消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

またスマフォを落とす

以前、買ったばかりのiPhone を1ヶ月くらいで落とした。
画面に亀裂が入りスパイダーマンの模様みたいになった。
でも使えた。

今回、Galaxy の4インチくらいのちょびっと大画面スマフォを落とした。
画面に一本筋が入った。
そして、画面が一切何も映らなくなった。
冗談みたいに暗黒になった。

iPhone の時ほどショックじゃなかった。
あまりこのGalaxy に愛着を持っていなかったからだと思い。
iPhone はヒビ入っても使えたのにな、なんて
iPhone 贔屓なことも思わない。
ただ漠然とケータイがなくなってしまったことを感じただけだ。

徳島出身の三人娘バンド(今は一人脱退)、
チャットモンチー」の曲「シャングリラ」にこんな一節がある。

あぁあーー
気がつけばあんなちっぽけなものでつながってたんだぁあぁ~
手ぶらになって歩いてみりゃ楽かもしんないな


でもやっぱりケータイがないと困るし
何か不安なので昼休みにau ショップへ行き修理に出した。
そして代替機に別のスマフォを貸してもらった。
使いづらいスマフォだった。使い慣れないものはなんでも気に入らなくなってしまう。

何が言いたいかというと、
言いたいほどのことも特に無くて
代替機の不満が書きたかったわけでもなく
ちょろりと落としたくらいで全然使えなくなってしまうGalaxy に文句があるわけでもなく
iPhone 5 がもうすぐ出るらしいという噂に反応しているわけでもなく、

ただ、
ケータイが無い、使えないという状態に対して、
突然舞い降りてくるそういう状況に対して、
何かこう、今回は前回よりもそれほどショックじゃなかったことが
不思議と心に引っかかっていて
「まぁ形あるものである以上いつかは壊れることもあるよね」
という仏教的な解脱の感覚まであって、
この「モノに執着しない」感じが
自分としては気持ちが良かったことを、なんとなく文章に起こせないか
試してみたかったのです。無理でしたが。

この、ケータイを落とす前日まで、
毎年恒例、西伊豆の海で海水浴を堪能しつつ、
ケータイは大いに役にたってくれたのですが、
そういう重要なタイミングを満足行く形で超えられていたからかもしれません。
「役目は果たした」的に見送ったような。


まぁ。
でも。
すぐ修理に出しましたけどね。