消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

おめでとう、新しい命

ある会社にて、
新入社員の女の子が
入社してからわずか半年ほどで妊娠、
仕事に対しては意欲的な女性であったが、
つわりなどの体調不良でしばらくの休暇が必要となったそうだ。
さらには、臨月が近づいたら一年ほどの産休が控えている。
つまりほとんど働かず職場を長期離脱することになるのだ。

この事態に対し職場の上司は、
「避妊しなかったのは責任感の欠如、何を考えているんだ」
と激怒しているという。

一瞬、職場上司の暴言のようにも見えるが
これについて背景を知っておく必要がある。
どうやらこの会社では産休、育休の場合、
部門の所属が変わらず「1名」と数えられるらしい。
それが何を意味するかというと、
産休で休む女性社員の抜けた穴を、新しい人員で補充できない、ということらしい。
加えて、まだほとんど新人研修、と言えるぐらいの
仕事の勉強中の社員である。
出産後に戻ってきたところで即戦力など期待できないし、
子供が幼いうちは時短勤務でフルタイム働けないことも決定事項だろう。

「無責任」というのは、
そういった周囲の迷惑、事情を省みず、
夫の給与だけでは生活が厳しい、それにまだ働きたい、
という自分都合の理由だけを主張している点をさしているのだろう。


この上司の気持ち、暴言、
わからんでもない。
私も偶然部下の妊娠、長期離脱を目前に控えているので
気持ちの上では、困ったな、と思っている。

しかし、悲しい話ではないか。
本来なら手を叩いておめでとうと言うべき、
新たな命の誕生に対し
このような発想にならざる得ない、なんていうのは。

この話題の上司の会社も、恐らくは私の会社同様、
人件費カット、コストカットの波で
ギリギリの作業を余儀なくされているのではないか。
本来なら祝福すべき事柄を受け入れられないほど
余裕とバッファのない職場なのではないか。

これらは、言うまでもない、
会社の経営側の問題である。
会社の社会貢献、コンプライアンスの遵守という
聞こえのいいアピールを繰り返し、
コストカットによる利益率向上を株主への餌にして

そう、かつての江戸幕府の行った
「農民は生かさぬよう、殺さぬよう」
の搾り取れるだけしぼりとる発想で
社員たちをぎりぎりまで雑巾絞りする、
会社経営側の発想の犠牲である。


日本からは、いい会社が姿を消し、
良い会社、を皆めざしている、という。

「良い」というのは正しい、というニュアンスで、
法を守り、コンプライアンスを遵守し、
透明性と公共性をもつ企業足らん、とするところである。

一方で「いい」会社、とはなんであったか。
昔の日本企業は、どんな会社であったろうか。

過去の日本企業が多くの問題を抱えており、
職場でも矛盾と不正と非効率が横行していたのは
重々承知している。
その上でしかし、
すべてが「悪」であったろうか。
昭和時代の日本企業の「いい」点を、
現代の企業はちゃんと継承できているだろうか。

少なくとも私は、
社員に子供が生まれることを素直に喜ぶことができない会社など
正しく魅力的に進化できてない、と断言する。
その上で、先の例にあげた会社同様、
私の会社も実際問題困ってしまうこと、
この事実を悲しく思う。

もちろん、どんな穴だろうが埋めて見せるのが上司だし、
少なくともうちの会社は産休の抜けを考慮してくれない会社ではないので
笑顔と歓待を持って送り出してやるつもりである。


でもね。戦力マイナスなのは、確かな事実なのよ。
これをどのように、未来の企業は受け止めて行くのだろうか。
十歩進んで九歩下がる、
そんな遅々とした発展向上しか見られない人類だけれども
それでも一歩ずつだけは、
進んでいるんだと、信じたい。