消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

デジタル・ネイティブ/NHK

NHKスペシャルか何かの番組で見た。
「degital native(デジタル・ネイティブ)」はもちろん造語で
生まれたときからインターネット環境を持っていた世代を指す。
デジタルにコミュニケートする事を、ネイティブに、
つまり生まれながらに実践して来た世代である。
物心つくあたりからネットに触れていればデジタル・ネイティブ。


相変わらずNHK は採算度外視で面白い番組を作るなぁ、と感心する。
このデジタル・ネイティブの番組も非常に面白く、また
非常に恣意的なものを感じる番組構成だった。


生まれながらネット環境に触れてる、だけの世代を特集したところで
あまり面白くはない。
インターネットによってかつての大人たちが考えることもできなかった
ビジネス・スタイルに焦点をあてて番組は進む。


まずは13歳の少年がカードゲームを開発し
その開発販売会社のCEO であることから紹介され、少年にスポットが当たる。
少年は自然元素を扱った化学的なファンタジーカードゲームを企画・発案し
発売半年程度で一千万程度売り上げているという。

13歳という年齢(番組当時は15歳)も脅威だが
番組が着目したのはその開発ステップ、ビジネスだ。
少年は基本的なネタを思い付き、まずはそのネタを確かなものにするため
一年間ネットで勉強したと言う。
主な教科書はWikipedia など。


ここがまず第一のポイント。
デジタル・ネイティブにとって、情報はすべからく、無料である。


続いて少年はカードゲームを商品として完成させるべく動き出す。
おせじにも絵がうまいとは言えない少年、
商品化するためにはまずイラストレータ、デザイナーがいる。
少年はフリーで技術者、デザイナーなどが登録して仕事を求めているSNS へアクセス、
デザイナーのプロフィールを見ながら発注先を探したのである。


ゲームには複数のデザイナーがかかわっているが、
注文を受けたフランスのデザイナーは最初、発注者が少年だとは気づかなかった。
しかもまさか、たった一人の13歳の少年だとは。


ここが第二のポイント。
デジタル・ネイティブにとって肩書き、年齢、性別、
さらには国籍さえ意味を持たない。
ニーズとニーズがマッチさえすれば、時間的(年齢的)距離も物理的距離も
いとも簡単に飛び越えてしまうのである。


少年はデザインを発注し、歯に衣着せぬ指摘でデザインをイメージに近づけつつ
出資者を探す。
少年の国の起業支援金でデザイナーへの支払いはできるのだが
開発や流通、金はいくらでもかかる。

ここで少年が取った行動はデザイナー探しと全く一緒だった。
投資家の集まるSNS へ出かけ、マウス一つで投資家を見つけていったのだ。
(その後起業家が集まるカンファレンスなどでも募ったりしたようだが)


少年はゲームのデザインや量産体制を整えつつ、
YouTube に動画を投稿してゲームの宣伝も開始している。
その速度感がまずものすごいが、確信を持って突き進む子供ならではの
万能感がやはりすごい。
微塵も失敗を恐れていない、失敗を想定さえしていなかったように見える。


かくして少年のカードゲームは大ヒットし
少年は次のビジネスに着手することになるだろう。



この例はデジタル・ネイティブの成功者として描かれているとみていいだろう。
ここでNHK の最も恣意的な構成力が働き、次の事例へと移る。

次のデジタル・ネイティブの事例に持ってきたのは、
イギリス(だったかな?)にて有罪判決を受けた少年の例だった。


少年は若い頃から、SNS やブログにて自身のプロフィールなどを公開、
インターネットへつながった生活を行っていた。
13歳ごろだったろうか。SNS を通じて彼にある大人からメッセージが届く。

「お金を出すから、服を脱いで見せてくれないか」

ここから、彼の「ビジネス」が始まった。
最終的に彼は1500人以上、年収は、えっと忘れたけれども
相当な金額を(数千万単位)手に入れるまでになっていた。
言うまでもなく、お金と言う側面では彼は立派な実業家だった。
だがそこにはモラルハザードとも呼べる倫理観の欠如があった。


少年のサイトは当局により発見され、閉鎖。
児童ポルノ禁止法の元に有罪判決をうけることとなる。


番組は実にいやらしいことに、この二つの事例に対してなんの結論も導かない。
ただ事例として紹介してさっさと次の例に向かう。
でもあえてこの二つの事例を並べた事に意味がある。


カードゲームの少年と児童ポルノの少年、
どちらもお金をもうける方法を考え、見つけ、もうけた、
という点において一切変わりはない。
それはもう、論じる必要もないくらいにあっさりと同じものだ。
ただ、手段が法に触れたかどうかという違いしかない。


大人にとってはその差は大きい。
それを知っているからであり
その影響力が(積み上げてきた人生への影響と言う意味で)巨大だからであり
抑止力が多くあるからである。


しかし、興味本位でトンボの羽をすべてむしって遊ぶような「子供たち」に
何が正しいか、何が間違っているかを判断する事が可能であろうか。
もしかしたら少年たちはこうは言わないだろうか。
「判断する必要はあるのか?」と。

現実に金銭が稼げているのであれば、それは大人のビジネスと
なんの違いがあるだろう。
例えば児童ポルノは法律に抵触するが、
これが成人ポルノであったら裁判など開かれずにビジネスが成り立っていたことだろう。


大人でさえ善悪の区別、是非の判断はできないのだ。
経験値の差が如実に出るのが年齢である。
学んでない連中には絶対三角比の問題は解けないのだ。


番組はその後、アフリカで広がるエイズ問題に大して
国境を越え距離を超え活動の幅と仲間たちを得ていく
アフリカのデジタル・ネィティブの事例を取材して終わる。
インターネットの「明るい」未来を思わせる形で番組は終わる。


私は非常に保守的な人間である。
新しいものへ拒絶反応を示す、ごくありふれた日本の親父の典型である。
だからデジタル・ネイティブにも反感を覚えた。

まず第一は、これで俺らの世代は職にあぶれることになるかもしれない、
という危機感だった。
経験値をはるかに上回ることができるのが「行動力」と「体力」だ。
そしてそれは宿命的に若い者へ与えられる力だ。

単価も安い、能力も高い、吸収力もあり発想も柔軟。
若い世代はさらにインターネットと言う力を得て
加速度的に能力を増してきている。
彼ら一人一人は脆弱で浅薄な若者だ。
だがネットと言う巨大集合知が一人一人を数倍の能力者へ持ち上げるだろう。


さしたる能力もない三十代、四十代の仕事はすべからく若者に奪われることだろう。


そして、「長生きしたくないな」と思った。
もちろん上の、仕事が奪われる危機感からつながっている面もあるが
それ以上に、そうだな、たとえでいうと

ネズミ一匹一匹はか弱い。ふわふわしてて尻尾があってまるくてかわいく弱い存在だ。
きゃつらは無知で脊髄反射的に生きている生物だが
その小ささ、か弱さゆえにかわいい。「脅威ではない」

ではそのネズミが、巨大化して大きな力を得たとしたら、どうであろうか。


私がデジタル・ネイティブに感じる脅威、
そして来るべき未来への絶望はそういうことである。
他にも食糧難や人口増加、気象変動を加えた上で
この時代に、あえて子供を作り産む友人たちには、
本当に心から驚嘆する。
そして心底、幸せな未来がその子等に、地球に訪れるようにと願ってやまないのである。


何しろ
そんな未来を期待できる要素など全くないのだから、
祈るほかない、というのが結論なのである。