消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ハナムラさんじゅっさい/ハナムラ

iPhone アプリのランキングを眺めつつ
無料アプリを入れるのが趣味の私。
その日たまたま見かけた堂々第1位の
「全巻無料! ハナムラさんじゅっさい
なるアプリを入れたのは全くの偶然だった。

良い作品だった。面白かった。
このような良い漫画が、昨今のWEB の発達で
無料で読めるのは、確かにありがたいのだけれど
この作中でも出てくる通り、
作家さん側は人生と生活をかけて漫画を描いているはずである。
詰まるところお金は大丈夫なんだろうか、などと
余計なところを心配してしまう。

ブラックジャックによろしく」が全巻無料で配布されたのも
すごいなぁと思ったのだが、
こちらの作者は「海猿」の映画化、シリーズ化で
きっと収入も段違いにあるだろうし
そもそも人気漫画家だし、
「漫画家と出版社の在り方について」あるいは
「コンテンツは出版社の食い物じゃない!」みたいな
問題提起を意識しての「全巻無料配布」であったはずなので、
ブラックジャックによろしく」と「ハナムラさんじゅっさい」は
同じ無料でも意味が違うのだろうなぁ、とは思った。

「全巻無料」ってどうやって収入にしてるんだろう・・・?
広告収入?
じゃあクリックしてあげなきゃならんのか??
漫画の中で、作者さん、お金に困ってるっぽかったし・・・
とちょっと考えてしまう。余計なお世話かもしれないけれど。


さて、作品の内容だけれども
主人公ハナムラの29歳から30歳になるタイミングで起こった
人生のドタバタをコメディタッチで描いている。
だからタイトル「ハナムラさんじゅっさい」は「30歳」の意。
あんまり書いてしまうとネタバレになってしまうので
是非アプリをダウンロードして全巻読破して
広告枠もクリックしまくって欲しいところですが

30歳なのに漫画家目指していて、
新人賞入選依頼何度か読み切りとかはかけているけれど
連載を持てたことがなく
ほぼ無職、という主人公ハナムラが
たまたま紹介された仕事の話が
「ケータイエロ漫画描き」だったことが
主人公の人生を面白くもドタバタな感じにしている。
その「ケータイエロ漫画」の担当編集として
主人公に漫画を依頼し内容をチェックする人、白井さんが
「美人で天然ボケでおもしろキャラ」であることが
この漫画を成立させている。が、

就職氷河期時代、続く不景気の中で、
夢を追いつつも気迫が日々萎えていく、男・無職・30歳、という
「ダメさ加減」が
共感を呼んだり、「自分より下がいる」という優越感を得られたり
「いろんな人がいて色んな人生があるな」と
しごく当たり前なことを思わされたりして面白い。
主人公の焦燥と混乱と辛さがいちいち共感できるのだ。
多分、この漫画を読んだ人の境遇、年代によって
別々の感想になることだろう。

福満しげゆきという漫画家がいて、
僕の小規模な生活」「うちの妻ってどうでしょう?」で
人気を博している人なのですが
(非常に面白いです。借りて読んでたけど全部買ってしまった)
この人も連載当初は漫画で生計が立てられて無くて
ハナムラさんじゅっさい」同様、妄想と焦燥の中で
なんとかしなくちゃ、なんとかならないかな、と戦っている。

「自分漫画は成功する」と言われている。
(と「ハナムラさんじゅっさい」内で書かれている)
なんでだろう?
いわゆるエッセイ漫画は、読んでいると確かに面白い。
それは主人公らが意図的なストーリーにのっけられてるわけでも
超絶的な能力でさらに超絶的な敵と戦ってるわけでもない、
等身大の具合が心地よいのかもしれない。
そこに共感したり、あるいは他人の人生をつまみ食い、盗み見するようで
面白いのかもしれない。
小説だってエッセイというジャンルは各個として確立しているのだが、
それはやはり人間の「覗き見趣味」の実在を示しているのだろう。

飲み会なんかでやたらと他人のことを聞きたくなることがある。
そういう「酒のつまみに覗き見」のような気安さが
エッセイには存在するんじゃなかろうか。


あーっと、「ハナムラさんじゅっさい」ですが、
「ケータイエロ漫画」を描くことになる主人公ですが、
安心なことに(残念なことに)エロはありません。
少年誌で漫画家として連載したいのだけれど、
漫画としては亜流(と多分思われている)エロ漫画を描き、
同期で新人賞をとった人たちが次々と連載していくのを横目に、
担当が美人だから色々よからぬ妄想を駆り立ててしまう、

そういう哀しくて滑稽な、男30歳なら誰もが「わかる」と言いたくなる
人生の悲喜こもごもが描かれています。

漫画の絵柄は全編鉛筆タッチで、
「気張らない、気取らない」で始めた漫画のまま、
すんなり読みやすい作風になっています。
ただ、セリフもすべて手書きで、
iPhone だと文字が読みにくいこともしばしば。ご注意を(iPadがいいのかも)。

また、「少年誌連載」と「ケータイエロ漫画」の、
価値というか格差みたいなことに悩む漫画家、という点で、
漫画界の思考の一部が見えるのも面白いところかもしれない。
職業に貴賎なしとはいいますが、
やはり漫画界の中では「エロ漫画」とその他の漫画は線引きされているのでしょう。
そりゃそうだよね、18禁コーナーに置かれてるし。
ていうか少年が買えないし。

ただ、「エロ」というのは人間の根源的な欲求であって、
グルメ漫画が成立するように、エロ漫画も確固たる位置があるべきものだと思う。
実際あるし。確固たる地位が。
私は別に、「だから健全化しろ!」とか「エロ漫画の地位を向上しろ」とか
そんな風には思わない、言わない。
アンダーグラウンドな文化はアンダーなままが美しいのだし、
親に隠れてこそこそ見るエロ本、という
「美しき青き日々」があるから、エロは美しいのだとも思う。
ヌードの油絵を、芸術的な観点とはまるで異なる視点で
こっそり一人で見ちゃう、みたいなさ。
コンビニで隠れて立ち読みしているところを同級生に見つかっちゃう、みたいなさ。
そういうのがいいんだよ、エロは。そういう位置づけでいいんだと思う。

そういえば私も、いつか小説書いて発表したい、なんて思いつつその横で、
エロ小説書きたい、書いてみたい、なんて思ってて
ネタを書きためてたりするんですが
どんな経緯と事情であれ、エロ漫画を世に発信できた作者は
作中で描かれているとおり楽しかったのだと思うし、有意義な時間だったのだと思う。
あ、そう言えば福満しげゆき氏もエロ漫画描いて糊口しのいだりしてたんだった。
この間買った作品が全編昔のエロ漫画で驚いたんだった。


ながながダラダラ書いてる私ですが、最後に。
「自分に起こった出来事、酒の席で友人にたらたらしゃべるにはあまりに長い
この出来事を、なんとなく外に放出したい、アウトプットしたい、
だって面白かったんだもん」
これが、主人公であり作者の「ハナムラ」の動機でありモチベーションであった。
わかる。
わかるし、私も実際やった。
「僕とネコと離婚物語」
私のなんかはただのブログ記事でダラダラ書いただけでありましたし、
今読み返すと文章がめちゃくちゃで構成もひどくて
書き直したかったりしつつ、読んでて当時がプレイバックされてへこんだりと大変なのですが

出したくなるのですよね。何かがあると。人は。
ブログがそうだし、ツイッターもそうなのでしょう。
「なんでわざわざそんな話を公共の電波で言うかね」というものも多いのですが
誰かに聞いてもらいたくなるものなのです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

鴨長明の「方丈記」ですが
溜め込んでいると、よどむ。
人生は流れる川のごとくであり、
だから起こった出来事は良きにつけ悪しきにつけ、
自分の体に流れ込んだなら、それを放出してしまったほうがいい。
放出して、そして一旦そこから立ち去って、
時々、思い返してみるくらいでいい。
古いアルバムをめくるような。
ハナムラさんじゅっさい」は、きっと作者にとって
時折思い返す思い出のアルバムになるだろうし、
それは我々読者にとっても、なのだ。
ある人のアルバムを見ることができた。
それが記憶に残るのは、当然作者のアウトプット能力が高いからなのだけれど
良いアルバムでした。