消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

鯖の皮は食べるのか

からりと晴れて、それでも風は冷ややかさを残す日曜日。
こんな気持ちのよい風も後数日のことだろう。
梅雨を経て東京のアスファルト温暖熱線が、
焦げるようなオーブントースターな日常を運んでくる。

そんな夏の予感めいた、心地良い昼下がり。
近所の定食屋ののれんをくぐった。
非常に無愛想でつっけんどんなおばちゃんが応対してくれる。

定食屋のおばちゃんまで愛想が悪いとなると
東京砂漠の乾きもいよいよ深刻だ、なんて思ってしまうが
おばちゃんの立ち居振る舞いをみていると
不機嫌さをぶつけるように無愛想になっているわけではなく
ただただひたすら、人生の年輪で培ってきた性質として
純粋に無愛想であることが端々から感じられる。
サイドメニューにコロッケは無いかと尋ねた時の、
慌てふためき方や要領の悪さなんかにね。感じるものである。


昨夜お茶漬け一杯しか食べていない私は夜半から空腹の極みにいたが
ここで揚げ物を口にしてしまうと、たっぷりカロリーを吸収してしまいそうな
予感があった。
ダイエット学的に正しいのかは知らないけれど、
食事制限して空腹の状態って、カラダが欲している関係から吸収が良くなってて
太るものをとると、だいぶ「贅肉」に加算される、と思っている私。

だから、お昼の定食メニューから牛カツと肉詰めしいたけのフライを我慢して
焼き鯖ネギポン酢を注文した。
鯖の焼かれる音がするまで、自分の選択に迷いながら。

(ほんとにネギポン酢なのか?)
(あっさりしすぎていないか?)
(昨日から何も食ってないんだぞ?(※)ガッツリ行きたいんじゃないか?)
※:お茶漬けは食べたのでこの思考には誤謬があります。


大変、美味であった。選択は誤ってなかった。
37歳はとうに「揚げ物。至高」「肉でなければ食い物でない」という
味覚の呪縛からは解き放たれている。
だからといって毎日キュウリをかじり続けるわけにもいかないが、
焼き魚、結構じゃないか。

ただ、出された皿に一瞬とまどい、ふと、これまで気にしていなかった、
ある点に気がついた。
「焼き鯖って、皮、食べるんだっけ?」

私はこれまで、焼き塩鯖を食べる機会が多かった。
その際はパリパリに焼けた皮をちょいちょい、っと避けていたはずだ。
するりとめくれる時は気持ちよかった。
鯖の寿司なんかを思い出してみると、けれどもあれは皮がついてた気がする。
むかーし、会社の飲み会で焼いた鮭が出てきた時があって、
丁寧に皮を向いてやったら怒られたことがあった。

鯖は?
鯖はどうなんだ?

なぜそんな風に日曜のさびれた商店街の定食屋で思ったかというと
ネギポン酢が、皮の上に乗っけられていたからである。

焼き鯖はいつもたいてい、皮を背に、皮を見せる形で給仕される。
私はそれを、そのまま皮を剥ぐこともあれば、
ひっくり返して皮を下にし、身をほぐしながら剥がすこともあった。
今日はどうしよう?

ネギポン酢は、固められて皮の上にある。
ネギがパラパラとかかっているタイプではなく、
大根おろし的に小さな山形を描いている、「積んだ」タイプだ。
それが皮の上に鎮座している。

つまみやすい、とも言える。
そのままつまみ上げて脇へどけ、
皮をはいでから再ドッキングを試みてもいいし、
裏返してそちらに添えてもいい。
でも、ここで記憶をくすぐられたのは、焼き鮭の皮を剥いで、
一生のトラウマになるほど怒られた、若いころの飲み会の記憶である(※)。
※:別にそんなに怒られていない。会社を辞めた理由とも関係ない。

「皮がうまいんだよ」

この一言が10年の歳月を経て耳元に鮮やかによみがえる。
「カワガウマインダヨ」?
もしかして、そうなのか?
俺は何か、大変な間違いを犯していたのではないのか?
鯖と向き合ってきたつもりで、本当は自分の殻から一歩も出ない、
引きこもりの典型のように世間を呪うだけのナルシストだったんじゃないのか!?!

今、自らの殻を破るべき。
いつから俺は、
いつまで俺は、
根拠のない自分自身の記憶だけで、物事を判断するようになったのだろう、
判断してしまってるのだろう。
子供の頃は、学生の頃は、新人社会人の頃は、
ちゃんと疑うことを知っていたはずだ。
知らないということを知っていたはずだ。
だから、調べたり、聞いたりして学べてきていたはずだ。

なんだ、カトウリュウタ!
お前はいつからそんな「いっぱしの大人」のつもりになっていやがったんだ!?
鯖の皮は食べないもの、と、
そう決めつけていたお前の生き方は、
世界のすべてを自分の物差しでしかはからない、
大嫌いなオバタリアンたちと一緒じゃないか!!
・・・定食屋のおばちゃんの無愛想さは別にいいけどね。


「携帯電話禁止」とカウンターに書かれた注意書きを破り捨て、
私はおもむろにGalaxy S2 WiMax Auモデルを引っ張りだす。
HOME ボタンをおし、PIN コードを流れるように入力する。
大丈夫、いつもどおりだ。一切のムダも疑問もない素早い動き。
Google Chrome を起動して、検索バーに素早く文字を入力する・・・
!?
う、動かない!? 動きが悪い?!
まただ、またこの感触・・・!!
Google ChromeGoogle 日本語入力、
同じ会社が作っているのだから、
さぞや相性よく素晴らしい動作体験を与えてくれるものだと
いつも高まる期待は必ず裏切られる。
Chrome の動きが悪いのだ。遅い。遅すぎる。
恐らく前回起動時に表示していたページを読みに行ってるのかと思われる。
また、入力された文字に対して予測検索キーワードを出す際に通信しており、
このへんで致命的に遅く、動きの悪さを感じされられるのだ。

英語圏の人間にはどうしたって理解できない「変換」という処理を無視し、
入力された文字だけで(この場合ひらがなだけで)
先回りして検索してやろう、とする動きは、
確かに英語圏での動作を想定するならある意味正しい。
しかし、日本では残念という他無い。
「さば△かわ」
と入力したつもりなのに画面上では「さ」で固まっている。苛つく。
先輩、これでもAndroid の方がiphone より売れているっていうんですか!?
くそ、こうしてる間にも、焼き鯖がポン酢の冷却効果で
焼き加減をどんどん逃していってしまう・・・いつも俺は肝心な所で判断をミスる・・・
・・・Boat Browser で調べればよかったな・・・

全くの余分な話でありました。閑話休題

「鯖 皮 食べる」で検索し、
人類の英知がつまったインターネット上のパンドラの箱
ヤフー知恵袋のリンクをクリックする。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213068637


・・・なんでみんな「私は食べます」とかどうでもいいことを回答するんだろう・・・
あ、質問者がそもそも「食べますか?」と個人的な聞き方をしているのか・・・
お前は何票「食べる」が集まったら食べるつもりなんだよ。聞きたいのはそこじゃねぇだろ?

私が思わず「ああ、確かに!!」
と日曜日の定食屋で膝を売ったのはこの発言。

「缶詰のサバ缶だって、皮が入ってて食べるでしょ?」
あぁ、確かに!! 食べるわ!! 取らねぇわ!!
サンマも皮取らないでしょ、って書いてあったけど、
それは取ってたわ。そして面倒で、ちゃんと取りきらずに食べてたわ。

あー、そうかー。食べるんだー。食べるよなー。
そうだよなー。食べるから皮の上にネギポン酢のっけるんだよなー。
食べるから、ほっけ焼きと違って、
オモテウラ逆で持ってくるんだよなー。あーそうかー。そうだよなー。

米の研ぎ方を知らない若者、
レコードをのかけ方を知らない若者を、俺は笑えない。
俺の方こそ、学ぶことを怠っていた恥ずべき老害だ。
これまで剥ぎ取ったすべての鯖に詫びると共に、
慢心することなく、これからも自らが無知であることを自覚し
生きていこうと思う。

「おばちゃん、ありがとう。美味しかったよ」
といったらえらいこと狼狽していた。
やはりコミュニケーションのやり方を忘れてしまっただけの、
根は優しい人なのである。