消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

バッファロー'66/ヴィンセント・ギャロ

98年のアメリカ、ミニシアター系映画。
ミニシアターとは知らなかった。
私の中では「タクシードライバー」「パルプフィクション」と同系列の
ドラッグムービー。
いや、ドラッグ出てこないんだけど。タクシードライバーも。


この映画は純愛映画である。驚くほど純愛。
五年の刑期を追え出所したヴィンセント・ギャロ
故郷の町バッファローに戻る。
両親に妻を連れて帰ると嘘をついたものの
ガールフレンドも恋人もいない彼はたまたま見つけた
クリスティーナ・リッチを捕獲して両親のところへ連れて行く。

とか書くとものすごい展開であり
実際見ててもすさまじいなこの男(ギャロ)なのだけれども


これが良い。
まずなんといってもクリスティーナ・リッチがかわいい。
とてつもなくかわいい。エロい。
明らかに太り気味なのだけれどたまらないキュートさ。
セクシーさ。

ダイエット気風蔓延の二十世紀、二十一世紀だけれども
男たちはいつも「そんなに痩せなくてもよい」といい続けてきたし
女たちもそれを聞いてきたはずなのに
この一種のプロパガンダの中で「細く」が呪縛のように絡み付いている。

安野モヨコ(「働きマン」「シュガシュガルーン」)も
その美容・ダイエット本の連載にて同様書いている。
男はみんな太目が好き、なのに女はとりつかれたように痩せたがる、と。


まずはその傾向へのアンチテーゼとしてこの映画は観られてもいい。
……そんな見方するのもどうかと思うけれども。


純愛映画、である。アメリカ産純愛映画。
当たり前だけれども「ビバリーヒルズ」なんかとは全然違う。
男のギザギザハートがマッチよりもギザギザしててもうどうなってんのよ
ってくらいに無軌道でそれに振り回されちゃううちに女の心が
慈愛の色を帯びてくる雰囲気が美しく、静かで、染みる。

会話やデートやらで深めていくのではない。
勝手に深まっていく。
そもそも、純愛映画だけれども恋する事、愛する事がテーマというわけではない。


私は恋愛映画は好きではない。いわゆる「連ドラ」からは目を背けるほうだ。
だから例えとして適当ではないかもしれないけれども
ハチミツとクローバー」は嫌いだ、と思う。観てないけれど。
けれどもこの映画は好きだ。LEON も好きだ。

「純愛」という切り口でこれだけ方向性の異なる作品が出来上がるのは不思議だ。
片や韓流、片やDEEP LOVEケータイ小説)、そしてバッファロー'66。


この映画の恋愛は、少なくとも我ら平凡な日本人にとってはリアルとはいえないだろう。
韓流やハチクロの展開もどうかと思うけれども
少なくとも共感できそうなのは後者の方で、
バッファロー'66 の世界観は美しいし入り込むけれども我々の日常からは遠い。

けれども、リアルであることにはなんの価値もない、
作品として観れるか、面白いか、美しいか、何度も観れるか。
ハチクロや冬ソナではない純愛はいつまでも心地よく余韻が美しく
なんつってもかっこいい。

それでいいんだと思う。作品なんだから。


昨今の純愛に飽き飽きしている人々へ
あるいは昨今の純愛に未だ飽きてない人々へ
すべからく薦めたい美しい映画である。
タクシードライバーとあわせてどうぞ)