転がれ!たま子
ものづくりをする人間は、
それが世に出されるものならば、
「ぐ」
と手ごたえを感じるポイント、
いわゆる「ぐっとポイント」というものがあるものである。
たった一行の表現のために小説を書く人間さえいる。
ぐっとポイントは、それだけで、表現に突き動かす根源的な力、
オリジン(起源)となりうる力である。
体感する側は、ひとえに、そのぐっとポイントに同調するか否かにかかっている。
さて。
「転がれ!たま子」というこの映画、
一体全体「ぐっとポイント」はどこにあったのだろうか。
製作サイドに「これはイケる」「これでイコう」
そう思わせたポイントが
初期衝動のオリジンがあったはずなのだがー。
まさか「パンなら焼ける」でもあるまいし・・・
受け手として、全く波長を合わせることができない作品であった。
どうしても自己満足的にしか感じられず、
まぁ表現それ自体は自己満足を絶対出ることはないのだからいいとして、
じゃあほんとに自己満足してたのかよ、あんたらは、
と製作サイドに問いただしたいくらいである。
ま、とにかく、ひとえに波長があわなかっただけの結果だろうから、
特に珍しいことでもないけれども、
たま子の何が転がったのか、
せめてそれだけでも腑に落ちたらと、
それだけが残念だった。
それが世に出されるものならば、
「ぐ」
と手ごたえを感じるポイント、
いわゆる「ぐっとポイント」というものがあるものである。
たった一行の表現のために小説を書く人間さえいる。
ぐっとポイントは、それだけで、表現に突き動かす根源的な力、
オリジン(起源)となりうる力である。
体感する側は、ひとえに、そのぐっとポイントに同調するか否かにかかっている。
さて。
「転がれ!たま子」というこの映画、
一体全体「ぐっとポイント」はどこにあったのだろうか。
製作サイドに「これはイケる」「これでイコう」
そう思わせたポイントが
初期衝動のオリジンがあったはずなのだがー。
まさか「パンなら焼ける」でもあるまいし・・・
受け手として、全く波長を合わせることができない作品であった。
どうしても自己満足的にしか感じられず、
まぁ表現それ自体は自己満足を絶対出ることはないのだからいいとして、
じゃあほんとに自己満足してたのかよ、あんたらは、
と製作サイドに問いただしたいくらいである。
ま、とにかく、ひとえに波長があわなかっただけの結果だろうから、
特に珍しいことでもないけれども、
たま子の何が転がったのか、
せめてそれだけでも腑に落ちたらと、
それだけが残念だった。