消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

東北大震災より二年。復興に向けて

2011/3/11 午後、
平日の仕事時間帯であったが私は普段の職場を離れ
研修センターで見ず知らずの人たちと集団研修に勤しんでいた。
まさかその人達と夜を過ごすことになろうとは知らずに。

おそらく、皆さんそれぞれの「3/11」があったことでしょう。
そこから2年。世界と日本はどう変わっただろうか。

日本国内としては、政権が変わったところなんかだろうか。
福島原発の教訓から、原発全機停止、
数十年後ではあるが、そこまでに原発を撤廃していこう、
という政治的約束は、
どうやら与党交替によって反故にされようとしているようだ。
政党政治の宿命とはいえ、その程度のことで方針変えられるのは
国民としては困ってしまうところだ。
外国だって首相が変わる度に方針まで変えられちゃってるんだから
何を信じればいいか、っと不信感が募るだろう。

正直言って、政府が復興に向けて何をしているのか、
何を目指しているのかは、よくわかってない。よくわからない。
私が政治に対して不勉強なのかもしれないが
「被災地瓦礫受け入れ容認や反対」とか
「東電値上げ」とか
「復興増税」とか
「奇跡の一本松復活」とか
なんかそんなニュースははいってくるんだから
もうちょっとマスコミがいい感じに報道してくれるといいんだけれど。
今日池上彰の復興現状説明があったらしいから
その番組を見ればよかったな。失敗。

被災地には2回行った。
現地に金を落とすのがいいんじゃないか、と出かけたのだが
そんなに落とせたかどうか。
興味本位で申し訳ないが、原発にもできるだけ近づこうとしてみた。
けれどやはり道路は封鎖されていて警察に追い返された。
今も多分、あのへんは封鎖されているのだろう。チェルノブイリみたいに。


世界としては、やはり放射能を気にしてるんじゃないか、と思う。
3/11 福島以降、確かに外国人がそれぞれの国に帰っていくのを見かけた。
出て行った人たちは帰ってきたのだろうか。
今は中国側の汚染もひどかったりで、
世界の何処が安全なのかよくわからない気もするけれども
東京のオリンピック誘致に対してライバル開催候補イラク
放射能リスクがある以上開催地にすべきではない」という
発言は重たかった。
それを否定できる言葉はない。
「そこを復興して見せることに東京オリンピックの意義を!」
ということはできるかもしれないが、
放射能除去、福島原発の後始末がどうなるか見えていない以上、
たとえ7年後であっても約束できる状況じゃないだろう。
大阪を候補地にしたらいいのに。あ、でもあっちは中国からの大気汚染がきてるんだっけ。


てかなんてか書いてきて
結局のところ、私の中で福島も大震災も過去のことになっていて
その後の状況もイマイチ把握していない現実を思い出し
思い知る3/11 になってしまった。
このままじゃいけないきもするのだけれど…しょせん、庶民は自分の生活でいっぱいなんですよね。