消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

「最高の選択肢」

選択肢の歴史と進化を追うと、あらためて人類の、
特に日本人の「葛藤の文化人類学」が浮き彫りになっていく。

◆黎明編「二択」
人類に「選択」という、一種神がかり的権利が登場した、自意識の夜明け。
「はい・いいえ」で選ぶ贅沢。
この絶対的選択。そこには時に男らしささえ漂う。
この日、人は選ぶ「権利」を得、それは同時に、
選ぶ「悩み」という十字架を背負うことにもなったのである。

◆萌芽編「三択」
「どちらでもない」が日本人に与えた衝撃は想像に難くない。
このアンニュイさと決定を保留する美学を持つ国民にとって、
白黒、などという無粋な断定はあまりにわびさびを欠いていた。
「どちらでもない」という、日本人として愛してやまない曖昧さは、
以後選択肢のスタンダードとして親しまれていくことになる。

◆成熟期「五択」
「はい・どちらかと言えばはい・どちらでもない・どちらかと言えばいいえ・いいえ」
選択肢の完成系ともいえる最高品質のほのめかし。
まさに、選択肢が人の心、揺れる想いを代弁し始めたのである。
「はい・いいえ」の究極の選択で死ぬほど苦しめられた優柔不断な国民のクーデターとも言える。
「もう我々は選ばない」という固い意志の表れが、
かえって意思の強さをはぐらかす奇跡のようなバランスの集大成である。

◆老成期「七択」
五択の完成度に満足できないわがままさが人の業そのものを思わせる。
五択の完成度の中にあって、敢えてさらにつっこむ「断固はい・絶対いいえ」を増やすケースと
日本人として中間色を極めた「どちらとも言えないけれどはい・いいえと言うほどではないけれどいいえ」
このやりすぎ感の否めない選択肢はやがて「だったら選ばない」という反・選択肢の潮流を生むことになる。

◆衰退期「一択」
選択肢が行くところまでゆけば、それは煩悩の「百八択」に落ち着かざる得ない。
選択と決断に疲れきった中間管理職のお父さんの行き着くところは
「どちらでもない」の一択の世界であることはいうまでもない。