消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

スマートフォンの不思議な、進化速度と不満滞留

昔の、ガラケーの頃は、二年縛りというものが
ひどく理に適ってみえたものだった。
確かに二年くらい使う、
二年くらい壊れない、
二年くらい慣れ親しんだ。
使い慣れていったものだった。

パソコンなんかもそうで、二年とは言わず、
三年、四年周期で買い換えるイメージであった。
それがスマートフォン時代になって、
パソコンもXPかVISTA以降、
三年の周期では長く感じるようになった。
長い。
スマフォは、一年たったらもう不満なくらい、動きにキレがなくなる。
一時ファイルがたまったりしているだけでなく、
OSのアップデート、アプリのインストール数が嵩み、
ハードウェアスペックにわずか一年で不満がでるようになる。
劇的に進化している、と言えばその通りなのだろう。
OSのUI、体感、見栄え。
それらはしかし、CPU、メモリ、電力の大量投入による、
アメ車的な、贅沢にリソースを使いまくる享楽である。

IT業界にいるとわかるが、
立ち止まってるということは、遅れていくことと同義である。
だから何かに追われるように進んでいく。

ハードウェアリソースを過剰に使っても
不必要に派手なアニメーションを入れてでも、
進んでいること、変化、他社との差別化を見せていかねばならない。
その裏側で、ソフトウェアほどの進化スピードを持てない、
ハードウェア開発側は、
日々過剰になっていくソフト側の要求を
苦々しく眺めながら、新しい端末を作るのである。

ゲームボーイに日本中が熱狂していたのは遥か昔の思い出。
高解像度、処理速度は、
PS VITA、3DS という派手なモンスターマシンを産んだ。

ケータイの世界では液晶のPHS から始まったのに
もうiPhone4 でも時代遅れの機器で、
処理性能が追いつかないのである。

十年一昔。
日進月歩。
その行き着く先や、
肝心の人の進化を気にしつつ、
私も一年前のスマフォを機種変更したいと思っているのだった。