消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ジョージ秋山先生と村上春樹の不思議なつながり

ジョージ秋山先生の傑作、「教祖タカハシ」を購読した。
アマゾンの中古で5000円がつくプレミア本である。
なぜこのような良書がベストセラーにならず、
レアさ極まってプレミアがつくのかわからない。

日本国民正座して読め、
と真剣に思うのだがそれはさておき。

この「教祖タカハシ」の感想文は別の機会に書くことにしまして、
本日感じた不思議なつらなり。

仏教典における輪廻のような
いやちがう、拝火教における火と風のような
いやそれもちがう、ヒンドゥーにおけるヴィシュヌのメタモルフォーゼのような

いや多分全部ちがう、
これは、ただのイデアだ。
向いてる方向が同じであるのならば、手段(宗教)が異なっても
最終的には同じところにたどり着くという、あれだ。



私は過日、人生を拠り充実させ残業の多い仕事に対応するために
速読法に興味を示し始めた。

その一方、なんの関連もなくジョージ秋山先生の「教祖タカハシ」を
ヤフーオークションで落札した(思いのほか高値となってしまい結構へこんだ)。

「教祖タカハシ」に興味を覚えたのは安野モヨコの(こちらは呼び捨て)作品にて
わずか数コマ作品が出てくるからであって、
嫁が欲しがったからである。



速読法の本と「教祖タカハシ」はほぼ同じタイミングで手元に届いた。
まず速読法を読み進めると、
(やけにいかがわしい体験談が、実に本の半分のページを占拠していたが)

日本速読協会の奥義は、丹田呼吸に始まり丹田呼吸に終わることがわかった。
丹田はチャクラのひとつであり、へその下にある。
へその下には特にチャクラが集中しており、
丹田中丹田、下丹田と数センチ幅で股間へと降りていく。


日本速読協会の丹田は下丹田を対象としていたのは少々特異的で、
たいてい丹田といったら上丹田、へそ下3センチであろう。
(下丹田はへそ下10センチ)


続いて読んだ「教祖タカハシ」においても、
やはり奥義は丹田にあった。
正確には「神気」であり、
それをチャクラを通過させて体中(さらには他人と)「めぐらせる」ことが
重要な修行であり奥義であるものの、

まずなんといっても丹田集中の修行から入っていた。


しかしこれはどちらも至極当然な流れで、
気功法と仏教を融合させたような独自の教義を展開する「教祖タカハシ」も
集中力と精神パワーの鍛錬を目的とした日本速読協会も、
目的とルーツは似たようなものである。
ここで同様に丹田が登場したからといって騒ぐことはなかった。



しかし、
次にあらわれた村上春樹の「アフターダーク」で、
端と何か霊的なものを感じたのである。
もっとも、私には残念ながら霊感と呼ばれるものは一切備わっていないので
「世の中にめぐらされた赤い糸に触れた」
そんな表現がふさわしいだろう。



アフターダーク」は随分前に読んで、非常にいまいちであった旨を感想文に書いた中篇である。
いまいちであったゆえ、読み直す気などさらさら無かった。
たまたま、速読法の訓練に文章を使う必要があり、
なぜかたまたまアフターダークを手に取っただけだった。


羊をめぐる冒険」でも
ねじまき鳥クロニクル」でも
スコット・フィッツジェラルドブック」でも良かったはずであるのに。
(「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は最近再読したので候補にはならなかった)



アフターダーク」には重要な登場人物として「高橋」なる青年が出てくる。
いやいや、たかが高橋つながりで騒ぐわけがない。
犬がいてネコがいるのと同じくらい気にすることではない。


アフターダークの高橋は、文中で意味深な座右の銘を伝える。
この座右の銘がけして適当なものではない証拠に
物語の序盤と中盤に印象深く使用される。


「ゆっくり歩け。たくさん水を飲め」


これは、丹田訓練に通じるある種のメソッドである。
「教祖タカハシ」における「雁の舞」
日本速読協会における丹田呼吸法と通じる行動規範である。


このシンクロニゼーション。


日本速読協会はとりあえず置いておくにしても、
「教祖タカハシ」と「アフターダーク」の高橋をつなぎうるものがあるだろうか。

一致点はたった一つのこの丹田呼吸を思わせるものであるが
そこから発せられるメッセージが同じであることは非常に興味深い。


村上春樹は教祖タカハシに会ったのだろうか?
教祖タカハシは一説には不死の存在で同時多発的な存在であるとされている。
村上春樹が若き日の教祖タカハシと接触
そのイメージが作品に投影されたとしたら?


……妄想というのは、止まらない列車である。
どうでもいいことでここまで文章を書く自分の才能に名をつけるなら
「うそつき」
これしかないであろう。