消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

津波の記憶、震災の記憶、生きている記憶


あの日から丸一年、
ということが信じられないほど、
東北大震災の思い出、残した傷跡は
まだ日本に色濃く掘りこまれている。
私はつい先週に引越しをしたのだけれど
色々な理由の中において、実は一番大きいのが
地震に強い家に住みたい、であった。
木造築30年アパートの一階は、確かに3/11 にもよく耐えて、
荷物一つ落ちていないという強度であったけれども
その後繰り返される余震の度に不安にさせられたものである。
生きてこそ、とつくづく思う。
生きてこその人生、生きてこその記憶。
やはり死にたくない、と思う。
世界が滅びるとするならば、生きて見届けた上、
最後に死にたい。
あの地震の日も、誰も死にたくなかっただろう。
津波から必死で逃げた人も多かっただろう。
原発の影響で疎開させられたり早死にしたりした人もいただろう。
みんな一様に、死にたくなかったんじゃなかろうか。
生きていたかったんじゃなかろうか。
自分自身が被災せず生き延びることができたことを、ありがたく思う。
あの恐怖の次は、復興である。
多額の金が東北に向けて蠢いているようである、が、
その動きは良いもの、善なるものばかりではないらしい。
「復興ビジネス」が悪いものだとは全然思わないのだけれども
被災者の弱みにつけこむ業者がいたり、
支援者の善意を悪用する裏切り者がいるらしい。
一例で言うと、ある漁師の立ち上げたホームページビジネス。
壊滅的な被害を受けた養殖場を復興させようと、
ビジネスとして出資者を募るビジネスモデルを構築しようとしたが・・
そのためのサイトの立ち上げ、グッズ販売、サイトの運営費で
かなりの火の車になってしまったらしい。
ここで疑問となるのが、
「なんでそんな運営費でもってかれるんだ?」というところ。
詳しくは読んでないんだが、推測の範囲で、
甘い汁的なビジネスに被災者である漁師を、半分位だまして
濡れ手に粟のような仕事をしている業者がいるらしい。

http://alfalfalfa.com/archives/5279997.html

善人ばかりじゃない。
善意ばかりじゃ食えない。
しかし人を騙したり人の笑顔を奪う商売は、必ず手痛いしっぺ返しを食う。
こういう時こそ、わずかにも残った、まともな神経を働かせて欲しいと願う。