消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

効率がいい。あっちの役割。

会社でよく聞く言葉。
「あいつがやった方が効率がいい」
「あっちの部門の役割でしょ。うちの役割じゃない」

効率がいいから、と、
役割だから、と、
誰かに、どっかに依頼を積んでいって、そうしたらそれで回るのでしょうか?
その言葉の中には、
効率、役割の中には、
ちゃんと工数とか溢れないか、って観点は入ってるのでしょうか?
担当者はお前だ、とタスクを回してて、
その人が100時間も200時間も残業することになったとして、
それがほんとに効率的なのでしょうか?

「それは役割部門の考えることだ」
という余りにも縦割りで放り投げるスタイルは、
仕事をしてるようで仕事をしてない、と言うほかない。
大体からして、
役割とかタスク配分が、
テトリスブロックのように綺麗にぴっちりと区分、満たせていると、
考えているのだろうか?
そう考えてるとしたら相当ヤバイ。
よく例えに出てくる、野球のお見合いフライです。


ここでひとつ目線を元に戻すべきではないでしょうか。
誰のために、何のために仕事をしているのか。
お客様ファーストという言葉は何を意味しているのか。

言うまでもなく我々個人は、給与のためにサラリーマンをやってる。
ではこの給与の出元はどこか?
お客様がお金を払ってくれなきゃ、
給与はゼロ円になるのではないか?

部門の役割、担当の領分を綺麗さっぱりきっちり守って、
定時がくればパソコンを落として意気揚々と帰宅する、
のが「仕事」だとして、
その結果、会社がお客様の不満になる状態になり、
取引が無くなって売り上げが無くなるとして、
それでもその「役割ガー担当ガー」
といってた人は仕事をしていたと言えるのだろうか?

お客様に見放されることをしていて何が仕事か。

「あいつが詳しいからあいつがやった方が効率がいい」
「あいつが担当だからまとめてやらせた方が効率がいい」

効率は、何のため?
効率だって、
「お客様から売り上げを貰うために良い効率」でしょう?
効率を高めることで個人に仕事が集中しタスクが回らなくなって不評となって売り上げを下げるなら、
何が効率か。

「全員野球」以外に、
サラリーマンがやるべきことって、ないんではなかろうか。