消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

参院選、まもなく開票

民主党政権崩壊、
ねじれ国会からの最初の選挙。
あと1時間後には、国政が決定する。
・・・当然自民党議席をとって、
政権与党となってねじれ国会が解消するだろう。
・・・そうでなきゃ困る。ねじれ国会はどちらにしてもいい形ではないから。
ただ、そう思わせるこの衆参両院制度にはやはり疑問を感じてしまう。
政党政治ゆえのゆがみ、と言ってしまえばそれまでだが
両方の第一党でなければ政治を上手く回せない、というのも
随分と非効率な仕組みである。
衆議院選の二年後に、ようやく国政が定まる、という選挙制度
変だと思うよね、普通に。

そして、衆議院自民党が制している以上、
普通に考えて自民党にそのまま政権与党になってもらわなければ困る、と考える人、
ねじれ国会状態がおかしいと感じてる人は、参院選では自民党に入れなくては
いけないわけだ。この構図、やっぱ歪んでいる。

選挙のたびに、漫画家・福満しげゆき氏の書いていたネタを思い出す。
「じゃあ正解はあったのか。正解を用意してあっての国民の責任、と言ってるのか」
あまりにもまっとうな指摘である。

原発問題も、TPO も、ねじれ国会も、沖縄基地問題も、外交問題も、領土問題も、
国民の投票の結果民主党でなり自民党なりにが過半数となり、
政策を決めてきた。
「だから国民にも責任がある」
という批判は正しいかもしれないけれど、ちょっと待て、なのである。
国民が選択したこと、だとするならば、
その選択肢の中に本当に正解はあったのか。
そもそも正解とはなんだったのか。

選挙宣伝期間は「やります! 変えます! 信じてください!」と声をからし
当選数年後にできなかった責任が国民にある、と言われても
じゃあ誰に投票したらできていたのか。

そもそも、「正解」ってなんなのか。
日本国民1.5億、世界人口60億、
この中での最大公約数? 最小公倍数?
それは実際問題として可能なことなのか。
全員は無理だとしても大多数の人々一人ひとりが「今、正解」と感じられる世界、
そんな世界の構築は可能なのだろうか。
すくなくとも日本政府として、多少なりとも納得度の高い政府、政治は可能なのか。

そんな風に考えると、やはり投票率は落ちちゃうよなぁ、と溜息。
政治家も官僚も、責任感がなさすぎると思うのですよな。
個々人で責任を取るくらいの覚悟で政治に臨んでいやしない。
自身に投票された1万数千票に対する責任、
出来なかった時の1万数千票に対する謝罪と罰則がない。
・・・そう、罰則がない。それじゃ誰も真剣にはやらないだろう。


政治のからくりを直していくような政党、政治家が、今回の選挙の中に、
候補者の中に含まれているのか不明である。
当たりのない宝くじを購入しなければならない国民の分の悪さ。
挙句、責任は国民にあるというのだから、泣ける。

もう少し、日本国民が骨抜きにされてなければ、
クーデターとかで政治を大きく変えるタイミングもあったかもしれないが
嘆いているだけの私が歴史を変えられないのと同様、
他人任せするしかないのでしょう。
しょうがないじゃん。仕事で、生きていくので精一杯なんだもん。