消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

「いけちゃんとぼく」西原理恵子

テレビにて、「絶対泣ける物語ベスト3」の
堂々の一位に選ばれた西原理恵子の絵本。というかマンガ。

西原理恵子ファンとしてはチェックせねば、と思い読んでみた。

泣けなかった。

これだったら全然「ぼくんち」の方がぐっとくるし
「ゆんぼくん」の方がきゅんきゅんくるし
「できるかな」の方がある意味涙が止まらない。

テレビで紹介された際には、確か3位だったか、
劇団ひとりの「陰日向に咲く」の一説の方が
はるかにきゅんきゅんきた。

泣く、物語を読んで泣く、とは、なんであろう。
僕は郷愁であると思う。
多分、人は知りもしない事では泣けないんじゃないかと思う。
全然関係ないことでは感動しないんじゃないかと思う。

例えば、半導体の数千本の銅線がμミリという極最小の幅につながれていく、
その時一本だけ切れてしまった、そんなストーリーを人が読んで、泣けるだろうか?
半導体メーカーのおじさんでなければ泣かないのではないか。

例えば、円周率が有限であった、と聞いて泣けるだろうか?
そこに至るサイドストーリーがなければ泣かないと思う。

例えば、アセンブラプログラムのベースレジスタが足りなくなった時、
奇跡のように一つだけ使っていないレジスタがあった、
なんて聞いて感動する人間がどれだけいるだろうか。
ものすごくマニアックな一握りだと思う。

例えば、日本酒製造の工程において「奇跡のように美味い酒ができた」と聞けば
それは「ほほぅ」と思うかもしれないけれど
その奇跡のように美味い酒を奇跡のように美味く陳列できた、
なんて陰の努力は、ちっとも物語にならないだろう。


これらの点から、共感がなければ心は振れない、
と思うのだけれど、検証例としては正しかっただろうか?
(マニアックすぎてないだろうか?)


西原理恵子の作品から「感動」という心の振幅について捕らえようとしたのだけれども
少し作品から離れてしまった。
しかしこの作品について深く書くと、大事なところをネタバレしてしまう事になりそうだから
ちょっと書きにくい。

先の例から、
あるいは、同じ体験をしたことがある人にとっては
泣けるストーリーなのかもしれないが、
現実に過不足なく幸せな人間の心に響くものではない、と感じた。

それは捕らえる人間側の問題だろうか?

「ぼく」の元には謎の生物(?)いけちゃんがいる。
時々訪ねてくる。
友達のような・・・仲間のような・・・
いけちゃんは「なめてのか」っていうぐらい簡単なデザインの生き物で
どんなに絵が下手な人間でも簡単に似顔絵を書くことができる。
ぼたもちが、少し伸びて尻尾みたいになってて、
でかい目をまるくぐりぐり書けばそれがいけちゃんだ。

いけちゃんは困ると20分の1ぐらいに縮んだり
哀しいと分裂して増殖したり
非常に謎に包まれた生態系である。

喜ぶと噛み付いてきたり怒ると顔面をすっぽりかみついたり、
わがままっぷりがなかなかかわいい。

ぼくは小学校前ぐらいの年頃からだろうか、
幼い日々からスタートして、ぐいぐいと成長していく。
男の子の成長がおそらくはこの作品のメインテーマで、
そこには確かに、失われていく幼さへの一種哀しさ、憧憬がある。
これは西原お得意の分野と言える。

今回、わざわざテレビでピックアップされたのはそれだけに留まらない、
最終3ページほどで語られる「いけちゃんの正体」ということになるのだが
さて、ここに、前書きを長々させてもらった「共感」が出てくる。
共感、あるいは「その物語を自身の現実として感じる」ことができる場合に

物語は心に一撃を与えるものになる。

その感想はそれぞれご自身で確かめて欲しいが
ここはあえて「立ち読み」を薦めさせていただく。
わりと短い物語なので、店員さんに白い目で見られる前に読み終えることができた。
高そうな装丁の絵本を買わないで済んだ。


それにしてもー
この絵本を知るきっかけとなったテレビだが、
「いけちゃんとぼく」のラストシーンを見事に放映しててくれた。
推理小説じゃないんだから、犯人がわかったら面白味がなくなる、というものでもないが
そこは出さなくてもよかったのではー・・・
しかし出さねば番組として成立しないし・・・


感動は「心が動く」ことである。
これは、何も「いい話」「じーんとくる」「心があったまる」などの
いわゆるいい話系ばかりに当てはまる挙動ではなく、

例えば「びっくりする」も感動で、
そう言う意味じゃ、いけちゃんの正体に「びっくりする」という感動はあるかもしれない。
しかし、前振りもほとんどなく、読み返してもああなるほど程度であり
無理矢理いい話系にまとめたような流れの悪さばかりが目に付いた。

ぼくんち」は超えてねぇなぁ、と。


そんなこんなで、この作品には、私個人としてはいまいちシンパシーをもてなかった、と。
一方の、例で出した劇団ひとりの「陰日向に咲く」の、
テレビで紹介された一説は、
実際に我が母親が「オレオレ詐欺」の餌食となった経験があるためか、
ぎゅんぎゅん心が締め付けられた、と。

それは悔し涙だったのかもしれないけれど。