消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ピース大阪の責任は誰がとるの?

戦争記録を残し大阪の小中学生に「戦争の真実」を
伝えるための施設、ピースおおさかで、「また」捏造騒ぎがあった。
日本による朝鮮人連行と強制労働の事実を伝えるため
展示されていた三昧の写真が、すべて展示内容、説明書きの事実とは異なる、
全く違う写真であったそうだ。

ピースおおさかの間違いは小林よしのりの「戦争論」でも
何度も指摘されている。
誰かの指摘には
「左翼は息を吸うように嘘をつくな」
と記載されていた。

さて。
意図された捏造なのか不幸な過ちなのか、気になるところだが
それより問題は責任の所在と修復である。
先にも書いたように、この施設は小中学生への教育施設だ。
毎年多くの子供達が訪れて戦争の悲惨さと真実を学んでいく。

もし仮に、この施設で誤まった歴史や事実が展示されていたら?
子供達は簡単に信じるだろう。

それって、韓国中国で行われている反日教育と、何が違うんだ?

「写真間違ってましたーすいませんー」
その程度で済む問題だろうか。
写真は間違えていたけど教育にとって問題のある展示は
存在しませんとピースおおさかは断言できるだろうか。

私がにわか右翼のように責め立てても薄っぺらいので
いつものように「皆さん」に振る。
本当に正しいものがなんであるかは自身で調べて頂こう。

私が本日問題視したいのは、
・教育の現場に間違いがあったこと
・その訂正と謝罪の責任はどうとられるのか
の二点である。

教育がどれだけ恐ろしく扇動的なものであるか、
あるいは皆さんは中国、韓国の何かしらの例で
熟知しているかもしれない。
あるいはその最も極端な例として北朝鮮を思い浮かべるかもしれない。
そしてどの事例でも、人間にとっての教育の重要性が
痛感されるのではないだろうか。

あるいはもっと極端な例を出そうか。
オウム真理教統一教会創価学会幸福の科学
宗教における教義を思い出すと、どうだろう。

上にあげてきた事例はピースおおさかには当てはまらないだろうか?
当てはまらないならば別に良い。
ある博物館が誤まった資料展示に対して謝罪すれば済む。
でも本当に?
それだけで済む?

大阪という大都市で多感な時期を過ごし
スポンジのように先生の言葉を吸収して大人になった時、
その教えが誤まっていたと発覚したら?
しかもそれが恣意的な誤りだったら?
作為的な教育だったら?

あなたもあるのではないだろうか。
大人になった今でも、根拠や論拠を越えて守っている、
親や先生の言葉が。

幼年期の言葉というのは非常に重要、非常に重い。
教育次第ではどんな悪人でも善人でも作れると考えられている。
その洗脳的教育が街ぐるみ地域ぐるみで行われていたとしたら…
いや国家規模で行われてるとしたら…

大人になれば情報は自分で集められる。
しかし集めた情報も、受け取る人間の素地がなければ役にたたない。
文字が読めない人がネットを見ても意味がない。
情報的文盲にされてしまっていたら、再教育は難しいかもしれない。

そういう恐怖を、今回のピースおおさかの件では感じている。
重い責任のある位置にこの施設はあったはずだ。
日教組とか左翼とか社会主義とか韓国中国とか。
子供はスポンジだから簡単に吸収してしまう。
子供の教育は非常にシビアなタスクだ。
それをこなす大人達を、まずは正さなければなるまい。

ピースおおさかの、原因追求と責任追求を求む。