消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ダムを作る、ってほんとに「悪」なの?

情報を発信する側には責任がある。
そして誤った情報を出す場合には罪さえある。
テレビという、誰でも、判断力の浅い子供でもいつでも見ることが出来るメディア。
ここで嘘を流したらどうなるだろう。

例えば「ダムは悪い」とか、「大人はいつでも嘘をつく」とか。
それって本当なの?

そういう偏向的な教育をする教師がいたら弾劾されるべきであるし
扇動的、偏向的なアニメもまた糾弾されるべきだろう。
今日はそんなアニメを期せずして見てしまった「怒り」を綴る。


夏休み最終日、「ミヨリの森」なる長編アニメを見た。
Wikipediaミヨリの森
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%A3%AE

予算2億、構想3年、スタジオジブリという
力の入った作品である。
近年見た中でも最悪の部類に入るひどいアニメだった。
あまりにも腹が立ったので少し所感を書く。

内容のひどさもさることながら、
このアニメを見た夏休みキッズたちは
一体どのような感情、感想を「学んで」しまうことだろう。
罪は大きいぞ。



話がそれますが、数日前にフランスのアニメ映画
アズールとアスマール」を見た。
こちらは素晴らしい映像だった。美しくわかりやすいストーリー。
情操教育にさぞ良いだろうと思う作品。

一方わが国の作った「ミヨリの森」ときたら……。


ミヨリは東京に住む仲の悪い夫婦の間に生まれた女の子。
仲の悪さの挙句妻はミヨリ(10歳?)をおいて出て行き、
夫は仕事が忙しいのでミヨリを実家に預けることにする。
物語はその、ダムに水没しかけている山奥の村にて展開する。

この村。舞台設定はどこなのだろう。
おばあちゃんの家の精霊グッズや森の具合は沖縄やアイヌの様式が混ざっているみたいで
非常に文化圏が特定できない。

この森にはたくさんの妖精だか妖怪だかが住んでいるのだが
これらの住民たちのデザインもどこの文化圏ともそぐわないオリジナルなものたちだ。
結構悪夢のようなデザインの妖怪がいたりして楽しい。

さてこの村、どうもダム候補地らしくダム建設業者の悪人面の大人たちが出入りする。
ミヨリは森の長なので森を守るべく、
天然記念物のイヌワシが森に住んでいる、という「嘘」をしたてて
ついには森を守ることに成功する。

……正義はどこにあるのだろう。


私も子供の頃から
「ダムに沈む村」と「ダム建設から救う少年少女」という
勧善懲悪ストーリーを良く見てきた。
ここではたと気がつく。
「ダムを作るのって、悪いことなの?」


そこでちょっと調べてみた。
「造ってよかったと言われるダムにしてほしい」
↓ダム好きさんのインタビュー
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TPage/TPIntHA.html


不要なダムもあったみたいだけれど
ダムを造らなくてはとんでもないことになってしまう地域もあったそうだ。
ミヨリの森のダムは本当に不要だったのだろうか。
ミヨリの森は救われたけれど別の村が水没していたりするのではないだろうか。


ダム造りを推進する悪役としての大人たちの表情や行動もものすごいものがあった。
イヌワシが居てはダムが造れないからと、イヌワシに化けた精霊を
いきなりライフル射撃


それからすっかり忘れられている、ミヨリの父と母の問題は投げっぱなし。
ほうりっぱなし。


エンディングテロップを見ながら
これだけたくさんの人がこの作品に関わっていながら
なぜ誰一人として「まずいっすよ、これ」と
わずかでも警告を発しなかったのか。


絵柄や話の強引さ、勧善懲悪な流れや正義の情報操作が
非常に宗教的においを感じさせたのだけれど
特に宗教は関わっていないらしい。


何はともあれ
腹の立つ二時間であった。
子のいる親たちは「アニメだから」という理由だけで
何でも見せてよいわけではないということを肝に銘じよう。

昔はもっと子供のことを考えてアニメを作ってくれていたように思うのだがな。