消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

羽田圭介「スクラップアンドビルド」Audible

かの、お笑い芸人又吉と芥川賞を同時受賞した作品。
芥川賞の掲載誌は購入したものの、
又吉の火花のみ読んで処分してしまってたので、
Audibleで聴くことが出来て良かった。

展開の薄めな日常ドラマであったが、
介護問題を新しい切り口で進んでいく主人公の独自性、独りよがりさが気持ちよかった。
そして、「独自性」と私は書いたが、
実のところは介護問題における「手法の一つ」である、
尊厳死
介護重大度を上げる、
といった、恐らくは既に社会問題として存在し、
我々が見ないふりしている介護保険の闇に、
どちらかと言うと主人公は、立ち向かうのではなく(立ち向かってるけど)、
ストイックにべき論で向かっていった。
そんなストイックさが、爽やかな気味の悪さを持って居て、
作中ずっと流れる鬱々とした空気を、それでも読み進めさせた。
これは、何と言うのだろう?
昔の文学者たちほど派手ではないけれど、
作者もまた現代文学者として怒っており、
怒りを表す手法として最も文化的な、小説でぶつけてきているのだろう。

社会福祉や、税金やらの政府、公共に対して。
あるいは同時に、死というもの、老いというものに真剣に向き合ってるといえない人々、
作中では、無思慮な受け答えをする親戚たちと、
恋人、だろう。

そしてなぜか少し戦争を絡めつつしかし、
物語は出口を持たずに唐突に終わる。
如何にも若者らしい飽きっぽさ、か。
何も答えは出さず、出せず、
主人公もまた社会性の流れに身を任せていくのだ。
僅かに救いがあるのは、
主人公がダメダメな始まりから、健全な精神と肉体を取り戻していく過程でもって事態は好転していき、
社会性の中に健全な若者となって戻っていく所であるが…

それはもしかしたら筆者は、
老いと若きが繰り返される虚しさを皮肉っているのかも知れないが、
非常に単純に、
目的意識の低いニートが身体を動かし健全な肉体になることで健全な精神を作り上げていくという、
単純な「ニート頑張れ、取り敢えず汗をかけ」的なエールに見てとれば、
清々しい若者へのエールとして、気持ちいい作品であった、と最後には思えたのだった。