消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

テレビがもっと取り上げるべきことを考えてみた①

特に脈絡もないのだけれどタイトルどおり、
テレビがもっと取り上げるべきことを考えてみた。

まずタイトルありき、なので結論は用意していない。
グダグダになりそうな気配を感じつつ、とりあえず進めてみたいと思う。


テレビ、すなわちテレビ番組をまずはカテゴライズしてみる。
それぞれのカテゴリで「放送すべき姿勢」というものがあるはずだ。

1.ニュース:速報(事件、犯罪、国際情勢)
2.ニュース:時事考察
3.ニュース:国内情勢考察
4.ニュース:国際情勢考察
5.ニュース:お知らせ
6.ニュース:芸能
7.ニュース:スポーツ


……ニュースだけでこんなになってしまった。
これは細分化しすぎか?
もう少し大枠で捕らえてみるか。


A.ニュース
B.お笑い(落語含む)
C.クイズ
D.情報
E.ドラマ(映画、アニメ含む)
F.実況(スポーツ)


うんうん。これならいけそうだ。
「情報」を「教養」と分けるべきか悩んだけれども、
教養も情報も大差はない。
私はジャパネット・たかたとNHKその時歴史が動いた、を同一視している。
結局は情報に過ぎない。その情報の使い道が異なるだけで。


ではニュースも情報ではないかという突っ込みにもなるけれども、
ニュースは「NEWS」という語源どおり、速報性がその最たる特徴だから区分けした。


……カテゴライズだけで話が終わってしまいそうな勢いだ。
奮い立て、俺の俺。
もう少し書くことがあるはずだ。
とりあえず現時点でタイトルを
「テレビがもっと取り上げるべきことを考えてみた 
と をつけてしまった以上、まだまだ続けられるはずだ。


それではニュースから考えてみよう。
ニュースが取り上げるべきこととはなんであろうか。
NEWS、即応性、起こった何かをその場でドン、と示すのが
ニュースの宿命であろう。

ニュースは情報として「一時的」という側面をもっていると思う。
でもそれが非常にあだとなっている点を本日は指摘したい。

「そういえばあの事件、どうなった?」

誰もがときに思うこの疑問。どうだろうか?
ニュースはその呼称どおりに新しいもの、鮮度ばかり追い求めて
追跡性にはやたらと欠ける。


テレビの原罪、それはよく言われるように「視聴率」だ。
それは原罪というよりは功罪かもしれない。
スポンサーは視聴率に対してお金を払い、CM を出す。
そのスポンサーのお金のおかげで我々はほとんど無料でテレビ番組を視聴しているのだ。


視聴率が稼げる事件はしつこいほど追いかけ(千葉県の障害者による幼女殺害事件)
気にならない事件からはさっさと手を引く
(個人的にずっと気になっているんだが、どこかの県で墓石やお地蔵様を
破壊しまくったタリバンみたいな事件、もう半年以上前の事件だがあれはどうなったんだろうか)


そんな特徴。


はい、出ました。本日は「ニュースは何を報道すべきか」の一個だけ提言して終わりたいと思います。


「各局で違う事件を最後まで追え」


とにかく目に付くのが同じニュースを各局で報道することなんですよ。
報道姿勢や焦点争点が異なるのは重々承知してるんですけれども
話題性のある事件をどの局でも追っかけてて、代わり映えしなくてつまらないのですよ。
エリカ様の結婚をフジが報道するなら
どうしてTBS は樋口(俺の同期)の結婚を追いかけないのか。

そこです。
確かに問題は多い。報道番組は時間が被っているので
「フジテレビを見てたせいで樋口の結婚を知らなかった」
という事態はやはり避けたい、その気持ちはわかります。


しかししかし、
こっちのニュースでも朝青龍、次のニュースも朝青龍
そんな報道重複はもうげんなりなのですよ。


テレビ局同士はライバル関係にあるとは思うのですけれども
広告不況のこの機会に、共存するためのすみわけなど、議論していただければなぁ、
と思う自分勝手なわたくしなのでした。



そのうち「◆廚鮟颪ますが
当分気が乗らないと思うので、当分お待ちください。
(待たなくてもいいです)