消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

雨の大阪、水の漏れるトイレ

出張で大阪に行くことになり、
会議の時間も早いので前入りで行くことにした。
ホテルはとらなかった。
新大阪駅周辺ならいくらでまホテルはあるだろうし
ネットで調べて、評判を調べて、
などという呑気なことをしてる悠長な時間はなかった。
いや、時間の問題ではなく、気持ち
心意気の問題となった。
結局私は自分自身、自分の肉体を含め
ちっぽけな価値観のなかにある脆弱な肉塊であり、
せいぜい貨物車に詰め込まれた程度の
ボンレスハムに過ぎなかったわけで
頭のなかでは、出掛けに水漏れしていたトイレのこと
ただそれだけでいっぱいであった。

五日前の誕生日に引っ越したばかり、
築二年の新しいマンション、
便器なんか頬擦りしたくなるほど美しい。
艶やかな曲線は太ももと臀部を支える卑猥な流線型、
陶器のタンクの汚れない白さはヴィーナスの潔白よりも純血。
最新型のものではないがそれ以上望むべくもない、
神の放尿を思わせるウォッシュレット。

改めて気づくが、私は便器が好きだったのだ。
子供の頃からトイレに籠ることが多く
さっさと出てこいと親兄弟に怒られたりした。
お気に入りの本を抱えて閉じ籠る安心感はあの頃の、
そう、母親の胎内で羊水のさざ波を聞いていた頃を思い出させ
臀部を押さえ込むのではなく抱き止める優しい便座に受け止められると
ようやく居場所を見つけられたような心地よさがある。

誰もがトイレに入り
誰もがトイレに帰る。
もしかして僕らの最初の記憶はトイレなのではないだろうか。
お母さんがトイレであの、
来ないわ、みたいに呟いたあの日の記憶が。

と言うわけで、夜の新幹線で新大阪へ出張する前の一時、
私は自宅のトイレにこもっていた。
安らぎのひととき。
狩りに赴く前人は
昂る自身を制御するために
もっともおちつく場所へ行くと言う。
あるいは逆療法で、
荒ぶる気持ちのままに祭りを行い
アドレナリンの従属物が如く猛るという。
ふ。
私の場合はどちらかな、
などとキザな思考に落ちるのも実は電気がつかないからだ。

暗闇のロンド。
築二年の新しいマンションでトイレの電気がつかないというのも
すごい話であるが
私はむしろその暗闇に安心感を得て
安らぎと慈しみのなかにいた。

その瞬間までは。

...!?
冷たい!?
冬である。そりゃ寒いだろう。
しかし「冷たい」はなんか違う。
それは今の瞬間にはそぐわない。
冷たい?なんだそりゃ?
あ!!床に水が!?
なんだと!?水漏れ!?
うわ、もう支度せにゃ新幹線が!
でも俺これ、出張してる場合なのか!?
このまま漏れ続けたら下の家にも被害が...
いやしかし!
今回の案件は重要な大型案件!
今から代役なんて無理だ!!
いやしかし!
水漏れだぞ!?
ネコが!家財はともかく、ネコが!
泳げないだろ!?
いやしかし!
この件飛ばしたらクビになる!
ネコを育てられなくなる!
家族のため、ネコのため、
ここは心を鬼にして...!
いやしかし...

激しい葛藤の泡に飲み込まれようとも
時間は非情であり、
新幹線の終電の刻限が迫ってくる。
後ろ髪以上の何かをだいぶ引っ張られながらも
後事をネコに託して出かけるしかなかった。
慌てて電車を乗り継ぎつつ、東京駅に到着。
Androidケータイのせいで、コンセントのある席じゃないと困ることを
滔々と係員に説明する。
汽笛が鳴れば、そこは止まらない旅の始まり。
もう我が家が水没してようが戻れない。
涙を流しすぎたので缶ビールで水分を補給。
あとは泣きつかれて眠るのみ。

ホテルは予約してなかったので
適当に目についたホテルへ足を向ける。
日本第二の都市と聞いていたが
新大阪、繁華街という感じではない。
オフィス街、か?

翌朝は、我が心を表すような、雨。
ザンザンの雨。
もしかして、我が家から溢れた水が
東京にて大洪水を起こし
その雨雲が関西を濡らしているのかもしれない。
あぁ、雨!
叶うなら、我が家とネコの無事なることを!!
あと、そろそろ再婚したいぞ!

祈りは届くだろうか。