消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

人が人を好きになること。

人が人を好きになること。
それはとても素晴らしいことなのに
欺瞞に満ちたこの世界では
ただ苦しみばかりを蔓延させるだけなのか。

かつてアリストパネスプラトンの著作の中で
かつて完全な図形である球体であった人間が
二つに分かたれて生まれたのがすなわち男と女であると推理した。

本来の対である姿を求めて
失われた相手を求めて
人は恋し焦がれるという。

ならば恋愛は一対の中にしか発生し得ないのだろうか?
五十億余人がひしめくこの地上において
たった一人の相方以外に愛することが出来ないのだとしたら
なんと寂しさに満ちた世界だろう。

複数の人が複数の人と互いを求め呼応しあうことは
作られた倫理観の中で不道徳とされ続けるけれども
どうしても一人でなければならないのか。
だから隣人が苦しみあえいでいるとしても
真実いたわることどころか、気づいてやることさえ出来ないのだろうか。

なぜ、その人でなければ、いけないのか。