消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

眠れなくなる宇宙の話/佐藤勝彦

眠れなくなる宇宙の話/佐藤勝彦


私は大学で人文哲学、主に西洋哲学を歴史的に学んだ。
それは思想の発展、神の存在と理性(論理)の困難な融合の歴史と言えた。
その長い歴史の線表上に次々と著名な有名人が現れ
エポックメイキングとなる発言を残していった。


宇宙論を人類の文明史に沿って簡易に解説してくれている本書が
その思想ヒストリーと偉人たちに合致するのはとても不思議な感覚であった。
現代の我々にとって宇宙はサイエンスの領分で
神学がミシックの領域。
科学と神学は交わらないという考えが通説であると思う。
あるいは常識、とあえて表現しようか。


ところが、古代思想においては宇宙の仕組み、その始原、原理は
神の存在証明や信仰の問題と分かれた話では無かった。
まずギリシャで生まれた偉大な最初の論理性「自然哲学」では
プラトンアリストテレスらが「始原なるもの」を論理的に追求した。
万物の最初にあるものであり、すべてはそこから派生したとすれば
地球も月も太陽も、天体の運動さえもその始原を起点に
「論理的に」説明されなければならない。

かくして複雑なる天体模型図が古代ギリシャの哲学的偉人たちによって
あれこれと考案されていくのである。

この論理的思考が、それ以前の神話の否定であった。
神話は為政者たちに都合よく作られた「支配者と被支配者の物語」という側面を持つ。
それに対し論理と自然観察で心理を探ろうとしたのが自然哲学である。

やがて思想的救済を求める人々の苦難の中からキリストが誕生する。
神話時代の神々から、信仰上の「始原」とも言うべき神が認識される。
この長い中世の1000年間、宇宙科学は西欧では停滞した。

その一方、中東に起こったイスラム教がその自由な教義ゆえに
西欧で廃れた、自然哲学、あるいはヘレニズム哲学の取り込みを実施する。
西欧の宇宙科学は中東に輸出され、十字軍遠征などで逆輸入されたのだという。
本書では「十二世紀のルネサンス」と読んでいるけれども
ここから「キリスト教義的宇宙観」と自然観察、あるいは論理的な宇宙観との
困難で魅力的な融合作業が始まるのである。


以上の歴史年表において
タレス
アナクシマンドロス
ピタゴラス
ソクラテスプラトン
アリストテレス
アリスタルコス、この人は知らない。ヘレニズムはキリスト教哲学ではあまり出てこない)
ヒッパルコス、こちらも同様。ヘレニズムは実測科学で現在の宗教と科学の関係に似ているからか)
プトレマイオス
アウグスティヌス、この人が宇宙科学本に出てくるとは思わなかった!
トマス・アクィナス、この人も。
そしてコペルニクス
ケプラー
ガリレオ

と続いていくのである。いや驚いたし面白い。
私なんかもそうだけれど現代人はとかく学問を分野ワケする傾向があると思う。
それは各知識が膨大になりすぎて個人の手に負えないからなのだろうけれども
始まりの方では学問の分野が実に同質の、同一の袋の中でまぜこぜに考察されていたことがわかる。

それはでも、そうだと思う。
特にコペルニクスガリレオのあたりの、
有名なキリスト教思想との戦い(というより弾圧)は
まさしく宗教教義の中に宇宙論が含まれていた証左であるし
プロテスタント創始者ルターはコペルニクスの地動説に対して
「聖書には『日よ止まれ』と書いてある。即ち動いているのは太陽の方で地球ではない」
と大きく批判した(と本書に書いてある)。

プロテスタントは聖書を絶対とする敬虔なキリスト教思想であるから
カトリックを敬虔でない、と言ってるわけではないですよ)
聖書の記述にケチをつける思想も論証も一切許さなかったわけだ。


しかし地動説は天文学の発展に従って証明されて行き
科学と宗教は徐々にその距離を離していった。
そもそも科学は、それまで神や神話の所業とされてきたものを
物理学その他の論理、公式に置き換えていく「神話の否定」の作業だったと言える。
それは人にとってはあるいは悲しい選択肢だったかもしれない。
自らの苦悩、恐怖を守るために作り上げた防御壁である神話、宗教を
自らがまたゆっくり、膜をはがしていくのだから。



さて。
ここまででこの本の半分。
ここまででは、小中高と読んできた歴史の教科書の繰り返しに過ぎない。
(もちろんもっとずっと面白い読み物ではあるけれど)

ガリレオ以降の地動説が証明され始めた当たりから近代天文学が始まり
ニュートンによって劇的な転換点を迎え、「天文力学」が始まる。
ニュートン万有引力が多くの夜空の謎を解いた。

地球は廻っていると言うこと。
宇宙は想像以上にでかかった(少なくとも三匹の像や巨大な亀やさらに
すべてを蛇が取り巻ける程度な大きさではないこと)などなど。


続くアインシュタインの「相対性理論」が万有引力の問題点を克服し
ついに宇宙の大きさから宇宙の歴史にメスが入る。
当のアインシュタインさえ信じた「宇宙は永遠不変である」教義から
「膨張している」という衝撃的な事実へ転換を迫られる。

膨張の証明から、宇宙の誕生という、逆に神話の世界に逆戻りするような仮説が
導き出される。
宇宙に始まりがあるとすれば、始めたのは誰よ? 何よ? やっぱ神?
事実ローマ教皇は宇宙誕生の「ミクロの卵」説に、
「その卵を産んだ奇跡こそ神の御業」と声明を発表したそうだ。


さて相対性理論からビックバン理論に到るまではなんとなく聞きかじりの知識で
ついていったものの、
そこからインフレーション理論、量子学、特異点虚数時間と
二十世紀の論に入ってくるともう頭がオーバーヒートである。
最新の宇宙モデル「ブレーン宇宙」に至っては初めて抱くわが子のように
どうしていいかわからなくなってしまった(経験ないけど)


しかし理解する必要はない。理解できなくてもなんとなくわかることがある。
宇宙の手触りだ。それが感じられる。
先日NHK で見たハッブル宇宙望遠鏡などの映像が脳裏に浮かぶ。
古代、日食を不吉の象徴とおそれ
シリウスの位置から耕作期を知った空の
その歴史にまで手が入りそうになっている感触。


何しろ宇宙全体の現在の年齢が、プラスマイナス一億年という誤差にまで迫っているのだ。



とても楽しめた本であった。物理学や天文学にむしろ拒絶反応をしめす私でも
非常に楽しめる本であった。


しかし。それにしても。うーむ。
宇宙の歴史にプラスマイナス一億年まで迫った。そりゃすごい。
けれども宇宙に存在する物質の、95.6% が「不明」という現状。
まだ先は長そうだ。

そして。うーむ。
この天文学的数字に迫っている人類の知識には舌を巻くけれども
広大な宇宙の小さな小さな地球における、
例えばモアイ像。例えばアンコールワット。例えばストーンヘンジ
この小さな地球の中で、自分たち人類が(多分)作ったモノのことすらよくわかっていないこと。
それを思うと少し不思議な気持ちがした。

地上の謎も宇宙の謎も、まだまだたくさん残っている。
楽しいじゃないか。
答えのわかったクイズよりも。