消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

人を批評する人は、ダメだ

世の中には二人の人がいる。
見る人と、見られる人、だ。

ちょっと言い方を変えてみる。
見る人と、見せる人、だ。


見せる人、見られる人は一生懸命考える。
何かを出す。出力する。
アクションする。頑張る。
どうにかしようと遮二無二なる。

怖れない。
本当は死ぬほど怖いけど怖れない。
前に出る。
人の気持ちを考える。
場の盛り上がりを考える。
今、何を落とすべきか考える。
今、何を出力すべきか考える。
見過ごさない。スルーしない。
大事なことが無いか真剣に考える。

出す。
言葉に出す。
表現をする。
傍観者にならない。
諦観者にならない。
そして

批判される。
批評される。
曰く、「つまらない」
曰く、「めんどくさい」
曰く、「わからない」
座って眺めているだけの観客に。
自ら物語を動かすことのないモブキャラに。
背景にしか過ぎない中でも、
見る人の中には、

足を組んで、
顎をひとしきりなでて、
「あー」とか「うー」とか口を作り、
時折うなづいて見せたりして、
しばしば首を振ってみたりして、

そうして殊更にしたり顔で
既に舞台の終わった場面に向かって
そんなのはわかってるんだというため息を交えつつ

曰く、「つまらない」
曰く、「そんなもんか」
曰く、「わからない」

何かを産み出す人間と
何かを評価する人間がいる。
圧倒的大多数は消費者だ。
驚くほど良く出来た言葉だ、消費者。
舞台の観客に過ぎない彼らは
自ら物語を紡ぐ力も産み出す力も持たないまま
せめて一石を投じる波紋も投げかけぬまま

しかしすべてを知りたもう金の瞳の君の如く、
評価を、批評を下して見せる。
神の声の如く裁断を下して見せる。

あらゆる評価より
あらゆる批評より
物事を産み出す人間の言葉のほうが
多くの時間と多くの汗と多くの犠牲の上に成り立っている。
批評者には背負うものも失うものもない。


つまらないという奴は楽しむ努力すらできない奴だ。
めんどくさいと言う奴は関わりを断つ度胸も無い奴だ。
そんなもんかと言う奴はどんなものも見出すことのできない奴だ。

殊更たちの悪い奴は「わからない」という奴だ。
わかろうとする努力、歩み寄ろうとする希望、
一歩でも歩こうとするその小さな気構えさえ無いことを
自らの口で宣言しているに等しいのに、
それに気づくことさえ出来ていない奴。

わかるか? わからない奴。
少しでもわかろうとするならば
「わからない」という一秒を無駄に使わず
質問をするんだよ。
歩み寄ろうとするんだよ。
どうすればわかるのか、
どうすれば良くなるのか、
無駄に思える一歩でも
ほんの少しでも近づこうとする人間のみが

何かを作り、何かを生み出し、
世界の物語の章を進められる奴なのだ。

問おう。
「わからない」と言って物語が進んだことがあるだろうか。
「わからない」と言って事象を変えられたことがあるだろうか。
「わからない」と言ってわかったことがあるだろうか。
少しでも真実に近づくことができただろうか。

批評する人は、何も産んでない。
そう、例えば、
批評者だけが寄り集まった飲み会で
話しが1センチでも進むことがあるかどうか、
ちょっと想像してみてもらいたい。


世の中には、二種類の人間がいる。
価値があるか、価値がないか、だ。
あなたはどっちだろうか?