消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

無駄と無意味の想像を絶する無駄さ

私は時折、同じことをブログに書いたりする。
ツイッターで全く同じネタをつぶやいたりする。
こんなに無駄なことがあるだろうか?

記憶力の本当に乏しい人間であるから、
(ほぼ記憶障害だと思っている)
同じことを二度三度と言ってしまうことは、もうしょうがない、
それは申し訳ないがゆるしてほしい。

代わりにあなたの代わり映えしないくだらない悩みだって、
初めて聞くみたいにいつも驚きと興味を持って聞いてあげるから許してほしい。

酒の飲み方が下手だからか、安酒が出される店になぞ行くからか、
時に全く記憶をなくす飲み方をしてしまうことは、もうしょうがない、
それは申し訳ないがゆるしてほしい。

大抵の場合、ちゃんと支払いはしているし、
たとえ支払いを忘れてても後日請求されればちゃんと払うので
(それが悪意のある二重取りであっても払うので)
どうか許してほしい。


しかし、だからといって、同じ内容の、意味のないブログ発信、ツイッター発信を、
許してしまっていいものだろうか。
世間が許してくれるのだろうか。

考えてほしい。
いくら高磁気ディスクの技術が飛躍的に進歩しているからといって、
データ蓄積の限界は必ず存在し、
そして文字データ一つとっても、0バイトでは決して無い。
どれだけ高度な圧縮技術と画期的な関数を駆使したところで、
私のくだらない上に重複したメッセージは、
確実に、ほんのわずかであっても必ずそこに、
データとして存在し、サーバのディスク容量を逼迫しているのである。

考えてほしい。
3G だLTE だと通信技術は発展発達の一途であり、
かつてのアナログ回線、ダイヤルアップ接続からは想像できないほどの、
高速、高品質、低価格なデータ通信技術が普及し、
我々はネットを閲覧して回るとき、ほとんどストレス無く次の頁をクリックできるようになった。
寒い冬のアパートでパンツを脱いでじっとエロサイトの画像が表示されるのを待っていた、
あの辛く哀しい青い時代はもう終わっているのである。
(余談だが、労せずエロ動画を楽しんでいる今の若者達はろくな大人にならない。断言する)

しかしそんな時代にあってさえも、
通信帯域は無限とはけして言えない限られた電波帯域を持っており、
わずか140文字のつぶやきであっても確実にネットワークに負荷を与えているのである。

例えばこんなふうに考えることもできる。
私の、何の役にも立たない上に重複したメッセージが、
恋人同士のLINE のやりとりに一瞬の致命的な遅延を産み、
彼女が彼からの返事を、その一瞬で見る暇無く、別の男に唇を奪われてしまったとしたら。

「そんな奴のこと、もう、忘れちまえよ…」
「…そうね、私、もう待つのは懲り懲りなの…」
一秒くらいで! とあなたは笑うだろうか?
待つ側にとって一秒は永遠である。
思い切って告白した時に返事を待つ、
あの大河ドラマのように長い時間を思い返してほしい。
時間は平等ではない。それは相対性理論が証明している。
だから、ネットワーク帯域も平等ではないし、
不平等に、不均衡に、かつ空気を読まずに割り込んだ私のブログの記事がどこかの誰かのメッセージに干渉し、
困ったことに優先度を判断できないネットワークが、私の記事を先にサーバへ送ってしまうこともあるのである。


だから、
同じことをツイッターでつぶやくのは罪であり、
同じことをブログに投稿するのは犯罪的であり、

…でもよくよく考えたら、「重複」を問題視するよりも、
「そもそも中身の無い文字列をネットワークに発射すること」それ自体を
反省したほうがいいのかもしれないね。

ま、酒を飲んだら忘れるんだけれど、さ。