消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

考察「宗教」③

事態はむしろ、有史以来最も混沌としてるのではないだろうか。
宗教とは人間の隙間の補填、とした。少なくとも、隙間を埋める作用をもっている。
解明できない現象を「神」とするだけでなく、
絶対的なものとして「神」を規定することで、真実なるもの、完璧なるものを
定義したり仮定したりと、学問にすることができた。

ゼロの発明と同様、神の「発明」の偉大さで、
本来不完全と思われる人間の知識、精神でも、完璧さを「想定」することが可能となった。
宗教において、神は絶対である。
絶対を証明するのではなく、絶対が既存の事実として、ある。
例えばキリスト教においては神の言葉である聖書は「絶対」であるので、
そこに書かれていることを真理として、真理を理解し行動に移そうとする「聖書解釈」が始まる。
答えがわかっている数学のように、お手本として。

神は満たしてくれ、
神は道を示してくれる。

なぜなら、神は「その目的で作られたもの」だから。


こうして、いささか偏っていますが、私の考察はこのような結論に達する。
「宗教は、満たされない人間を満たす、あるいは満たそうとしてくれる」
逆説的に
「満たされない人間は宗教を欲する」

だれしもが心に隙間をもっている。
人類としてはまだたどり着いてない、知識の枠外の事柄がなおあるのだから。
(死後の世界、魂、生きると言うこと、生命の神秘)

その隙間が大きい人、
その空白に耐えられない人
その欠如に答えを求める人

信仰のはじまりをこう結論付けたのですが、極端だったかもしれない。
私は、人間には宗教が必要だと考えている。
埋まることのない隙間ゆえに。
しかしこの考察はまた別の機会に。