消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

考察「転居」

人が生きていくうえでの三要素に「衣・食・住」があげられる。
これら三要素を満たすことが人間の欲求に結びついており、
これら三要素が満たされないことが不平・不満を生み、
それは鬱屈した気持ちを募らせるものであるけれども、
一方で文明や利器といった発明を生み出させる原動力に、
あるいは革命、戦争といった、歴史的な大事変への流れを作った。

逆に、これらが満たされていると発展性も衰退するようで、
よく「南の楽園」といわれるが、南の裕福な土地においては
西欧社会のような活発かつインダストリアルな文化は発展しなかった。
もちろん、産業革命とは異なる文化の発展と独特な様式をもつことにはなるわけだけれども
満たされたその楽園を「満たされぬ」文化圏の人間が求めて、
当然のように資本主義原理が蔓延して
結果「完結しない」楽園になってしまったのは皮肉な結果である。

さて「住」と文化の関連性を持論でぶち上げたのであるけれども

引越し。
つまるところ引越しは文化大革命ではなかろうか。
不平、あるいは不満、あるいは事情という過去と
希望、あるいは展望、あるいはリフレッシュという未来へと進むこの行為は
文明の変遷、革命への希求、現状の打破、
文化大革命と呼ぶべき偉業だろう。
いっそ大陸の例にならって書物を焼き捨て知識人を追放し(携帯のアドレス帳削除)
新しい時代の風の中で生きるのもよいかもしれない。

なんてことを考えてばかりで引越し作業は遅々として進まず、
ただ汗ばかりが流れ落ちるのみ。