消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

上にぶつかるのは楽しい。下に教えるより。

三年という、短い区切りでやっているような
中学高校の活動ではわからない感覚が
社会人にはある。
君らには想像もつかないだろうけど、
(と、中高生向けに話してみる)

会社ってのは長いんだ。長いんだ、これが。
業種にもよるが三年一期ってとこがあって、
三年やって一応戦力、
もう三年やって成果をだして
次の三年で後逸を育てる、

ってこの一個の業務スパンで十年ですよ、あなた。
単純に計算すると、
65歳の定年までで、
四つか五つのバンドしかできないんですよ。
意外に、少ないんだ。

部活に入った時は
三年はもう別次元、って感じに偉そうで
話しかけるのもおっかないくらいの、
畏敬の念、だったわな。

一方二年は、
自分らと対してかわらないくせに(と一年には見える)
やたら偉そうに威張ってて、
とにかく感じ悪かったよな。

あー早く二年卒業しねーかなー
さっさとレギュラーになりてーなー(三年になって)


そんな感じだったと思う。

じゃあ会社はどんなもんじゃ?
まず、三年で上は卒業してくれない。
そもそも卒業がほとんどない。
定年しかない。

23歳で入社したら32年、
一個上はずーっと、一個上。
先輩はずーっと先輩。
上司はずっと見守ってくれるパトロン
…頼りがいがあるか否かは別にして。

親、教師、先輩、バイト主任。
人生、上役がいないことはほとんどない。
それに突っかかるのは楽である。
反発して反抗して主張することはやりやすい。
デカイ相手の方が批判しやすいものなのである。

陰口もあるし、度胸があれば直接ぶつかることもできる。
相手は上なので、実はわりと答えを知っていたりする。
ぶつかってくる若輩者を、
時に受け止めて
時に怒鳴りつけて
時にわざとほったらかして

正解へ導いたり
失敗させることで成長を期待したりする。
それが上司。それが上。
それが、後逸を育てるということであり
人類が連綿の歴史の中で繰り返してきた
真に人間的な文明的な成長である。


ところで、あなたは自分が上役になった時、
こんな風に思ったことはないだろうか。
あーもうこいつできないな!
まだおわんないのかよ!
俺がやった方が早いわ!

あー、俺が三人、
せめて二人欲しいわー。

そんな風に。
しかし驚いたことに、あなたは一人だ。
あなたは孤独だ。
あなたは二人いない。
いたら多分喧嘩になる。

部下を育てなければ部下はずっと仕事ができないままだ。
ずっとあなたの負荷は減らない。
子供に日本語を教えなければ喋れないように。

なので、上側に立ったら「育てる」という観点が
必要になる。
それは正解を教えるだけではダメだったりして
自分で考えさせないと身にならなかったり
一つ説教するにも色々考えねばならぬ。

そして懐かしく思い出すのである。
上にぶつかって反抗してジタバタしていた
あの頃は楽だったなぁ、と。
尾崎豊は良かったなぁ、と。


それはちょっと親子の関係に似ている。
悲しいほど完全一致でないのは、

親でもなけりゃ子でもないからだ。
かわいくたって年月が過ぎれば
経年劣化して見てらんなく