消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ネットリテラシー

まさか間違えてる人はいないと思うけれども、
ともすると勘違いしがちだと思うので念を押しておく。

Twitter での投稿が炎上し、
例えば未成年なのに飲酒、
あろうことかの飲酒運転、
最近は飲食店での不埒な行為、
その写真をアップして、
店舗が休業においこまれたり、
学生は定額になったり、
そんなことがちょこまか発生しております。

それらの行為は違反であり、罰せられて然るべきです。

けれどね、だからと言ってね、
その不埒な行為を拡散し、
行為者の個人情報をさらし、
色々特定してクレームをいれることを、
正義の行為、正当な行為、
法の番人みたいに思ってるとしたら、
それは大きな勘違いですからね? 間違ってますから。

犯罪を告発する行為は一部褒められる偉業です。
しかしそれは是正され逮捕され然るべき処罰に繋がる行為が
表彰される程の良識のある行動なのであって、
面白がって拡散したりへんな正義感で個人情報を特定したり
そういう行為のすべてが評価されるようなものではないのです。
迷惑行為です。人としては本来自粛すべき行為です。

仮に、あなたが特定した個人情報が誤っていたら、どうでしょうか?
あるいはあなたが正義感から拡散した情報が、
やはり誤っていたらどうでしょうか?

デビ夫人があるいじめ自殺問題に言及し、
加害者側の個人名をブログに書いたことがあります。
有名人である夫人、影響力が非常に大きい「告発」と言えるでしょう。
それが誤りだったら?
間違えて隣の人だったら?
あるいは読んだ人が間違えて隣の人に制裁を加えたら?

まず気付いて欲しいこと。認識して欲しいこと。
我々は皆、断罪人ではない。
罪を追求し罰を与える司法側の人間ではない。
そういったことが可能な勉強もしてないし経験の蓄積もない。
あなたが誰かを糾弾するとき、
何を基準に何を論拠に責めることができるでしょう?
そこに公平性はあるでしょうか?

悪は、悪として断じられるべき。
それと、人々がやっている、拡散、批判、特定、制裁、という行為は、
まるで別軸の話であり、
肯定されるべき内容ではないのだ。

そこにも、ネットリテラシーがあるのだ、ということ、
間違えてはいけない。


ちょっと話がずれて聞こえるかもしれないが、
同じこととしてこんな例はどうだらう?

誰かが、貴方の発言を、適当に加工し、
都合よく切り出し、
誤解をわざと招く形でネットに載せて、
ネット上で煽り、炎上させ、
あなたを失脚させようとする行為があったとする。
それは正義と言えるか?

始まりは悪意があったとしても、
その裏の悪意に気づかず、糾弾し、懲罰を与えようとする人たちは、
それが正義、それが善意と思っている、
ネット上の「無害な」一般人だとしたら。
どう思う?

拡散や特定、断罪という、今あまり批判されていない行為の、
恐ろしい側面に気付いてもらえるだろうか?

大阪の橋下市長はよくマスコミに同様の批判をしている。
話の前後を鑑みず、悪意ある切り抜き方をして
世論をマスコミの誘導する方向へ流している、と。

気をつけることだ。
あなたの善意が、悪しき結果の片棒を担いでる可能性は
全然ゼロではないのだ。