消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

「ガダラの豚」中島らも

ガダラの豚中島らも


三分冊となる長編作品。分冊がそのまま、三部作の様相を呈している。
既に故人となっている作者の、代表作と見て間違いないだろう。
ぎょっとするほどの力作である。
日本推理作家協会賞受賞。

どのくらいぎょっとするかというと、
知識欲の満たされ具合が、ちょっとした民俗学論文なんか
目、じゃないくらいの詰め込み加減。
参考文献の量もすごいけれども、
それをすらすらとエンターティメント・ストーリーの中に
ちりばめるさりげなさが、すごい。

あくまでストーリーを重視、
ストーリーを何重にも何重にも「濃厚」に味付けするスパイスとして、
学術的な、
あるいは仏教識学的な、
時に超能力的な、
時に奇術トリック論が、
一方で心理学、
そしてなんといっても、アフリカ文化人類学と、呪術。

最高のスパイスを惜しむことなく使いまくった、
最高の肉料理。
そんな味わいとなっている。

つまり、「絶賛」したいわけで、
それだけでなく、なにやら「勉強になりました」というのが、
感想となるのであります。

日本推理作家協会賞を受賞しているけれども、
今日本で「推理小説ですよー」と手渡される類の本とは、
全く異なる分野にある。

ジャンルわけするのは少し無理があるけれども、
少しオカルティックな娯楽小説。
こんな表現がぴったりかと思う。
ひとこと、「娯楽小説」でも良いのだけれども、
私のような、夜の一人のトイレに度胸を要する人間にとっては
それなりの覚悟を決めるべき小説の類といえる。

かなり怖い場面があって、思わず本を閉じたのは事実。
かといっても、避けて通るにはあまりに惜しい快作。
「辛いものが嫌いな人でも、絶対喜ぶスパイシーな肉料理」なのだ。

しばらく、これだけうまい料理を食べてなかったためか、
本当に充実した読書であった。
作家になりたい、という夢や目標を一瞬考え直すほどの、
偉大すぎる作品であった。


ほめてばかりいてもよくわからないので、
概略と、お薦めポイントを記しておきたい。

中島らもは、ご存知、アル中作家で、
泥酔して階段から落ちてしまい、数年前に圧倒的に惜しまれつつ亡くなられた。
その自身の死に方を予言するような記述が残っていたりするのだけれど、
ガダラの豚」はそんな日常に点在する非日常に焦点をあてている。

一番にスポットをあてているのは「人間の認識力」という部分だと思うけれども、
特にそんな小難しいテーマをもって書かれているわけではない。

物語は聖書、マタイ伝の暗示的な引用「ガダラの豚」から始まる。
続いてこれまた暗示的なプロローグ、
日本の禅寺での、大阿闍梨の祈祷場面が描かれる。
この辺でもう、情報量に圧倒される。
ストーリーの進行を妨げることなく、
禅寺、密教の祈祷にちょっぴり詳しくなる。

で、引用とか禅寺の祈祷とか、なにやら難しそうな話だなぁと思うけれども、
本編は現代の日本人、数名の視点を中心とした冒険ものになっている。

第一部は、舞台は日本。
超能力、イカサマ宗教、そのトリックなどをスパイスに、
推理小説的な、組織の謎に迫る痛快ストーリーとなっている。

続く第二部の舞台は、アフリカ。
民俗学的アフリカ、呪術学(なんてものがあればだけれど)的アフリカの、
非常に踏み入った情報をふんだんにちりばめながら、
異国の地で大きな謎の中心に踏み込んでいくストーリーが展開される。

そして驚愕の第三部は、
なんというか、それまでの二部から思い切り趣向をかえて、
静かにせまる恐怖を、臭ってきそうな迫力で描きながら、
最後にはハリウッド的な大スペクタクル的アクションで幕を閉じている。

こうして三部の特徴を並べただけでも、
幕の内弁当的に「うまいもの」が詰め込まれていて
読者は全く飽きることなくこのジェットコースターに乗りっぱなしになれる。

「幕の内弁当」と表現したのは間違いかもしれない。
展開は「幕の内」だけれど、内容は一本のテーマをもって進み、
ちらばることがない。

それが、「呪術」
と書くと少し引いてしまう。
けれどもこの作品、呪術をメインテーマにしながら、
あまりオカルトっぽい雰囲気を感じさせない。
呪術への興味は、この作品に相対する際には、全く不要だろう。

それが、この作品のお薦めのポイント。
妙に満たされる知識欲、に起因する。

もちろん、物語として非常によくできていて、
そのジェットコースター・ストーリーがすばらしく楽しい点が、
小説としての最大の魅力だけれども、
この小説の中にふりかけられた情報やレトリックという
数多のスパイスに、
人は喉の渇きを癒されるような心地よさを覚えるはずである。

大量の愉快な情報が、それを越える大量の論文、参考文献から抽出され、
ガダラの豚」のエッセンスになっているわけだが、
学者の作品と違うことは、全く退屈を感じない点だろう。
どうしても冗長になってしまうであろう説明の部分を、
なんとも見事に物語の中に収めている。

この作品を読む直前に、ちょうど対照的な「説明的」小説を読んでいたため、
余計に中島らもの天才的なレトリックに飲まれてしまった。
とにかく面白くて、「乾き」が癒える作品である。

万難排して読まれたし。


そして、
私ごときの読解力では一読し終えた今、さっぱりわからないのだけれど、
なぜこの作品は「ガダラの豚」という、
非常に重要なキーワードを与えられたのだろう?
その辺を、今度読むときは意識して、
自分なりの結論にたどり着きたいと思う。