消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ハウルの動く城/ジブリ(宮崎駿) その1

風立ちぬ」を観覧し、ジブリの森に初めて行って、
宮崎駿監督は長編映画引退を宣言してる、
そんなジブリ熱の高まりを受けて、久しぶりに観た、ハウルの動く城

なぜか自分は、ハウルの動く城の内容をほとんど全く覚えてなくて、
2回ほど観たはずなのだが、どうしてだかストーリーから設定から、
例えば「なぜ主人公は老婆になったのか」「なんで城が動いてるのか」
なんて超絶基本的なことさえまるで思い出せない状態にあって、
カルシファー役の我修院達也若人あきら)に倣って
記憶喪失にでもなっちまったのかってくらいに、
何も覚えてない、思い出せないのでありました。

なぜだろう? 誰かに鈍器のようなもので頭を殴られたのだろうか?
それすら思い出せないのですが、
改めてちゃんと観てみて、非常に面白かった。
記憶への残留が曖昧で少ないのは、エンディングが弱いからかもしれない。
話を広げたわりに、ハウルの個人的な話、あるいは主人公との恋で
ご都合的に大団円に持って行ってしまったところが
腑に落ちなくて印象が薄いのかも知れない。

ただ、エンディングはともかく、全体的に非常によくまとまっていて
動きもよくて、(若干心理面の描写についていけなかったりしたが)
良い映画だった。
良い映画なのに、記憶に残らなかったのは個人的に残念である。個人の問題だが。
で、個人的な問題なので、個人的に解決しようと思い、
ハウルのストーリーをまとめてみることにした。

ネタバレどころか、ストーリー概要をすべて書いてしまうつもりである。
本編から読み取れなかったり、うっかり聞き逃したところは
私の独断と妄想で補完してしまっているため、
実際の部分とはちょっと変わってしまうかもしれない。

これは多分、ハウルの動く城の二次創作、同人誌的な試みなのだ。
そのくらいの気分で書いてみます。


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ハウルの動く城

帽子屋のソフィーは経営者の身でありながら実務としてのお針子も務める、
多忙な日々を送っていた。
若くして亡くなった父の帽子屋の経営に、
生来自由人である母が興味を持ってくれるはずもなく、
長女であるソフィーがわずか十代で跡を継いだ格好である。

「私はこれを仕上げるまでやるわ」
軍隊のパレードを観に行こうと誘う母にソフィーは応えてから外を眺めた。
蒸気機関車の煙が窓のすれすれをたなびく、文明開化の時代。
町は賑やかに沸き立ち、戦争特需の好景気で慌ただしく活発で、
しかし一方で遠くの地で繰り広げられている戦争はどこか他人ごとに思え、
ともすると軍隊のパレードを「お祭り」と捉えてしまうくらいの
平和で気楽な朝であった。

(私が帽子に花飾りなんか縫いつけているくらいだものね)
とまではソフィーは考えない。
若くして店を継いだ彼女にとっては、政治も戦争も事実として関係ない。
店の切り盛りで頭も時間もいっぱいいっぱいで、
だからオシャレな帽子を売りに出しながらも、
年頃の娘らしく自分の容姿や着飾ることには
とんと無頓着に過ごしているのであった。

そもそも、こんな派手な飾りのついた大げさなツバの帽子が何故売れるのか、
それすらソフィーにはわかっていなかった。
母の「こんなのが流行っている」という言葉とデザインを頼りに、
ソフィーは裏方に徹して手を動かすのであった。

「観て! ハウルの城が、あんなに近くに!」
「まぁ怖い! さらわれちゃう!」
「あらあら、ハウルは美人の心臓にしか興味が無いって話しよ?」
「まぁそれ、どういう意味!?」
「あたしが若かったら危なかったわね」
帽子屋手伝いの少女たちと変わらない雰囲気で母ははしゃいでいる。
「ソフィー、あんまり働きすぎないのよ」
娘を気遣う優しさをわずかに見せたものの、
手伝いの少女たちを連れて、母はそのまま軍隊パレードに出かけて行ってしまった。
ソフィーは慣れた笑顔で皆を見送り、手は止めずに働き続けるのであった。



(続く)