尊敬する人、会いたい人
尊敬する人イコール会いたい人、
とは限らない。
大ファンイコール会いたい人、とも限らない。
例えば、村上春樹、村上龍の作品のファンである私であるけれども、
ご本人様に会いたいかと問われれば、
(当事者にしてみればどうでもいいけど失礼な選択をされていることになるけれども)
「どちらかといえば、否」
理由として、色々考えてみたけれども、
どれもしっくりしない。
多分、とても単純なことなのだと思う。
その人の作品に興味があることと、その人自身に興味があることとは別なんだ。
(・・・でもとても興味があるけれどな。うん。やっぱり会いたいよ。何するでもなくても)
例えばピンクレディーの曲の大ファンであり、
歌詞はすべて暗記している、としても、
その詞を実際に書いたところの、作詞家:阿久 悠に会いたいかといえば、
(それはもはや叶わぬ夢だけれども)
そうではない、と応える「レディーファン」も多いはずである。
(私はどっちかっていうと、ピンクレディーのお二人よりは阿久 悠に会いたいかも)
会いたい人、の基準ていうのは、
自分の中でひどく曖昧で、基準を持たないことに、あらためて驚かされる。
ガンズの大ファンであったけれども、ボーカルのアクセルに会いたい、ってことはない。
ジョディ・フォスターは美人だけれども、会ったからといって恋に発展する見込みもないから、会いには行かない。
真鍋かをりだったら、国籍が同じ、という理由だけでわずかに期待値が上がるので、会いたい。
ガンダムの大ファンである。けれども原作者の富野由悠季に会いたいかというと、微妙。
もうあまり聞いていないのに、マイケル・ジャクソンにはいつまでも会いたい。ネタも含めて。
めぞん一刻を読むたびに泣き、湘南爆走族は未だに心のバイブルだけれど、
作者に会いたいかというと、そうでもないかもしれない。
それから中島らもとか中島みゆきとか・・・
いかん、これ以上例えを出すと、私の趣味とか性向とかが
赤裸々に暴かれてしまいそうになる。ちょっと恥ずかしい。
こんな風に列記してきた中で、「こりゃダントツだわい」と会いたい人に、
・・・まったく、人生って言うのはわからんけれども、
明日会いにいけるらしい。
知り合った人の仕事の話で、かの「偉人」の御宅にお邪魔するそうだが、
ファン心理むき出しでお願いして、付き添わせてもらう事になった。
色紙も買った。デジカメも忍ばせた。
・・・なぜ? それがわからない。
司馬遼太郎ではなくミヒャエル・エンデではなくジミ・ヘンドリクスでもなく、
なぜ松本零士先生に会うことに、こんなに興奮してしまうのか。
それは、心の中に根ざしているものも関係あるかもしれない。
「男おいどん」は未だに心の大事な部分に突き刺さっており
「ザ・コクピット」は血の中を流れており
「銀河鉄道999」は自分の人生の憧れそのものであり
「キャプテン・ハーロック」は完璧すぎるゆえに遠い偶像であり
「クィーン・エメラルダス」とメーテルは、永遠の謎と憧れだからかもしれない。
ああ。
会えたらどうしましょう。
本当に会えるのかしら。
「松本壱士」とかばったもんだったらやだなぁ・・・
時間は夢をうらぎらない。
だから、夢も時間をうらぎってはいけない。
不思議だけれど、この単語を書くだけで、涙があふれてくるのです。
とは限らない。
大ファンイコール会いたい人、とも限らない。
例えば、村上春樹、村上龍の作品のファンである私であるけれども、
ご本人様に会いたいかと問われれば、
(当事者にしてみればどうでもいいけど失礼な選択をされていることになるけれども)
「どちらかといえば、否」
理由として、色々考えてみたけれども、
どれもしっくりしない。
多分、とても単純なことなのだと思う。
その人の作品に興味があることと、その人自身に興味があることとは別なんだ。
(・・・でもとても興味があるけれどな。うん。やっぱり会いたいよ。何するでもなくても)
例えばピンクレディーの曲の大ファンであり、
歌詞はすべて暗記している、としても、
その詞を実際に書いたところの、作詞家:阿久 悠に会いたいかといえば、
(それはもはや叶わぬ夢だけれども)
そうではない、と応える「レディーファン」も多いはずである。
(私はどっちかっていうと、ピンクレディーのお二人よりは阿久 悠に会いたいかも)
会いたい人、の基準ていうのは、
自分の中でひどく曖昧で、基準を持たないことに、あらためて驚かされる。
ガンズの大ファンであったけれども、ボーカルのアクセルに会いたい、ってことはない。
ジョディ・フォスターは美人だけれども、会ったからといって恋に発展する見込みもないから、会いには行かない。
真鍋かをりだったら、国籍が同じ、という理由だけでわずかに期待値が上がるので、会いたい。
ガンダムの大ファンである。けれども原作者の富野由悠季に会いたいかというと、微妙。
もうあまり聞いていないのに、マイケル・ジャクソンにはいつまでも会いたい。ネタも含めて。
めぞん一刻を読むたびに泣き、湘南爆走族は未だに心のバイブルだけれど、
作者に会いたいかというと、そうでもないかもしれない。
それから中島らもとか中島みゆきとか・・・
いかん、これ以上例えを出すと、私の趣味とか性向とかが
赤裸々に暴かれてしまいそうになる。ちょっと恥ずかしい。
こんな風に列記してきた中で、「こりゃダントツだわい」と会いたい人に、
・・・まったく、人生って言うのはわからんけれども、
明日会いにいけるらしい。
知り合った人の仕事の話で、かの「偉人」の御宅にお邪魔するそうだが、
ファン心理むき出しでお願いして、付き添わせてもらう事になった。
色紙も買った。デジカメも忍ばせた。
・・・なぜ? それがわからない。
司馬遼太郎ではなくミヒャエル・エンデではなくジミ・ヘンドリクスでもなく、
なぜ松本零士先生に会うことに、こんなに興奮してしまうのか。
それは、心の中に根ざしているものも関係あるかもしれない。
「男おいどん」は未だに心の大事な部分に突き刺さっており
「ザ・コクピット」は血の中を流れており
「銀河鉄道999」は自分の人生の憧れそのものであり
「キャプテン・ハーロック」は完璧すぎるゆえに遠い偶像であり
「クィーン・エメラルダス」とメーテルは、永遠の謎と憧れだからかもしれない。
ああ。
会えたらどうしましょう。
本当に会えるのかしら。
「松本壱士」とかばったもんだったらやだなぁ・・・
時間は夢をうらぎらない。
だから、夢も時間をうらぎってはいけない。
不思議だけれど、この単語を書くだけで、涙があふれてくるのです。