消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

表参道反原発デモ

髪の毛はカリスマ美容師に切ってもらうと決めているので、
時々は浮気して地元の美容院なんかを訪ねちゃうこともあるのだけれど
やっぱりカリスマにやってもらわなきゃ立派になれない気がして、
出不精ながら、カリスマ美容師を求めて
オシャレ街、表参道までちんたらでかけてカリスマにしてもらうのである。

それだけの労苦と対価を支払っての「向井理カット」なのだから
誰がなんと言おうと、どこからどう見ても向井理であることは
言うまでもない。
間違えて声をかけて来る人がいないのが不思議なぐらいだ。

と、いうわけで「ほぼ」向井理となった私は
ビッとワックスで風情決めて
表参道の街に颯爽と降り立ったわけですが、
そうしますと表通りの方から何やらわきゃわきゃと
ざわめきが聞こえて参ります。
日曜日、急に春らしく暑いくらいの陽気の中であれば
そんな風に浮かれる連中もいるだろう、ぐらいに春風のように聞き流していたら
何やら拡声器で歌をうたう声が流れ、
それもまた春先の風物詩であったのですが
その歌詞が妙ちきりんな感じで、
思わず耳をそばだてたのでした。

原発はいらない~♪」
原発は反対~♪」

ポップで古臭い歌謡曲的メロディに
やけに稚拙で韻の踏まれていないそんな歌詞でした。
なるほど、こんな時はかえって、
技巧的で耳辺りのいいメロディ、歌詞よりも、
ちょっと音程外れているくらいが人に耳を傾けさせるものです。
それでふと目線をそちらの大通りの方にやりますと、
ぞろぞろとたくさんの人が列をなして、
どうやら原発反対デモをやっているのでした。

原発を止めろー」
原発をやめろー」
そんなシュプレヒコールしつつ、
ただどこかのどかで牧歌的にゆっくりと、行列は進んでいきます。
随分長い列、当然、随分たくさんの人が参加しているのでしょう。


2030年まで、か2030年代のうちに、原発を撤廃する、
とした民主党は先の衆院選で見るも無残な惨敗を喫し、
おそらくは原発肯定、推進派である自民党の圧勝と言う形で
国政選挙は結論付けられました。
しかし、政治家の皆さんに勘違いしてもらいたくないことですが
あなた方に入れた一票が万遍なく、
全100%的にあなたやあなたの政党を支持しているわけではない、と言うことです。
あなたが掲げたすべての公約、政策、方針、考えを「是」としてるわけではありません。
自民党の大勝と原発の推進は、少なくともイコールの話ではない、
しっかり議論されなくてはならないことだ、ということです。


東北大震災での福島原発壊滅を受け、
当時の民主党は他の原発の安全調査を実施、
最終的に日本のすべての原発が稼働停止した。
「え、こんなにあったんだ」というくらい、意外にたくさんの原発が存在し、
皆それを停止した。

だからといって日本の巨大な電力消費が止まるはずもない。
足りない電力は火力、風力、水力などの他のエネルギーによる発電で
賄われることとなった。
特に安定発電可能な火力への依存度がましており、
化石燃料の輸入が激増、
巨額の貿易赤字を産んでいるとのことである。

消費者、国民たちの協力的な「節電」なんてのはワンシーズンで終わりを告げ、
どこの店舗も「震災は過去のことでした」と言わんばかりに
煌々とネオンをきらめかせている。
電力供給は必要であり、化石燃料がもやされることでそれは賄われ、
どうやら二酸化炭素と温暖化、京都議定書の件は
全国的に目を瞑っているらしい。


原発が是とは言わない。
が、原発がなくて困ってるのも事実である。
使用済み核燃料は処分方法さえ決まっていない劇薬である。
看過できない課題が多い中で「とりあえず原発再開」が危険な発想であることも
十分に理解できる。
が、
それで二酸化炭素算出が増えていい、というトレードオフにはならないだろう。

私個人としてはいわゆる原発利権の黒い金の流れが気になるところである。
そういう不正に私腹を肥やし利権を貪る連中が、日本や世界を狂わせているのは
おそらく疑いようもない事実であろう。
一回共産革命で全部平坦にしちまえばいいんだよ、とさえ思う。
もちろんそれがロシア、中国を産む道であるのだから
良いこととは思わないが。
腹が立つのである。「世界」という視点を持てないちっぽけさが。
「人類」という視点を持てない私的感覚が。

そんな連中が(おそらくは醜悪でこの世の役に立たない老害だと思うけれども)
そんな連中が世界を取り仕切っているくらいならば、
いっそのこと公的な采配と透明性と滅私奉公を期待できる、
「コンピュータ管理時代」が来てくれて、
マザーコンピュータあたりが色々取り決めてくれてもいいんじゃなかと
本気で思ったりもするのだけれど

そのマザーコンピュータを動かすのだって、電気がいる。電力がいる。
見方を変えると、動力源であるエネルギー資源の確保がままならない状態で
家電製品、電化製品ばかりが巨大に増えていった、
今の社会にいびつさがあるのであろう。
だからといって、人が他人のためにコンセントを抜くことはあり得ず、
洗濯物を手で洗う時代には戻れないのである。


とすればどうあるべきか。

原発に変わるエネルギー供給源を見つけることに全精力を費やし、
脱原発を現実的な観点で促進するしかないのである。
原発利権をすべて解体して、メタンハイドレート発掘や
自然エネルギー発電の援助金にあて、支援するべきなのである。
もんじゅなんかはただちに閉鎖だろう。原子力から手を引くことは、既に決定事項なのだ。

そして、
原発反対デモに参加した工数
その膨大な工数を、新エネルギー発電の方になんとか回すべきなのだと思う。
街を練り歩くその足で発電機を回し、
せめてその日一日のライブイベントの電力くらいは自家発電してみればいいのである。
お金が集まるならお金を集め、メタンハイドレート研究につぎ込むべきなのである。

折しも、愛知県でメタンハイドレートの採掘実験が始まったという。
動く人たちは動き出している。
政治家共は定数削減という「無駄な支出の削減」のために、「無駄な政治家人件費」を
垂れ流し続けている。
お前らも採掘してこい。


だれもが、世界を良くしたいと思っている。
ただその「世界」の視点がどこにあるのか。
ほんのミクロな「親族」を世界としている連中もいれば、
大自然で自給自足してナチュラルに生きることを「世界」と捉えている連中もいる。
方向性が不一致な中で「こうあるべきだ」議論をしても空転するばかりである。

その、世界という指針を明確にするためには、
「革命」って形だって、とられていいって思うんですぜ?
デモしている長い行列を見ながら、
それでもあの人達は、自分たちではない誰かが実行してくれるのを
要求しつつ待っているんだよな、と思うのであった。