消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

政治家であることは公人であること

政治家であることの第一定義、
一番最低限の要素とはなんであろう。

それは「公人であること」だろう。
公人であるということは、発言に社会的、政治的責任が伴うということだ。
私人として、私人である、という言い訳が通用しないところに
元総理大臣という肩書きはある。

だがこれはよく考えてみたら政治家に限ったことではなくて、
社会人になれば誰にでも肩書きはついて回るものである。

アホな発言をすれば出身大学に揶揄つけて批判されうるだろう。
営業の仕事で下手な発言したらどうなるだろうか。
「○○社さんは信用出来ませんわ」
「もう御社とは取引できませんわ」
あり得る話だろう。社会人は会社名をしょっているもんだ。

とすれば、「公人であること」は、社会人として、
大人としてごくごく当たり前のことであり
大人はいつでも、自らの発言、行動を振り返りつつ責任を持ち続けなければならないのだ。

社会人A さんが会社帰りに飲み屋に寄りました。
酔っ払って店で暴れて捕まりました。
さてどうなるでしょうか。
内容や場合にもよるかもしれないですが、懲戒免職の可能性があります。
会社人として生きているのですから。
会社の名前に泥を塗ったり、会社の不利益になる人物と思われたら
解雇は当然のことですよね?
まさか終身雇用を信じて会社を訴えたりしませんよね?
お荷物は切り離す。
これ、会社に限らずすべての組織で起こりうる判断ですよね。


だから鳩山由紀夫氏は日本社会から切り離すべきです。


「切り離す」を最も最適に実現するのは、国家反逆罪で拘束、罪に問うことです。
「元総理大臣」という肩書きを剥奪することは不可能です。
歴史的事実だから。
だから日本政府が「鳩山由紀夫氏はもう日本国政府と関係が無く発言も無力である」
といくら諸外国に発信しても、100%の認識と理解をもらうことは難しいでしょう。
だから「切り離す」には、身勝手なことができないような拘束を伴う必要がある。

考えてみれば政治家って難しい。
政治家だった過去は消せないから。
公人性が一生涯消えないものかもしれない。
彼ら政治家が老人性痴呆症とかを発病したり、
何か心身躁鬱とか何かしらの症状がでて
問題発言をするような病気になったとしたら。

それは実はかなり危ないことなんじゃないだろうか。

一度政治家になった以上、「公人性」からは逃れられない。
その覚悟を持って政治家になるべきである、とは思う。
とは思うが、果たして、彼らを生涯に渡って監視、拘束できるものだろうか。
言論弾圧、公安、なんか戦前のきな臭い発想が頭をもたげる。

が、それらは極端な話として、目に見えて害悪を垂れ流している公人は
法的にも取り締まるべきである。
元総理大臣が日本政府と全く異なる見解を
よりにもよって利害関係にある外国の公人に発言する、など、
あってはならない事態である。

鳩山由紀夫元首相、尖閣諸島は盗んだものと思われても仕方ない」
http://www.j-cast.com/tv/2013/06/26178028.html



暴言発言での批判を苦にされた政治家もいる。
岩手県議会議員、小泉光男氏は、
病院に行った際、会計時に受付番号で呼ばれたことに激昂した。
「刑務所の囚人番号か!」
と怒り心頭、会計担当に文句行った後会計をすっぽかし、
それでもまだ怒り収まらず病院に電話で苦情を入れている。

その怒りの想いをブログに綴ったことから世間に事情がさらされ、
ブログは大炎上することとなった。
http://www.j-cast.com/2013/06/10176952.html?p=all


私もそのブログを読んだが、
「囚人でもないのに番号で呼ばれたことへの怒り」
「無礼なことをされたのだから会計などできるわけがない」
「そもそも金を払う客に「金を払いにカウンターまで来い!」と呼び出す態度」
などの点に怒りを表しつつ、
「皆さん、私は間違っているでしょうか?」
と公的に呼びかける形でブログを綴っている。

で、当然「間違っている」という猛烈な批判を浴びることになったのだが
その批判を苦に自殺されたらしい。
http://www.j-cast.com/2013/06/25177961.html


人の死に対して批判、批評するのはフェアではない。
が、ミスを死で帳消しにできるということでもない。
あまりにも重い選択を取られたわけであるが、
それで「なかったこと」になるはずもない。
私としては(あまりに偉そうな言い方で申し訳ないが)
「なんと弱い」
というのが感想である。
態度、言葉、成果で応えていくのが政治家、否、大人である。
ミスをしたのなら取り返すことが肝心であって、
逃げる選択肢しか見出さない人が政治家や大人であってほしくない。

私だって逃げたい。でも逃げてどうなる?
悪かったのなら謝ることだ。ミスしたなら反省することだ。
上手く行かないなら上手くいくよう頑張ることだ。
そりゃ、時には一歩引いて時間を流すのも戦略として有効な時はある。
が、自殺はないだろう、自殺は。戻しようもない。

ことの重大さを公人として重く強く受け止められた、と思いたいが、
小泉光男氏、もうちょっとすべてをまともに考えて欲しかった。


社会人である以上、公人。
語るのも馬鹿馬鹿しいが、先日こんな事件もおきた。
復興相の参事官が、ツイッターで暴言を吐いてて更迭された。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013062100171


こうやってちょびっと並べた不祥事以外にも、
「公」という意識があまりにも気迫な時代である。
一方でネット普及で個々人が思っている以上に「個」が公開される時代になってる。
面倒な時代、とも言える。
だが避けようもないこんな時代なら、
利便性は利便性として享受して、
あとは自力で自らを守っていくしかないじゃないか。

個は個を守る。
それがひいては「公」を守ることに、なってほしい。
鳩山由紀夫のような爆弾を落とされては、
日本国民全員が頑張ってきた個の努力も公の努力もご破算だが。
(だから逮捕拘留は当然だと思いますが皆さんいかがですか)