、ゲーム業界最初期の手段である呪文は、

現在のゲーム業界におけるファストトラベルの常道にあわせて、

実に便利に仕様変更されることとなった。

(むしろ…ファストトラベルにコストのかかるゲームが批判される時代になっているのだから、

変われば変わるものである…)。

 

さてこの仕様変更によって、ドラゴンクエストはFC時代のゲーム性と

大きく異なるゲーム性に生まれ変わることになった。

「コスト管理と進行中断の葛藤」が、極端に薄くなったのである。

 

かつてのFC版のドラゴンクエストは、

「進むか、戻るか」のせめぎあい、葛藤の繰り返しの、

ドキドキしながら進む勇気と決断が連続するゲームであった。

(おお、まさに勇気を試される、勇者の冒険だ!)

洞窟の中から脱出するためには、リレミトの呪文分、MP を残しておかなくてはならない。

リレミトは洞窟の入口に戻るだけであるから、そこから街まで戻るルーラのMP も忘れてはならない。

これはキメラの翼で代用可能であるものの、確か当時のキメラの翼は直近立ち寄った街に戻る仕様で、

ルーラのように自由に行き先を選べるものではなかった…はずである。

宿屋に泊まって全回復したいが、少しでもゴールドを節約する場合、

アリアハンの我が家へルーラで戻ることを繰り返した勇者も多いのではないか。

マザコン勇者、しょっちゅう実家に帰ってくるなぁ、である。

近所の住人からは「あいつ本当に旅に出てるのか?」と奇異の目で見られたことであろう。

 

ゴールドの節約、

MP の帰宅分の確保、

せっかく進んだ「ゲームプレイ時間の勿体なさ」

 

これらが常に勇者(プレイヤー)の頭の中にあり、

もう少しダンジョンを進むのか、いやここで撤退の英断をするのか、

曲がり角が来る度に悩むのである。

(右の道、ちょっとだけ行って先の様子がわかったら帰ろう)

と決心して進み、強敵に出くわして全滅寸前にさせられた時などは、

自身の判断を心の底から悔やむものである。

絶滅しなくたって、仲間が死ぬだけでも、復活に大切なゴールドを使うことになるのだから、

なんとしても避けたい死亡リスクである。

 

そのリスクを勇気を持って乗り越えて進んだ先、宝箱を開けたときにミミックだったときの絶望感といったら…。

そういうリスクとの戦いがあるからこそ、

宝箱の中身の安全性を確認する魔法「インパス」の有効性が出てくるのである。

(でもMP 使うから唱えたくなかったな)。

 

仲間が死んで、復活させるのに多額のゴールドを払うくらいなら、

とリセットの選択肢が頭をよぎる。

ドラクエの1,2では、その際に長ったらしい復活の呪文の入力となるため、

さすがにリセットしようという気持ちにはならなかったが、

ドラクエ3から搭載されたメモリバックアップ「冒険の書」のお陰で、

リセットの選択肢は有効性が増した。

それでも、1日数時間しかプレイできない環境の中で、その日の探索を0クリアされてしまうのだから、

非常に悩んだものである。

母親にそんな事情を説明したところで、プレイ時間を延長してくれるはずもナシ。

 

 

今回のHD-2D リメイクでは、その悩み(行くか、戻るか)で葛藤する機会は、

ほぼゼロであった、といえる。

私は、1つのソフトでもって、

妻と一緒(交互に)にプレイを進めていたので、自分が時折「保存して終了」する必要があった。

夜、眠たい中でダンジョンを勧めている際、最深部までの攻略を諦めて寝てしまおうと決断するのだが、

その際に、次の日プレイするかもしれない妻のために、

街へルーラして保存してタイトルに戻るようにしていた。

多分、オートセーブなどをうまく使えば、そんな手間をかける必要もなかった気がするのだが、

あまりモチベーションの高くない妻が手に取ったとき、

「あ、夫がやってる、じゃあやめた」

とあっさり判断されないようにタイトル画面に戻していたのである。

多分、HD-2D リメイクのプレイヤーで、わざわざ「ちゃんとセーブして終了」していたの、私くらいじゃないだろうか…?

 

そんな事情であるものだから、

「せっかくだからこのダンジョンをクリアしてから街まで戻りたい…もう一回入口から潜るのめんどい…」

という気持ちが働く場面も、なかったわけではない。

進むか帰還するかの判断…懐かしきFC版の頃の葛藤である。

 

でもまぁそのように悩む機会は本当に少なかった。

その理由としては、

一つには、敵がそれほど強くもないので、

「別に洞窟の最初からやればいいや」、と特に葛藤もなくさくっとルーラってしまうこと。

一つには、洞窟の場所までも、ルーラに登録されること(これも初? 街から歩いていく必要がないので非常に便利)。

一つには、洞窟の規模がどれも小さいこと。「戻るか進むか葛藤する」規模のダンジョンがほとんど無かったこと。

途中で(眠いから)戻ろうと思うほどの広大なダンジョンは、

バラモス城、ルビスの塔、ゾーマ城…3箇所くらいだったのではないか?

他の塔やピラミッドも、多少は複数構造で疲れたかもしれんが…

 

むしろ戻って、転職して、また洞窟の最初から潜っていったほうが、

レベルアップがパカパカ進んで楽しく気持ち良い、くらいであって、

「進むか戻るかの葛藤」は一滴のカルピスほど薄まっていた。

 

これを「こんなゲームじゃなかった」と批判することもできるが、

実に令和的改修、と、私も世間も捉える、肯定的意見が多かったようである。

(少なくとも、大ヒットと呼べるほどに売れているから、全要素でないかもしれないけれど、肯定されているところが多いといえよう)

 

昔の仕様のゲームがよければ、アプリ版、旧作版が売っているので、そっちをプレイすればよい。

こういう今どき変化というのは、あってもいいものなのだろうなと感じた。

感じたが、「ゲーム性が全然変わった」と感じたのも、またその通りであった。

手の行き届いたリメイク版は、この辺を設定で色々いじることができるものもあるが、

ドラクエ3 は「新しいドラクエを楽しみなさい」と強行する姿勢を取った。

 

ルーラのゼロコスト化、室内利用可能化だけではない、

「レベルアップ時にHP/MP 全回復」という、

FC の頃は想像もできなかった…しかし今どきは考えたら当たり前の仕様変更のおかげで、

ガンガン洞窟を突っ込んでいけるようになった36年目のドラゴンクエスト。

 

それは、転職を楽しむゲーム性に変わったんだ、と思う。

(探索と物語を、しんどい思いして徐々に徐々に進めていくゲーム性からの変化)

 

 

FC 版の頃は、転職するとなると、本当に数日悩むくらいの、

少なくとも一晩悩むくらいの大きな決断であった記憶がある。

その記憶の根底にあるのは、転職は「大変」だ、という感覚である。

転職するとレベルが1 になり、各パラメタが半分に激減することになる(よく考えると激減ってほどでも無いのだけれど)。

パラメタが半分になると、元々のレベルで順当に進めていたダンジョンが、途端に超難関ステージになることになる。

超難関ステージになるのだが…転職できない勇者と、転職せずレベルが高い状態の味方がいれば、

実際大概の戦闘はどうとでもなる。

強力な全体魔法や道具を使えば大ダメージを与えられ、速攻で戦闘が終わる。

そして転職したてのメンバーには、そのレベルに対しては過剰な経験値が入り、一気に5~10のレベルが上ったりする。

 

FC版では、そこで一回帰還しなくてはならない。

なぜならレベルが上ってもHP/MP は現在値のままなので、一撃攻撃をもらえば死んでしまう状態だからだ。

ベホマなどで仲間が回復してあげても良いが、大切な大切なMP が回復しない。

結果、FC版ではアリアハンへ戻る(宿代節約で実家宿泊)、再びダンジョン近くの街へルーラ、

その街からフィールドを歩いてダンジョンへ、という動きを繰り返すことになり、

プレイ時間が長くなり、面倒なのである。

面倒であるから、転職するかしないか、の判断が慎重になるのである。

何しろ子供の頃は、「プレイ時間」はナニモノにも代えがたいリソースである。

これの無駄遣いは人生の損失、と、

そのくらい重たい事項であった。

プレイの緊張感と決断の重みに「親」が影響していたわけだなぁ、と懐かしく思い出す。

 

 

それが楽しかったかというと、そうではなかったのが、今作の感触でわかった。

転職を「じっくり考えて慎重に行う」FC版のプレイフィールと、

今作のHD-2D版は明らかに異なっていて、

「ほんのわずかなリスクはあるけれど、転職したての仲間を連れてガンガン高レベルダンジョンを攻略する」というプレイスタイルになる。

ガンガンレベルが上がるし、パラメタが上がるし、新しい特技も覚えるしで、

キャラクターを育ててる感触が非常に手軽、かつ、気持ち良いテンポ。

アドレナリンが出る作りになっている。

 

自分にはこれがはまって、何度も転職して楽しむこととなった。

 

過去作、FC版でもある程度そういう進め方はできたかもしれないのだが、

小学生の自分が慎重すぎたのか、パラメタ上昇の計算予測ができてなかったのか、

「転職は面倒、リスクでかい、しんどい」

と感じて、慎重に行っていた。

FC版当時の転職は、そもそものメリットもそこまで大きくなかった、

それは「とくぎ」というアビリティが無かったからで、

有用な呪文を覚えたら、あとは戦士か武闘家で物理攻撃を地道に上げていくのが主要な人生であった。

 

そんなFC版には無かった転職のメリット、

「とくぎ」を欲して、

どの職業にも一度は転職したくなるゲーム性へ変化しているし、

転職後にすぐレベルアップするから(しかもすぐに回復するから)、

どんどん能力値を上げて強くしていくことができるようになり、

テンポよく強くなるのが非常に楽しいゲームとなった。

仮に、戻る必要が発生しても、ルーラの消費MPがゼロなのでMP を確保しておく必要はないし、

街や宿で回復して洞窟前までルーラで飛べるので、プレイ時間的な負担感もない。

洞窟内でレベルが上がれば回復に戻る必要がそもそもないし、

よしんば、調子に乗りすぎて奥に進みすぎて全滅しても、ゴールドが減るなどの罰則無しでその戦闘の最初から、あるいはオートセーブ箇所からやり直しができるのである。

 

リソース管理で悩みまくるゲーム性から「ガンガン行こうぜ」のゲーム性に変わった。

リスクに怯える慎重なプレイスタイルは不要で、思い切りはっちゃけられるようになった。

 

結果、かつては最低限の戦闘と転職、宝箱は絶対全部見つけてギリギリ魔王を追いかけていた、

スペシャリスト思考の高いプレイから、

次々と転職を繰り返し、

大体はレベル25~35くらいまでの特技は全員取得していて魔法も全部覚えている、

スーパージェネラリスト軍団(主人公除く)で次々と魔物を掃討していくリスク低めなプレイとなった。

 

ここで「ほしいなー」と思った機能は転職履歴の記録、である。

ここまで複数回転職するとは思ってなかったのだが、全部の職業経験したあとに、

また同じ職業に転職する、ということまで繰り返すまでに至り、

(高レベルの特技がほしくなった、はぐれモンスターが規定数集まった、また賢者に戻りたいから遊び人になる、このパラメタ伸ばしたい、など)、

かつて1-2回の転職でクリアした勇者(以外)は、

各自10回近く転職するとらばーゆ部隊となったのであった。

HD-2Dリメイク…転職履歴、ほしかったです!!

 

その中で、転職できない勇者の足手まとい感は凄まじかった。

ギガスラッシュやベホマズンは有用ではあるものの、MP 不足に悩まされる事情があり、

道具使うだけの担当になり、

本編クリアまでは「素早さ+高火力」がすなわち「戦闘での強さ」のゲーム性であることもあり、

せっかく使おうとした道具を使うこともなく、

やまびこぼうしの賢者が無双していく後ろ姿を眺めるだけが勇者のメインの仕事となるのであった。

…世界を救ったのって、多分、勇者「以外」だよ、これ…。

 

3人転職させた際はもちろん勇者頼りであるので、

そういう時に活躍するために転職できないのかもなぁ…と慮りつつ、

ダーマの老人に勇者転職を申し出て叱られる、ことを繰り返した。

 

そしてクリア後は…

勇者にさよならを告げ(だってこいつ行方不明になるしな)、

まさか戻ってきてくれる「商人」を、

つらい思いをさせたお詫びも含めて仲間に加え、

クリア後ダンジョンで元・商人を鍛えることになるのであった。

…この点もよくできているというか、ゲーム制作者側の意図どおりなんじゃないかな。

「どうせ勇者はもう使わないでしょ? はい、前に見捨てた(?)仲間を戻してあげるよ」と。

 

私はこの商人がどういう運命をたどるか知っていたので、

我が家に実際に迷い込んできた猫の名前をつけたが、

私の妻は、娘の名前をつけたもんだから、「娘、投獄されちゃったよ!!」と笑っていた。

娘は怒っていた。

 

 

 

■音楽は…ピコピコも欲しかった、な。

壮大にオーケストレーションされた(オーケストレーション、の使い方間違えてる気がするけど)、

BGM の中旅を続ける勇者一行。

…それはそれでもちろん、素晴らしいのだけれど、

ふとした拍子に「ファミコン版の音も聞きたいな」と思う機会が何度もあった。

そういうニーズに答えてくれるリメイク作品も多い中で、

フルプライスなのにピコピコ音源が入ってないのは残念だった。

ラーミアのBGM はやはり感動的だけれど、「乗る・降りる」を繰り返していると、盛り上がったところで降りるのが少々苦痛であるので、そういう時はFC版が良い。

 

ドラクエ、すぎやまこういち氏のこのBGM はゲーム史に残る傑作であって、

傑作であるから、サントラが出回っていたのを思い出した。

そのサントラの中ではオーケストラ演奏のものもあったし、

ドラクエ楽曲のオーケストラ演奏はもう定番みたいなものなので、

実はゲーム内で流れた時に「おおお!」と感動するほど、初めて感はない。

よく聞いてきたものだな、くらいに感じる。

むしろ、「よく聞いてきたファミコン音源がほしいー!!」がすごく感じたこと。

 

…仮にこれを、後々有償DLコンテンツとかにするとしたら…

それはちょっとえげつないですよ、スクエニさん…(買ってしまいそうだ)。

 

 

さて、ドラクエ3 において、BGM は、本当に素晴らしい傑作である、だけでなく、

物語上非常に胸を打つ瞬間がある。

下の世界(地球の地下だと思ってたけれど、もしかして別世界、なのかな?)、

そこに降り立った瞬間に感じる「これ、ドラクエ1 じゃん!!」という感動である。

 

アレフガルド!?

ラダトーム!?

え、どういうこと!?!?

全部、ドラクエ1 で旅した世界、BGM じゃん!!

と、当時の小学生たちは鳥肌を立たせながら進むのである。

戦闘BGM、街の中のBGM、全てが記憶を揺さぶってくる。

そして、結末で繋がったときに、子どもたちはかつて感じたことのない壮大な伏線回収に感嘆するのである。

(もうちょっと本とか読む勉強家だったら、もっと凄いファンタジーはその当時からあったとは思うけれど…)

 

紙の冊子では体験することのできない、「BGM が一緒」という体験。

その唯一無二の体験を…

 

初プレイの妻に聞いてみると、当たり前だけれど、

「え? なんで?」となる。

「懐かしくて涙出たでしょ?」と聞いても、

「いや、だからドラクエ初めてなんだって」と当たり前のことを返答される。

…そりゃそうだ。

ドラクエ1 をやったことのない人間が、ラダトームに入場したところで

「なんか雰囲気暗いな」

くらいしか感じるわけがない。

「もっと上げていこうぜ!? うぇーい!?」

と言うに決まってる。

 

なんなら、めたくそに強くなって転職もしてて呪文なんか全部覚えているのに、

スライムベスとか倒して

「は? 経験値6? なにこれ、バグ?」

と混乱するに決まっている。

 

この段階では、勇者一行はバラモスをぶちのめしているので、

通常戦闘なんかマヒャド、イオナズンでだったの1ターンでぶちのめしてしまうがデフォである。

なので、スライムベスと死霊の騎士との強さの区別など殆どないのだ。

 

(…そういえば、はぐれモンスターの1匹が「イオナズン、イオナズン、イオナズン唱えてばかり」と愚痴っていたのは笑った。わかる)

 

ドラクエ1 を未体験で、

今回のHD-2D をプレイする人も多いのだろう。

そういう人たちが「ドラクエ1&2 に続く!」とエンディングでめっちゃアピールされても、

「んー?」と思いそうな気がするが…

 

しかし、堀井雄二氏も、驚く仕掛けを用意していると言っている。

こうして令和のドラクエを、HD-2D で蘇らせるにあたり、

それを「3から」と判断した以上、「1&2」と順番が逆になることは覚悟されていたわけである。

HD-2D 発売前は、実は1&2 同梱の噂(期待)さえあったが、

こうして、焦らしながら出す以上、きっと何か仕掛けが用意されるのであろう。

実際、堀井雄二氏から「1&2 には驚く仕掛けを用意する」との発言がある。

 

しかし…驚く仕掛けが入ってしまったら、ドラクエ1、2 じゃなくなってしまうのではないか…

サマルトリアの王子が「有能になってしま」ったり、

ムーンブルグの王女との三角関係、伝説の樹の下イベントが加えられたりしたら…それはゲーム性が崩壊してしまう。

 

いやそれよりも「1」だ。

「1」は勇者一人で竜王を倒しに行くという、

令和の今なら確実に労基からの査察が入る完全なコンプライアンス違反ゲームである。

それをルイーダの酒場、用意する?

いやいや…さすがにそれはやりすぎ…。やはり竜王とは1対1のタイマンで決着つけるべきである…。

そしたら、やっぱりローラ姫との恋愛シミュレーション展開だろうか?

竜王を倒した後に、城で暮らしながら姫の好感度をあげていくゲームが展開する…。

やりたい。オホーツクに消ゆよりやりたい。

でもそんな別展開は考えられないから…やはり勇者が、色々な特技を覚えていくのではないだろうか。

スキルツリーがあってー、

ダーマの神殿で「勇者は職業はかえられないけれど、スキルツリーがあってだな」とか説明されてー、

あ、ダーマの神殿は表の世界か。

そういえばダーマ「の」神殿って覚えていたけれど、

「ダーマ神殿」だったのはちょっと驚いたな。

 

 

 

■物語を進めるための「依頼」にイラッときた

一番自分にとって以外だったのが、

物語(クエスト)に、普通にムカついたことであった。

「え…俺、こんなことやらされてたの?」

とかつて少年だった自分を振り返って衝撃を受けた。

 

当時は何の疑問も持たず、

FC版で金の冠を探しに行き、黒こしょうを手に入れたものだったが、

今こうして大人になってプレイすると、「こんなにも、こんななのか」と

投げ出してしまいそうなほど腹が立ったのは、私の忍耐が足りないのだろうか?

 

JRPG というジャンルを生み出したのは、ドラゴンクエストである。

堀井雄二は明確に「ウィザードリィ、ウルティマのようなゲームを日本に誕生させる」と発言して、

ドラゴンクエストを制作したと語っている。

そのドラゴンクエストを「打倒」と掲げて坂井博信が開発したのがファイナルファンタジーである。

誰もが、ドラゴンクエストから始まったのである(AT 日本)

 

FC版をプレイした当時、

4人の仲間を自分でキャラクリして連れていけるゲームシステムに夢中になった。

ジパング、ラーミアのBGM に心底心酔した。

自分の仲間の商人が街を発展させていく様子に、「どうゆうこと?」「すごくね!?」と、

本当に驚かされたものである。

そして地下世界に訪れて、ロト伝説の全てがつながったとき、

胸の中に確かにドラゴンクエストが刻まれたのである。

 

それは、大人になってからドラクエカフェに行くほどの憧憬であり、

どうせプレイしないのにアプリ版を購入して「スマフォでドラクエができる!!」と感動する尊敬であり、

あらゆるドラクエネタに笑い、涙し、パプワくんを読み、

未だにカラオケで「夢を信じて」を泣きながら歌う想いなのである。

 

そんな大きな思い入れを持っているのだから、

老害のように「ここが昔と違う」「俺の時はこうだった」と

ついつい突っ込んでしまったのも、それも全部愛なんだ。

ルーラのMP0 だって、別に嫌だと言ってるわけじゃないんだ、ただ語りたいだけなんだ。

 

だが、ロマリア国王。ポルトガ国王。

てめーらは、ダメだ。

(そしてイシスの女王はなぜボイスがないの? バグ? 大人の事情?)

 

まぁ、ロマリア国王は、それでも、

金の冠を盗んだ盗人団を追いかける追跡隊を組織したから、まだ分かるよ?

まだ理解できる。

まだ理解…、いや、隣国の国王から「よろしく頼む」と託されたメンバーに、

いきなり自国の課題解決を依頼するのは、やっぱり非常にイかれてると思うけれど、

ちゃんとリメイク版で、いかれっぷりを、より表現してたから、まぁまだ笑えたよ。

「金の冠を取り戻してくれたから、君が王様だ! さぁこのロマリアを任せたぞ!」って、

本当に任せちゃうおちゃめな王様なんだから、

初対面の勇者に「盗人おいかけけてー」とかいっちゃうノリも、ありなのかもしれない。

大臣が「私も何度も王様にさせられました」とフォローしてて、とても良かった。

 

でもよくよく冷静に考えると、

アメリカ大統領が派遣した使節団を、イタリア国王が自国の私用で使った、ってレベルでしょ?

…国際問題…だよ…。

そんなぶっ飛んでる王様のあとは、ポルトガで「黒こしょうとってまいれ」って言われるんですよ。

 

いや、私も日本人として、かぐや姫伝説に慣れ親しんでますから、

高貴な人が他人に依頼、「して良い」って文化には、いるんですよ?

いるんですけど、「黒こしょう」って…。

 

現実、中世の時代、「コショウ一粒、黄金一粒」と言われ、

ヨーロッパのツワモノたちがインドを目指したことは存じております。

ええ、ええ、コショウがほしいんでしょうよ。

ただ…それを、他国の親書もった使節団に依頼、します?

ていうか、サマンオサで魔物が10年間(!?)、国家を恐怖のどん底に陥れてる時代に、

「黒こしょう食べたい」とか、言います? 言うの?

まぁ高貴な人だからワガママ言って良いのかもしれないけれど…、

あげく黒こしょう屋で人さらいに娘と婿をさらわれたって…

「てめぇらの事情はいいから、ビジネスしろや!!!」

とかなり本気で腹が立ってしまった。

 

一応…最後の最後の部分としては、

「ポルトガの王様が、勇者のために船を用意する、その用意の時間が必要だから、ちょっとお使いを頼んで、その隙にサプライズを用意しておいた」

という、そういう恋人チックな演出ってことでなんとか気持ちは収めましたけれど…。

でもやっぱり、「娘がさらわれてコショウが売れない」店のおじいさんについては、

…他の店で買いたかったなぁ…なんでお前のところ、黒こしょう独占販売してるんだよ…

そこまでのビジネスやってるなら、人さらい対策はともかくとして、黒こしょう販売だけは続けてくれよ…いや、じじいに店先に立ててとは言わないからさ、従業員、いるでしょ?

…と、大変心がざわついたのであった。

 

 

そういう、「今だとゆるせない」というクエストは随所にあって、

それでも(大変な苛立ちのはてに、転職できるようになったから取り敢えず気持ちも抑えて)船を手に入れてから楽しく世界旅行をしていた。

 

この、

アリアハン → ロマリア → ポルトガ

の流れが、いわゆるチュートリアルの一本道で、

そこからオープンワールド的に自由に動けるようになるのが、

今どきのゲームで当たり前になったけれども、始祖としてのドラクエの流れであって、

急に広がった世界の中を夢中で探索して回った。

世界中を旅する、そしてランドマークがあってクエストが点在し、取り組む順番が自由、というのは、

RPG 界隈に新風を吹き込んだ瞬間だったのではないだろうか?

(そう…だよね? ちがうかな)

 

HD-2D リメイクでは、かつてのFC版に、さらにさらに「探索=世界旅行」の楽しさを加えるべく、

キラキラをたくさん用意して、

世界をめぐって宝探しをしていく楽しさを存分に用意してくれた。

チュートリアル状態であったポルトガまでの道のりで、取得することができなかったキラキラにたどり着ける楽しさが、

マップを移動して、「この山々の先には何があるかなぁ」と旅するFC版当時の楽しさに合致し、

便利なマップが用意されていて全部位置が分かっている興ざめ感を払拭してくれている。

 

マップ上のキラキラは、そのほとんどが「特に嬉しくない宝物」であることが、

なんとなく想像もついてしまうのだけれど、

それでも探したくなる人のサガ、

ドラクエの楽しさの「クエスト=探索」につなげてくれているのだった。

 

そして探索の先には、オルテガのイベントが発生し、兜の物語に触れられたり、

発見の楽しさを提供してくれたのだった。

これは非常に「探索」「世界旅行」「冒険」の欲求を満たしてくれて、

制作側の狙い通り、世界中をうろうろさせられてしまったのだった。

 

…ラーミアの速度が遅すぎる、という批判もあったが、

しかしラーミアで探索する、必要性のあるキラキラはごくごく少数だったから、ねぇ?

(それでも、キラキラを全部集めたいと思う人の心もあるわけであり、

今作、HD-2D リメイクにおけるラーミアの「悪さ」は、

・移動速度を遅いと感じさせる表現(実際は結構速い気もするのだけれど、視野的に遅い)

・二回し目へ向けてためてから盛り上がるBGM(降りるタイミングと合ってないと気持ち悪い)

という…、

非常に「調整と検討が物足りない」ことを感じさせられたのは、惜しいところだった)

 

あと、ラーミアは妻(ドラクエ初心者)に、

「なんかニワトリが産まれた」

と言われてたので、デザインももう少し考えても良かったかもしれない。

 

FC版で、きらめく、光の塊にしか思えない真っ白なラーミアの神々しさに感動した昭和世代としては、

トリコロールカラーにしてしまうことも無いのになぁ、とは感じた。

もっとも、

ラーミアは初期設定からこういうカラフルな設定だったらしい。

SFC版ではもう既にこのカラーリングだったので、

FC版では容量の関係で真っ白になった、というだけだったのだろう。

 

さて、ラーミア、バラモス、竜ときて、

BMG 的な部分での大きな感動を引っ張っていった、ドラクエ1の世界、アレフガルドに降り立って…

とりあえず船に乗ったり大地を探索しながら進めていくと、2つの依頼を受けることになる。

「ルビス様をお助けください」

これは、まぁ、わかるのだけれど、言い方…

「あまぐもの杖を手に入れるのだ!」

…お前、言い方…

「その虹のしずくを、リムルダールの北で使うのだ!」

…お前、具体的!!!

そこまで分かってるならお前がやれ!!

 

と、

割と地下世界での依頼にもイラッとさせられていた。

指示系統の曖昧さに、細かすぎるマイクロマネジメントに。

 

どうしてだろう。大人になったからなのか。管理職になったからなのか。

昔々の少年の時分、

「王様の頼みとあらば!」

と冠でもなんでも取りに行き、

「封印を解くのじゃ!」

と言われればお年寄りを大切にし、

「ルビス様を助けるために妖精の笛を探して!」

と頼まれれば、

…どう考えてもお前らがちょっと足を伸ばせば見つけられるであろう温泉街でアイテムを拾い、

 

何も考えずに指示に従ってきたものである。

 

…そうか。

これがサラリーマンの構造だったのか。

夢と希望いっぱいで友達百人作る気満々の新入社員に、

次々と指示を与え、

成果の細かさのわりには内容はふわっとしたまま「うまいことやっといてよ」、

そして成果に対してネチネチ細かく指摘しまくる…

ルビスやんけ。

ルビスのやり方やんけ。

パワハラやんけ。

 

なんなら、ゾーマの方が、目的と実施事項が明確な分、従いやすいわ。

理想の上司像は竜王だわ。

 

…これは私が悪いの?

それとも、ドラクエ3 が、36年前から変わらなさすぎたの…?

 

あと、最後にちらっと書いておくけれど、

オルテガ、最後の台詞、長すぎ。

FC版当時から「ザオリク」「ベホマズン」「賢者の石」というツッコミが多かったけれど、

今作ばっかりは本当に、長すぎ。ベホマ、しろ。

 

 

 

■そして伝説へ

こうやって、突っ込みながら冒険をできたのは、

だがしかし幸せな体験であった。

 

令和に生まれ変わったドラクエ3 は、

昭和生まれの老害には、ツッコミどころという隙を与えてくれ、

はじめてドラクエにふれる若者にはレトロゲームの理不尽さを教え、

皆それぞれの立ち位置で楽しむことができたのである。

堀井雄二と鳥山明とすぎやまこういちという天才たちと、

その三人よりは目立たない位置に、とてもとても工数を割いていたチュンソフト、アーマープロジェクトの人たちが、

36年間も愛され、感動を呼ぶゲームを作ったことに、敬意を評してやまない。

2024年11月発売、

「ゼルダの伝説知恵のかりものの方が面白かった」

と、冒頭に失礼な感想を入れてしまったが、

36年後に知恵のかりものがリメイクされている社会は想像できない。

(…されてるかもしれないけれど)

 

その一方で36年後に、遊び方の質と方向性がガラリと変わって、

それでもしっかり、思い出の隅々までドラクエ3 であったこの

次の30年、40年後には、どんな姿に生まれ変わってくれるのだろうか。

VR の世界で眼の前にラーミアが現れて、

プレイヤーの胸には焼き印のようにロトの紋章が刻まれるんだろうな。

その時は…勇者も転職できるように、なってるかなぁ。

 

(おわり)

 

 

 

 

ねことさよならすることを考える

加藤まみ。メス猫。ラグドール。
2007年11月生まれなので、もう17歳。
寿命が15歳ほどと言われる猫の世界では相当な高齢の、 おばあちゃんニャンコである。

 

それでも全然元気で何も変わらないな、と思ってた。去年、 2024年の夏まで。
もう長くないであろうことを、11月12日、 大学病院で告知される少し前から、急激な違和感を感じていた。
家族以外の、 友人が来たときには脱兎のごとく逃げ出していたのが、 全然逃げず動きももっさり。
餌を食べても、ほとんど間をおかずに何度もねだりだしたのは、 11月7日から。
「おばあちゃん、もう食べたでしょ」
をまさしく体現する所作が、
ゆるやかにではなく「この日から始まった」のである。
急に始まるものだとは知らなかった。

 

老衰が始まった、のか、脳腫瘍と思われる、 ガンが脳を蝕んでいるのか。
少なくとも、最後の時が始まったんだ、 ということが否応にも認識させられた。

 


その日から3ヶ月。

 


動きは多少緩慢だけれど元気そうにうろついていて、
餌は相変わらず、何度もねだるので何度も食べさせる。
活動だけは元気そうではある。
家の中を練り歩き、 夜は気まぐれにこちらの布団に入れろと要求してくる。
迷子の保護猫に対しては、( チビの方はびびってシャーシャー騒ぐだけに対して)、
「フゥ!」という低音気味の一喝で退けるあたり、 貫禄すら感じる。

 


しかし明らかに、元気で健康、ではない。
何度も食べるのに明らかにやせ衰えていって骨が目立つ背中。
ふさふさだった毛並みからは日に日に生気が抜けていき、 張りがなくなってきている。
腫瘍は頭部左側にあるらしく、左側だけ鼻水、 目やにが出る関係で顔の左側の毛が薄くなっている。
お腹を撫でろと要求してくるくせに、 急に撫でてる手を蹴り出すワガママな性分は相変わらずだが、
その蹴りの力は衰え、手足も痩せて骨が目立ってきている。

 

老衰。
あるいは、がん細胞が栄養を奪っていってるのかもしれない。
不思議なほど食欲はあるのに、緩やかに痩せていっている。
骨ばってきた背中を撫でながら、毎日、 さよならする日のことを考えている。
「お前ほんと元気だなぁ」と、
盛大な反抗と反発を受けながらバリカンで毛を刈った夏の日は、
こんな日が来るのはもっと何年も先のことだと思っていたんだけれ ど。

 

 

 

沢山の(人間の)友人たちに愛されてきた。
本人的には…明らかに迷惑であったろう愛情を受けながら、
誰も来ない日は窓ガラスの日差しに目を細めながら日向ぼっこして いた。
本人的には…友人じゃなかったかもしれないけれど、
愛してくださった人たちへ。
個々のさよならは、 まみの負担にもなりそうだから難しいけれども、
元気だった頃の、フサフサモフモフを、 思い出してやってください。

 

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好きなことを仕事にしなくても、達成感や満足感は得られる

好きじゃない仕事でも、

達成すれば喜びが心に溢れるし、

内容に満足することは多々ある。

 

「好きなことを仕事に」と嘯くキャッチコピーはあるけれども、

好きなことが好きなことだけで構成されてるとは限らない。

むしろ逆だ。

嫌なこと、しんどいこと、目を逸らしたいこと、

そうしたことの積み上げの上に「好きなこと」がある。

 

動画配信で儲けてる人も、

動画撮影、動画編集、テロップを入れること、BGMをジャストタイミングに構成する作業、それを何度も見返してチェックすることの全ての作業を、

好んでいるとは限らない。

 

スポーツ選手は勝利と記録の瞬間のために、

綿密な食事制限と適切なトレーニングと、あらゆる種類の節制を自らに課している。

修行好きのブッダ以外は、それらの多くに苦しみを感じるだろう。

 

ミュージシャンは何度も何度も演奏を録音し、

これが本当に本当なのか、自分が納得できるのかをなん時間も何週間も悩むことになる。

バンドなら、メンバー同士の意見がぶつかり合った殴り合いの喧嘩になることもある。

リリースした直後は、喜びの数秒後に、売れるかの不安に苛まれる。

ライブ前は機材トラブルが起こらないことを神に祈ってる。

全ての苦しくしんどい準備の上に、ライブステージとツアーは成り立っている。

ツアー中は生まれたばかりの我が子に会うことが叶わないのもよく聞く話だ。

 

 

好きなことを仕事にしたい、のと、

好きなことだけ、していたい、という欲求は、

全く異なる話だ。

そして、誰もが好きなことだけしなくなったら、

好きなことをする環境が世界に維持されなくなる。

電気ガス水道、下水道管理が「好きなこと」である人がいない限り(それも、大人数いない限り)

 

そう考えると…

人は苦しむために、生まれた。

苦しみの中にわずかに現れる幸せの瞬間、

そのわずかな瞬間と可能性だけを信じて、

苦しみ生きているのだ。

…なかなか辛いもんだな、人生って。

 

それでも、その幸せの瞬間には、

心底生きててよかったと思うものである。

 

仕事も、そう。

辛い闇の中のような作業の果てに、確かな達成感と満足感があるのだから、

どんな仕事でも大切にしてやり続けるのだ。やり続けるべきなのだ、

「こんなのは好きじゃない、自分らしくない」

などと投げ出さずに。

…闇バイトは、しちゃダメだけど。

 

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先日落として無くしたイヤホンの代替機。

選択肢が多すぎてどうやって決めたらいいかさっぱり分からない。

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公式ではあと一年、電池式は持つはず。だからまだ買えない…。

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プライドは2種類ある

プライドは2種類ある。…と思う。

守るべきものと、固執すべきで無いもの。

 

おそらくー、多分ー、

外への見え方を気にするプライドは、いらないプライドだ。

他人にどう見られるか、他人に舐められないか。

固執してはいけない。

そんなものは傷つけられても気にしちゃいけない。

 

内への大切なプライドを傷つけられない限りは。

 

自分の内側向きのプライド、

大切にしてること、守りたいもの、それを作るためのプライドこそが大切なもの。

 

こだわるべきプライドと、

他人の目ばかりを気にするようなプライドを意識して、認識して、

間違えないようにしたい。

不満のない人生

不満のない人生なんて無い。

不平不満がたまりにたまって爆発し、やめたあと、

人はまた、次の不満に溢れた人生に進むだけなのだ。

 

仮に…それこそファンタジーのような話ではあるが、

不満のない人生に辿り着けた人がある、として、、、

そこに広がるのは、荒漠とした退屈、だけであることだろう。

 

 

食育よりも笑顔の余裕を。

近所のスーパーで、

お母さんが4-5歳の息子にめっちゃキレてた。

怒ってた。

 

そりゃ、怒りたくなる日もあろう、

怒るべき日もあろう、

でも、余裕なくてしんどそうなお母さん、

手料理作るべく材料買ってるお母さん、

食育より笑顔を、って思う。

余裕なく料理作るよりー。

冷凍でも惣菜でも良いじゃないか、って。

 

食育、なんて言葉あるけど、

諸外国にそんな言葉、発想はあるんだろうか?

食育が成立するなら、

不味い料理しか出せない国の人は、みんな教育不全ってことになっちゃう。

しんどいこと減らして行って、時間かかること減らしていって、

笑顔になれる余裕が出てきたら良いですねー。