消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

本は誰のものか

本は誰のものか。
昨今電子書籍が増え、
それを読む手段も増え、
紙の本を裁断し、スキャニングして電子化する、
自炊、と俗称される行為が流行っている。

かくいう私も、かさばる本の重圧に負け、
多くの蔵書を業者に出して
電子化する決意をした。

楽しいものではない。
愛読した、何度も何度もページをめくった本たちが
バラバラに裁断され、
吸い出し後焼却されるなんて、
正直宝物を燃やされる気分だ。
松本零士先生の本がバラバラにされるなんて。
あのメーテルが燃やされるなんて。
かなり辛い選択ではある。

しかしスマートフォンに、
iPadに、
いつでも読める湘南爆走族があるなんて
それは素晴らしすぎるではないか。
ふとイガイガした気持ちの時に
村上春樹の一節を読めるなんて
最高じゃないか。

その誘惑の誘うままに、自炊業者に発注した。
そんなおり、下記リンクを読んだ。
書籍について、
やぶこうが燃やそうが購入者の自由、
とする作家と、
本の購入は読む権利の購入であって、
すべてを自由にする権利ではない、
とする作家のそれぞれの意見である。

どちらも、なるほどなぁ、と思わされる。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/lite/archives/1686338.html

正直私は自炊するわけだし、
「書籍購入者が持つのは読む権利だけだ」
などと言われるのは困るのだが
しかし上記スレを読んで行くと
その発想にも全く理がないわけではないことに気づく。
例えば毎週ワンピースをジャンプから切り取って
家の壁や学校の掲示板に張り出したら
それも購入者の権利の延長だろうか。
毎週タダで公開しているこの行為は、
確かに極端な例である。
ではラインはどこか。
友達に貸すことは?
古本屋に売ることは?

例えばあなたの友人が食べ物を買って、
それを地面に投げ捨てて遊んでいたらどうだろう。
あなたはきっと注意するのではないか。
友人が、自分の買ったものだから、
と好きにすることを主張しても
あなたは言うのではないだろうか。
「そういう問題ではない」と。

テクノロジーの進化は法整備や人のモラル、
通念構築を待つことなく
あっという間に進んで行く。
人の成長など待ってくれない。
この時代、我々の進化、
意識改革は急がれている。

池田大作じゃなくてね。