消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ねじれ国会解消、さてその次は

至極当然の結果として自公両党による過半数が確実となり、
ねじれ国会の解消はどうやら実現したようだが
しかしそれは自民党政権への「是」ではないことは
誰の目にも明らかで
(明らかだよね? まさかまさか安倍晋三さん、支持されてるとか思ってないよね?)
結局とのところこれからどうする、どうなる日本政権、という話なわけである。

10年前には自民党政権であったのだし、
その政治もたくさんの汚職と利権と不祥事でひどい政治をやっていたことを
さすがの国民もそこまでアホではないので覚えていますので、
消去法で自民党が残っただけでもあるし、
あまりにも民主党が不甲斐なかったところを「あえて」見せることで
自民党利権に寄生している一部の老害らが、
自らの基盤を盤石のものにしただけなのかもしれない。
これで自民党は次の50年へ向かうだろうし、
日本は革新を得れず、族議員が利権を流すルート構築のために
奔走する時代が続くだろう。

自民党政権、時代の逆行に対して批判的なことを私は書いているが、
では他に道があったのか。正解はあったのか。
それはまるで見えない。だから仕方ない、仕方ないじゃないか。

そんな中で山本太郎氏の当選が光る。
たった一人で何が出来る、とは思うが、
驚嘆すべき当選である。ものすごい。
山本太郎氏の主張の是非は私は分からないが、何か新しい動きがあるのかもしれない。
国民に。あるいは、東京に。それが正解かはわからねど。

正解はどこにあるのだろうー、と風呂に入りながら考えてみると、
小泉政権時代に声高に語られていた、「小さな政府」「分権」
なんかを思い出す。
国家という巨大な組織では目が届かない、お互いに。
政府の不正はやりたい放題、国民の目にそれは映らず、
国民の思い、苦労も一部が誇張されて国政に伝わるだけだろう。
もっと小さく、もっと近くでお互いに見つめ合いながらでなければ
運営はできないのかもしれない。

そういうものだろう、そういうものだ。
大きな組織をまとめられるほど、日本政治家は成熟していないのだ。
あるいは、言い方を変えると、
「お上に従う」という単純な滅私奉公精神が薄まった現代においては、
上位下達に単純に従う国民ではなくなった、
政治家としてはやりにくくなった時代なのかもしれない。
だから巨大組織ではなく、小さな、目の届く組織へ。
・・・個人がやかましくなった時代なのかもしれない。
まぁ騙されるだけだった国民たちが、ようやく構造的な腐敗、おかしさに
気が付きつつあるということだろう。

自民党政治に多くを期待することはできない。
この国の腐敗を作った根っこはやはり自民党にあり、
それが10年程度で改善されているわけもないのだから。
しかしひとまずはこれが結果であり、
ねじれ国会解消から、どのように政治が動くか。

政治家諸氏におかれましては、「国民の採択だ」という
責任転嫁の無い正解探しをお願いしたい。
国民においては、やはり選んだ側として監視を怠らないようにしたい。