消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

僕とネコと離婚物語~ 100 %勝利へ~その26

7章「カトウのやったこと」その

6月29日。
南アフリカで初開催のFIFAワールドカップ
予選リーグを辛くも勝ち上がったサムライジャパンが
念願の決勝トーナメントを戦う。

キックオフは11時。
パラグアイ戦である。
「んじゃ、夜に加藤家で一緒に見ようぜ」
会社の同僚と約束し、私は家に帰った。
元妻が待っている家へ。

「ちょっと痩せた気がしたにゃぁ」
と後にネコは語る。
「やたらと抱っこされてカニカマくれて、
まるでもう会えないみたいな構い方だったにゃあ」
「君みたいな歳若いネコでも、そういうことには敏感なんだな」

かくして、私たちはもう二度と会うことはないであろう、
最後の会談に望んだ。
それは私の最後っ屁とも言うべき
哀しくも
滑稽で
狭小で
情けない男の、まさに最後っ屁であった。


私の一番当初の目的、目標を覚えておられる方はいるだろうか。
「みんな笑顔で」
これが私の望んだエンディングであった。
どんな形であれ、笑顔で追われるようなエンディング。
離婚することになるのであれ、
不倫相手と別れさせるのであれ、
あるいは私が提案したとおり、不倫関係と夫婦関係を続けるのであれ、
みんながほっと笑顔になる最終回。

しかし既にその可能性は握りつぶされていた。
何度も何度も握りつぶされていた。
つくづく、人間の心の闇の深さよ、と思う。
他人の目がなければ例え太陽でも欺ける、
そう信じて止まない元妻と不倫相手のメールは
今私の手の中でプリントアウトされた紙片となっているのだった。

これが最後の、私の禍々しき刃である。
既に私の心のなかは数ヶ月のこの騒動の疲労
眠ることもできずベランダで吸ったタバコのニコチンで
どす黒くくぐもっていた。


「社会的に抹殺して地獄を見せてやれよ」
友人の弁護士の提案に私はこう回答している。
「いや。それじゃ飽きたらぬ」

私が最後に与えたのは呪いであった。
長い時間かけてゆっくりとじっくりと染み渡っていくような
ほの暗く背筋の凍るような冷たさを持った、呪い。
つくづく、人間の心の闇の深さよ。


元妻は引越しのための打ち合わせと思い、ぽつんと座って待っていた。
6月29日は火曜日。
その週末か翌週くらいに引越し屋の予約をいれて
様々な家財
衣服、靴、カバンは言うに及ばず、
主に大きいのは書籍、それからレジャー用品、ミシンアイロンなどの家電、
それらを仕分けて引っ越すための、その段取りをする話になっていた。


「まず鍵を出して」
「はい」
家に入れないように鍵を取り上げた上で、私は刃を振り下ろした。
メール文面をプリントアウトした紙片を叩きつけた。
「読んでみて」

数行読んで、即座に内容を把握した妻はため息をついた。
この期に及んで何をしようというのだろう、この男は。
もう終わった夫婦の関係を、今更罵倒するつもりなのだろうか。
それで気が済むなら好きなだけ罵るがいい。
人生には後悔はあっても、常に存在するのは未来でしか無い。
あたしは未来へ進むのよ。


「いや、そんなつもりではない。俺がこれを出したのは
もちろんキミらに対する責めもあるが、
謂れのない処遇を叩きつけるわけではない、という証拠品である。

君らは俺の寛大かつ忍従に満ちた対応に対して
徹底的に不誠実に対応してきた。
およそ同情の余地もない。
俺にはばれていないだろうとばかりに、随分言いたい放題好き放題にやってくれた。
それに対するブーメランである。

不倫相手には慰謝料という罰を与えたが
君にはそんな分かりやすい罰すらゆるさない。
君にくれてやるのは呪いだ。
四年間の結婚生活の思い出すら持ち出すことをゆるさない。
君はこの四年間を
『最低の男と過ごした人生で最も大切な時期を台無しにした四年間』
という思い出にかえて
この家をでていくのだ。

どういう意味かわかるか?
君がハンコを押したあの離婚協議書。
あの書面の内容であれば、今君を裸にして外に放り出すことも可能なんだよ」


なんて根暗な男だろう、と彼女はため息をついた。
が、ことの重大さが徐々に染みてきたのか青ざめている。
悲しい話だ。
一生をかけて幸せにすると誓った女に、今生涯の呪いをかけようとしているのだ。


「君には服と靴とカバンはくれてやると言った。その言葉は守ろう。
今からワールドカップが始まるまでに荷物をまとめて出て行け。
二度と俺の前に姿を見せるな」

時計をみると8時近くをさしていた。
最初は気怠そうに服を見積もりだした彼女だったが
最終的には慌てる他なかった。

四年間の、否、それまでの生活、人生も含めたすべての品がそこにある。
それを3時間足らずでまとめなくてはならないという状況。


およそ不可能であるだろう。
そして後に彼女は否応なく私を恨むのだ。
不倫相手には慰謝料を分割払いさせることにしていた。
月々の支払を安い金額に指定した。

これが私の呪いだった。
元妻は今後の生活の何かしらの不足の度に
否応なく私のことを思い出し恨み
不倫相手は毎月の支払いがじわじわと気持ちと財政を逼迫して
こんなことになってしまった不運とやり場のない怒りに苛まれるだろう。


呪いは、時間をかけて相手を苦しめる、本当に真実恐ろしいやり方である。
かけた私の方だってタールのように暗く粘り気のある不快な気分が
いつまでも取り去ることが出来ずにいる。


全員が笑顔になれればそれでいいと思っていた。
そして、それが叶わないならば
全員を地獄へ。

これが私のやったこと。
カトウリュウタのやったこと、である。


元妻は45リットルのゴミ袋に懸命に衣服や靴を詰め
10袋にはなっただろうか、それをタクシーの運転手に手伝ってもらい詰め込み
慌ただしく去っていった。
私はそれをビールを飲みながら眺めていた。
地獄だった。
しかしひとまずは、これで終わる。ようやく終わる。


妻が去った後、私は友人らを呼び寄せて家でワールドカップを観戦した。
彼らには済まなかったが、私は6月29日を
「妻が出ていった日」ではなく
「ワールドカップを観戦した日」にするために
友人らを呼び寄せたのだった。
思い出の上書き、と私は呼んだ。
私自身が画策したこの呪われたドタバタ劇を、
私自身が記憶から消し去りたかったのである。


(つづく)