消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

新規開拓へのパワー

年を取ると、新しいものに手を出す、というのが本当に億劫。
思ってる以上にしんどい。

例えばガンダムの新作に手を出すとか。
読んだことないジャンルの本に手を出すとか。

実際、それを逆手にとっての商売が成立している事から、
この理屈は一般的に人々に当てはまる事が知れる。

ガンダムの例で行くと、あえて「ガンダム」を名乗るということがまさにそれ。

完全に新作の、見たこともないようなロボットアニメの場合、手を出しにくい。
一方「ガンダム」と呼ばれる二本角のロボットであると、一気に敷居が低くなる。
知っていると言う安心感を与えるのだ。

まったく新しいものへ、なかなか体が動かない。
動かなくなっている。それはやはり年齢によるものが大きい。
前進するパワーが減ったのかもしれない。
これまでのたくさんの経験で得た「面白いもの」から、わざわざ出る必要なんかない、
とそんな風に思うのかもしれない。

新しい音楽を開拓するくらいなら、
聞きなれた大好きな名曲を何度も聴いてしまうような。

そういう、年寄りの兆候が出たら、あえて前に進む。
これまで興味もなかった妹系に手を出したのもそのためだ。
けしてロリコンということではない。

妹系が「前」なのかはまったく微妙なところではあるけれども、
「小さくまとまってんじゃねーぞ、テメェ」
なぜか TSUTAYA でいきりたってる自分がいる。

むしろ若い頃の方が、そんな情熱を「うざったい」と思っていた。
クールに、スマートに、何事につけても距離をとることが
正しい21世紀のスタイルだと思っていた。

「正しさ」なんてチンカス程度の価値しかないっていうのに。

間違ってもいいから、雑食であれ。
なんでも喰って「まずい」と身勝手に文句を言う。
そうでなけりゃ、化石のような俺に、なんの価値があるってのさ?