消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

不満のない人生

不満のない人生なんて無い。

不平不満がたまりにたまって爆発し、やめたあと、

人はまた、次の不満に溢れた人生に進むだけなのだ。

 

仮に…それこそファンタジーのような話ではあるが、

不満のない人生に辿り着けた人がある、として、、、

そこに広がるのは、荒漠とした退屈、だけであることだろう。

 

 

食育よりも笑顔の余裕を。

近所のスーパーで、

お母さんが4-5歳の息子にめっちゃキレてた。

怒ってた。

 

そりゃ、怒りたくなる日もあろう、

怒るべき日もあろう、

でも、余裕なくてしんどそうなお母さん、

手料理作るべく材料買ってるお母さん、

食育より笑顔を、って思う。

余裕なく料理作るよりー。

冷凍でも惣菜でも良いじゃないか、って。

 

食育、なんて言葉あるけど、

諸外国にそんな言葉、発想はあるんだろうか?

食育が成立するなら、

不味い料理しか出せない国の人は、みんな教育不全ってことになっちゃう。

しんどいこと減らして行って、時間かかること減らしていって、

笑顔になれる余裕が出てきたら良いですねー。

 

 

イジメ、菜の花の沖

司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んでいる。

文庫で全5巻。

1巻、2巻、

それぞれに出てきた。

「いじめ、いじめるという精神性、文化性は日本固有の風土性のようなもののようで…」

などなど。

 

…そ、そうなんだ。

 

まぁ諸外国にもいじめはある、と聞く。

流動性が停滞するコミュニティでは発生するようで、だから日本とか海外とか関係なく人間本来の性質かと思っていたが、

まぁしかし少なくとも、

「学校」だけがいじめの舞台では、ない。

 

性欲から解き放たれた時、人は本当に自由になる

性欲、性衝動から解き放たれた時、

人は本当に、

自由になると共にモチベーションも低下する。

 

…低下するなぁ…。

 

「ほしい」「やりたい」

が人間の1番根幹のモチベーションスイッチなのだから、

便利になる、満たされる、として、

例えば飲食の不安が満たされて(もう狩りに行かなくてもいい)

雨風の不安が払拭されて(現代住宅のなんと快適なことか)

衣食住が満たされていくと、それだけ欲しい欲求が減退していってしまう。

 

とはいえ、人間は常にどこかに不平不満を持ち、

常に充足することに心満たされない愚かな…

(ある意味求道的な)

生き物であるから、

満たされてもまた新しい不満を見つけ出すものなのだろう。

 

そんな中で、肉体の衰えと共に、

あの圧倒的すぎた衝動とモチベーションであった性欲が減退してくると…

今度は「制欲増進剤」を求めるようになるのかもしれないけれど、

ようやく自由時間が得られるようになる、気がしないかい?

 

異性のことばかり考え、

どうにかして手に入れてやろうと悶え苦しんでたあの頃…

 

持て余した自由時間の中で思い出す。

 

最愛の人

思うに…別に…

「最」愛の人、でなくてもいいんで無いかな、と。

一緒にいて疲れなくて

リスペクトできて、

そういう人でいいんでは無いかな、と。

 

最愛の人と結ばれようとしなくてもいいんで無いかな、と。

不倫する人らは、「この人こそ!」みたいに溺愛傾向があるけど、

そうでなくてもいいんじゃ無いかな、と。

 

皆皆経験してることでしょうが…

変わるし。

「最」は。

ゴリラの嫁

幼い娘、の友人たちにも気に入られるために編み出した技、

 

「ゴリラダンス」

 

子供達はこういうの大好き。

「あー、ゴリラだー!」

と大人気になった。

 

妻がダンス教室発表会の係になって、子供たちをまとめようとした。

 

「あー! ゴリラの嫁だ!」

 

すまん妻…すまん…

人は不平不満から抜け出せない

人は不平不満から抜け出せない。

多分誰もが頷く真理では?

「いやいやー!大金持ちやボンボンや特権階級は不満なんてないでしょー!?そこ目指したいでしょー!?」

と言う人もあろうかと思うが…

 


おそらくは大金持ちも貴族も、心底の満足なんて得られない、のだ。

 


そう言う映画や小説をよく見る。

金で買える幸福なんて虚しいだけ…と。

「いやいやー! そんな物語は庶民を騙すための方便でしょー!? フィクションでしょー!? 実際はウハウハ天国な人はいるでしょー!?」

 


もちろん、いるかもしれない。

いるかも知れないけれど、少なくとも、

私ら庶民がそんなウハウハ天国になれる見込みは無いし、

そんな人は一握り…まぁ世界で数えるほどだろう。

 


歴史的に見て、

貴族や王様が幸せいっぱいに人生を謳歌して不満一つなく過ごしてるかと言うと…

大抵戦争してるし、

政変にあってるし、

暗殺されたりしてるし、

謀略に巻き込まれたりしてる。

満足100点、ではなかった、という証左だろう。

アーサー王カエサルも、

ナポレオンもルイ14世も。

不平不満がなかったとは思えない。

 


現代ではどうかとみてみると、

政治家は不正でつかまり

芸能人は不倫で叩かれ

金持ちはTwitterFacebookで炎上している。

 


やはりどこを切り取っても、

「人生に不平不満がなくなる」

なんてことは期待できないことが分かるばかりで、

金持ちになっても、

名声を得ても、

 


…それから、最高の伴侶を見つけても、

不平不満のない幸せな人生なんて、望むべくも無い、のだ、と悟るばかり。

 


そう、無くならないのだ。

「嫁とはもう何年も話してない、君に会うのがもっと早かったら! 君こそ相性ぴったりだ!」

と泥沼不倫の果てに

(あるいは円満離婚の後に)

再婚したところで、別の不満が出てくるだけ、なのだ。

 


人間という生き物、生命として、生物としてそうなってるのは理解できる。

満足したら怠惰になる、工夫がなくなる、だらける。

そうすると種として弱くなる。

外敵にやられやすくなる。

絶滅しやすくなる。

常に不満と不安を背中に負って、

だからこそ用心し、だからこそ工夫を重ね、

人間文明は発展し進化してきた。

 


冬に凍えるのが不満で住居を作った。

夏に冷たいものが飲めない不満から冷蔵庫を発明した。

春に1人でいる寂しさが不満で恋に落ち、

秋にその相手を不満に思って別れるのだ。

 


人は、幸せになれないのだろうか?

不平不満のない世界、環境にたどり着けない、のだろうか?

…多分、イエス、なんだ。残念なことに。

僕らは生涯不満と糞便を垂れ流して生きていく、ほかないのだ。

 


そこに一つ救いがあるとするなら…

それは、諦め、だろう。

諦めれば、不満にも耐えられる。

ため息一つで受け流せる。

全部すべて諦めてしまって、もういいや、しょうがねぇやと受け入れる、

そして柳の葉のようにふわふらと受け流していれば、

…張り合いはないかも知れないが傷つかない。

 


私はぶっちゃけ、これが夫婦間のコツであり、真実であると思っている。

夫婦は必ず不平不満の2人となり、

しかし諦めてしまえば…それで柳のように穏やかな流れる日々がおくれるだろう、と。

 


しかし人間は欲深なもので、どれだけ全てを諦めようとしても、それでもどうしても、たった一つの譲れない何かが残るものである。

 


それだけを。

 


それだけにこだわって大切にしていけばいい。

それだけを。他を諦めろ。

考えたら現代人は、色々持ちすぎているのである。

大切なものを抱えすぎているのである。

あれも大事、これも捨てられぬ、と二つしかない両腕を振り回し24時間しかない時間を切り売りして割り当てる。

 


だから、不満なのだ。

 


ほんとのコアなものだけに自分の視点を固定することができれば、他は些事。

肝心なものだけに集中できればそこに色濃く時間を使えるし鍛錬して満足度をどんどん上げられる。

 


諦めよ、諦めれば、見える。

 


…と思うから、どうか、

仲違いしてるママパパ、

不倫相手こそ相性がいいと錯覚してるアンタ、

金さえあればと嘆いてる死んだ目のサラリーマンたちよ、

…まぁ諦めようや。

それが、ヒト、だよ。