消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

考察「外人と付き合いたがる女性について」

男たちはこんな経験を持ったことはないだろうか。
HUBあたりのアイリッシュバーで、
明らかにモンゴロイドとは異なる容姿の外人に、でれでれ目じりを下げてる大和撫子

「・・・け。 金髪風情のどこが いいんだか」
ビールが妙に苦々しく感じる瞬間である。
ここにあぶれた日本男児がいるというのに、なんでわざわざアーリア人のDNAに反応しているのか。
男にとってはその時、 ペリーに屈して開国した江戸幕府を呪う 他ないのだった。


人類の脳の大半は、ロジカルな構成で作られている。
論理的、即ち言語的思考というやつで、
つまりつまり 「日本語で考えて日本語で感じてる」 ってことだ。

私はそういう意味で、日本人と外人、異国籍文化の恋愛は成立しない、と私は考えていた。
人が思う以上に言語、母国語というのは人の「こころ」に根ざしていると思う。
主語、述語、助詞、助動詞、接続詞。
「思考」の源泉に使われてる「基本的な OS 」が異なるのが、異文化コミュニケーションだと考える。

Windowsマッキントッシュ
IBM大型汎用機とLinux.

ファイル構成からプログラム体系、「abc」ですら異なるマシン同士を仲良くさせるためには仲介者が必要となる。
HULFT、というミドルウェアがお薦めです。ええ。はい)

人間で言えばNOVAやらジオスやら翻訳コンニャクやらバウリンガルやら、
まぁ頭の中で「変換」してるとは言え、ワンクッション必要とする。

つまり明かなコミュニケーションの遅延と誤解を生むのである。はずである。
(もっとも、私は人間と人間という個別の存在そのものが
 既に相互理解を不可能とするある「限界点」をもつと考えていますが)

我々人間はかなり「コミュニケーションを欲する」生物だと思う。
そしてそれがこれまたかなり「空振りしている」とも思う。
思い当たりませんか?

犬。YES。
「うちのリンダはお話ができるんですよ~」とか言う 若干イカれた派手目な服の おばさん以外は
愛犬とのコミュニケートに苦労しているはず。

猫。 YES。
ついになつかなかったミケの気が知れない。モンプチ、買ってやったのに。

爬虫類。YES。
愛情が通じ合うかと思ったら、やっぱり冷血動物、気持ち通わず捨てたりするから
川でワニが見つかったりして大慌て。

それから・・・子供。
動物ばかりあげてきましたが、赤ん坊というのは人間というよりはケモノに近い。
腹が減ったら泣き喚く、トイレにも行かずに垂れ流す、
およそ理知的とは言いがたい 行動の数々に顔をしかめることなく対峙する存在がある。

母親である。

絶対通じてないだろう、理解してないだろう、と思われる間抜け面のゼロ歳児に執拗に赤ちゃん言葉で話しかけ
(赤ちゃん言葉に変換したところで通じやすくなるとは到底思えないのだけれど)
「はーい、おむつ替えまちょうねぇ~♪」
通じてねぇっての!
「ゃゅょ」をつけたって通じねぇっての

それが母性。


しかしさすがは人の子、
ついこの間までその辺の野良犬より性質が悪かったケモノが片言の単語を話し始め
さらに月日を経て意思伝達手段としての言葉のキャッチボールが可能となる。
まさに生命と学習の神秘。

これ即ち、 コミュニケーションの成長。

・・・似てる。
私は今更ながらに気づかされたのです。
稚拙な英語の黒髪の女性と、「カタカナ練習帳」片手に大げさなゼスチャーを示す金髪。
これってもしかして、 「育児疑似体験」 なんじゃないだろうか!?
徐々に成長していくコミュニケーションを楽しんでるんじゃないんだろうか??
つまり、女性側は性欲、というよりは「母性」で付き合ってるんじゃないだろうか??

白人のディックの方がやわらかい、と聞いて
「それが魅力なんかなー」と(恐らくは)見当違いな予想をしていたのですが
意外に奥が深いのかもしれん、異文化コミュニケーション。

そんで、コミュニケーションがしっかり成立してしまう頃になって
文化の違いから別れたりするんだろうな。
片言だからって外人、 子供じゃないから。
自我が育っちゃってるから。