消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ハウルの動く城/ジブリ(宮崎駿) その2

昼を過ぎた頃、ようやく仕事も一段落したソフィーは妹を訪ねることにした。
戦争が他人事、と思えていても、さすがに心中が湖面のように穏やかであるわけでもない。
ケーキ屋で住み込みで働く妹ともしばらく会っていない。
歩いていける距離でありながら、その近さがかえって面倒で、
気がついたらもう二ヶ月も顔を見ていないのだった。
軍隊パレードが終われば戦争は本格的になるはずである。
本気で会えなくなることを心配しているわけでもなかったけれど、
気分転換も兼ねて、ソフィーは外出することにした。
町はパレードで大賑わい。
このお祭り気分に、少しだけでも乗っかりたかったのである。

とはいっても元々地味な性格なのは、父親譲りの生来のもの。
騒がしすぎる表通りの人混みにもまれるのはさすがに気乗りしなかったので
ソフィーは裏口から路地へ出た。
お気に入りの、シンプルで飾り気のない麦わら帽子。
ちょっと、服装とあっていないけれど、ソフィーはそんなことに頓着しない。
ピンクの小さなリボンがついたこの麦わら帽子は、父が作ってくれたものの中でも、
特に気に入っている一つであったから、
出かける時はたいていこの帽子を被るのだった。
ちょっと前に母に言われたことがある。
いくらなんでも時代おくれすぎるわよ、と。
そうかも、とはさすがにソフィーも思うのだけれど、
それでも気に入っているからこの帽子で出かけるのだった。


「お嬢ちゃん、どこにいくんだい?」
ふと前、というより上を見上げると、
背の高い青年が二人、道を塞いでいる。
真新しい青の軍服を着ているけれど、パレードはどうしたのだろう?

「お、かわいいねぇ、お茶でもどうだい?」
「俺達は哀しい軍人、戦地に赴く前に、素敵な思い出を作らせてくれないか?」
女ばかりの仕事場に閉じこもってるソフィーにとって、
頭三つ分も背の高い男性は恐怖の対象でしか無い。
あまりの突然のことに引き返すことも忘れて、
「妹のところへ行くの、通してください!」
と目を合わせずに突き進もうとする。

「冷たくしないでよ、お嬢ちゃん」
「怒った顔もかわいいよー」
馴れ馴れしく絡んでくる軍服の青年にもうどうしていいかわからず
悲鳴を上げそうになった、その瞬間、

「やぁ、こんなところにいたんだね」
心が溶けるようなやわらかい声が、破裂しそうだったソフィーの心臓をなでた。
羽毛のように優しく右肩に置かれた手のひらから伸びる腕が、
左肩を力強く(けれどもとても優しく)支えてくれている。
一瞬で恐怖は消え去って、けれども驚きは膨らむばかり。
何が起こっているのかソフィーにはまるでわからない。

「どうも。連れが迷ってしまっていたみたいで。
もう大丈夫だから、君たちは見まわりを続けてくれたまえ」
左肩の上の方から透き通るような声が響く。
静かだけど力強いその声に引っ張られたのか、道を塞いでいた軍服の二人は
突然背筋を伸ばすと、ソフィーを置いて路地を進んでいってしまった。
任務に戻った、というよりは、まるで魔法にかけられて歩かされてるみたいな・・・

状況が飲み込めないままソフィーは左肩を見上げる。
金髪碧眼の美しい青年の横顔が麦わら帽子の影から見て取れた。誰だろう?
「さ、行くよ」
ソフィーの疑問はお構いなしに、肩に手をかけたまま青年が歩き出す。
白昼夢のようにただ従うソフィー。混乱が収まらないまま、ただ歩速を早めていく。
早めて・・・なんか早すぎる。

青年の足の長さのせいばかりでもない、ほぼ小走りになりつつある。
ふと前を見ると、これは一体どうしたことだろう、どうして今日はこんなに混乱すること
ばかりが起きるのだろう、
路地裏に落ちる建物の影が揺れたかと思うと、影が伸び上がってそこから得体のしれない
人型のようなものが生まれてくる。
襲い掛かってくるその人型の影をすんででかわして路地を曲がる。
青年とソフィーはもうほとんど走っている。
「ごめん、巻き込んでしまったみたいだ」
慌ただしい状況のなかで、それでも涼やかで冷静な青年の声。
その青年に肩を抱かれている、というだけで、
魔物のような影に追われているというこの状況でも不思議に安心していられる。

(それとも、もう驚きすぎておかしくなっちゃったのかもしれない)
ソフィーは肩を抱かれた安心感の中で冷静に分析する。
(こんなに驚くことだらけじゃ、もう驚きも打ち止めだわ)
走りながら前を見ると、また影の魔物が生まれようとしている。
(挟まれた!?)
「飛ぶよ。しっかりつかまって」
青年の言葉を理解する前に、ソフィーは身体がふっと浮かび上がるのを感じた。
(・・・!?)
打ち止まったはずのソフィーの心臓は、今日何度目かの驚きに跳ね上がった。
(身体が・・・浮いている!?!?)

本来あるべきはずの地面を踏みしめようと足を動かすものの、
頼りなほどのフワフワとした感触があるだけ。
その下にはあるべきはずではない町の家々の屋根が見える。

青年に両手を掴まれ、まるでダンスをエスコートされるかのように
身体は宙を舞っている。
そのままゆっくりと下に降りて行き・・・
妹の務めるケーキ屋の二階、ベランダに着地した。
青年は金髪をなびかせ、美しいほほ笑みだけを残してそのまま飛び去ってしまった。
ソフィーは起こった出来事の整理ができず、呆然と立ち尽くすだけだった。

「おねぇちゃん、二階のベランダから現れるって、空でも飛んできたの!?」
妹が驚いて飛んできた。
そう、その通り。多分。でも信じることができない。空を? 本当に? 夢?
・・・魔法!

「私、今まで男の人苦手だったんだけど、あの人・・・」
「おねぇちゃん、そんなにぼーっとしていると、ハウルに心臓を取られちゃうよ!?」
魔法使いはいる。けれども・・・
「・・・ハウルは美女の心臓を取るのでしょう? 私なんか・・・」
呆れた顔の妹としばらく雑談をして、ソフィーは日暮れとともに家路についた。


帽子屋に戻ってドアを閉める。
「おねぇちゃん、ほんとに帽子屋続けるの!?」
妹の指摘が思い出される。
「親に任されたから、じゃないでしょ!? おねぇちゃん自身はどう思ってるのよ!?」
どう思っている、と言われても・・・
父が残し、母が放置しているこのお店。私がやらなかったら誰がやるのよ・・・。
敷き詰められた帽子の棚を眺めがら、あまりに多くのことがあった今日を振り返っていると、
戸口に人の気配があった。

「・・・すいません、ドア、閉めたつもりだったんですが。もう閉店ですので」
戸口に立つ不気味な婦人。黒尽くめの豪奢なコートと深々とかぶったつば広の帽子。
(このタイプの帽子を被る婦人は・・・不敵)
商売柄の帽子の見立てをするまでもなく、婦人の雰囲気、佇まい、
どれをとっても、愛想の良い中年女性には見えない。
明らかに怪しい雰囲気を出している。ソフィーは背筋が凍るのを感じた。

「すいませんが出て行っていただけませんか」
動こうとしない招かざる訪問者を追い立てようとすると、婦人は目を細めた。
「・・・荒地の魔女に楯突こうっていうのかい・・・?」
黒尽くめの婦人が手を伸ばすと、ソフィーは禍々しい影に包まれる。
信じられないことに、ソフィーの顔、両手、全身からみずみずしさが失われ、
あっというまに80年も歳を経た老婆のような風体になってしまった。
魔女の呪いである。

「呪いのことは、誰にも話すことは出来ないよ。ハウルに呪いを解いてもらうんだね」
もう一人の魔法使いの名前を告げると、荒地の魔女はそそくさと出て行ってしまった。
後に残されたソフィーは茫然とするばかりであった。


荒地の魔女ハウルを捕まえようと意地になっていた。
若くて美しいものの心臓は、荒地の魔女の好物である。
心臓は呪術的に非常に力が強く価値がある。
この国一番の、若く才能溢れるハウルの心臓は、荒地の魔女にとって黄金以上に価値のあるものなのである。

しかしハウルも簡単に心臓を渡すわけにはいかない。
荒地の魔女から逃げまわっているわけである。
そのハウルこそ、誰あろう、ソフィーを軍人から助けた金髪碧眼の美青年であった。
ハウル荒地の魔女と、それからもう一人の強大な魔女の手から身を隠すため、
自らの城を「動く城」とし、魔女たちから見えなくしているのであった。

軍隊パレードに出てきたハウルを見つけた荒地の魔女は、千載一遇のチャンスとばかりに
黒い影の魔物たちを放ったが、手もなく逃げられてしまった。
しかし手がかりは残った。ハウルが助けた少女である。
ハウルは何故か知らないがこの少女を軍人から助けた。
では魔女の呪いをかけたらどうだろうか。
助けるかもしれない、助けないかもしれない。そんなことは荒地の魔女としてはどちらでもいい。
ハウルがもし、この小娘にもう一度救いの手を差し伸べるならラッキーである。
居所のわからないハウルの場所を特定し、捕縛することが出来るかもしれない。
ハウルが少女の呪いなどほっておいたら・・・別の手を考えればいいだけのこと。
少女一人が15歳だろうが85歳だろうが、荒地の魔女が頓着することではないのである。


一方の・・・ソフィーの方はたまらない。
突然老婆にされてその運命を受け入れろと言われても首を縦に振れるはずがない。
「呪いはハウルに解いてもらうんだね」
荒地の魔女の言葉以外に取りすがる希望もないソフィーは、
この時点ではどんな人物かもわからないハウルを探して、町を越えた「動く城」の時折現れる荒野へ
旅立っていくのであった。


(つづく)