消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ハウルの動く城/ジブリ(宮崎駿) その6

ソフィーの驚きはこの時ばかりはいかばかりなものであったろうか。
そうと知らずに助けられて、そうと知らずに恋に落ちてしまった、
美しく優しい金髪の青年。
老化の呪いを受けてさすがに失念していたものの、
まさか求めて追いかけてきた恐ろしい魔法使いであるはずのハウルが、
よもや初恋の相手だったとは。

「少女りぼん」とか「なかよし」の展開であったなら
ありえない程の花束をバックにして目の中に銀河系を収めるほどの星をたたえて
「え・・・!」と絶句したところだろう。
そのまま「機動戦士ガンダム」のアムロララァの出会いのシーンのように、
虹色の空に浮かんで空中でお話をする域である。

しかしジブリ
わりと全般的に演出には淡白な映画会社である。
空から少女が降ってきても、突然毛むくじゃらの巨大生物に出会っても、
大げさな表現がないところがかえって面白いのかもしれない。
・・・「耳を澄ませば」では空を飛んでいたな。そういえば。


ハウルに出会って驚くソフィーをよそに、
当のハウルは至って冷静の、いけ好かないナルシスティックな雰囲気である。
木村拓哉の声がまた涼やかすぎて腹立たしい。
実際ハウルは随分すかしたオシャレ野郎で、
マントも派手、タイツもラメ、シャツに至ってはフリルが入っている雰囲気で
及川光博的な雰囲気に満ち溢れている。

相当ナルシスティックな男であることは間違いなく、
それはこの先の事件ごとに化けの皮を剥がされていくのであるが、
さて初対面のこの時、ハウルはソフィーの正体、
15歳くらいの少女であり一緒に空を散歩した少女であることに
気がついていただろうか。
気がついていたところで、それは恋とは遠い所の話だったかもしれない。
この日、この時、ハウルは疲れきって帰ってきており、
あまり物事に驚いたり感嘆したりするような気力は残っていなかったのだろう。


ハウルが出かけて行き、戻ってくるのは、魔法の扉の行き先「黒」である。
港町でも蒸気の王都でもない。
ハウルの出かけていく先、黒い扉の行く先はどこなのだろう。
それはこの後描写されるが、戦争の最前線に通じている。
この映画は戦争へ対するハウルの強い批判精神を、
言葉ではなく行動、表情で描いている。

ハウルが戦争の現場で何をしているのかは最後まで明確には描かれないが、
ハウルなりの方法で戦いに干渉し、何かしらの嫌悪すべき対象に対して
邪魔をしているらしいことはわかる。
映画の描写だけを見ているとそれはある魔法使いに対抗しているだけのように見えるが、
恐らくハウルが戦っているのは、A の国のためでもB の国のためでもなく、
戦争という愚行、権力という横暴に対してなのだろう。
港町の国と蒸気機関の国との両方に住居を構え、
両方の国の人々と交わっているハウルには、
国会の威信、貴族たちの言い分、富という搾取構造がバカバカしく見えていたのだろう。

この物語は、一人の孤独な魔法使いが、二つの大国を相手に戦う、
壮大なサーガ、であるはずなのである。
その一方、物語を進めていくのは、ハウルとソフィーの恋の物語である。
重厚なテーマを裏に秘めながら、あくまで視点はソフィーにすえられているため、
そこに見えるのはハウルという青年のことを徐々に知っていく少女の、
恋が愛へ変わる、非常に個人的な物語である。
そっちがメインテーマかぁ・・・と思ってしまうが、そこは素敵な恋を見せてくれた
ジブリに御礼をいいつつ、
今度はハウル側の、戦う姿も観てみたいな、と少し思うのであった。


さて、だいぶ話しがそれてしまったが、ハウルが帰ってきて
ソフィー婆さんと出会ったところである。
「あなたは誰ですか?」
「あたしゃソフィーばあさんだよ。この城の掃除婦としてきたんだ」
「ふぅん、掃除婦なんていらないんだけれどな」
「こんな汚れた部屋に暮らしていたら病気になっちまうよ。
 掃除婦は汚れた部屋があったら掃除する権利があるんだよ」
「そう・・・掃除もいいけど、大概にしてね」

この「大概に」がちょっとした、
しかし実は物語上重要なドタバタを産むのである。

ハウルはソフィーのポケットに隠されていた紙片の存在を見ぬいた。
荒地の魔女の呪い。それは、ソフィーを利用して
ハウルの居所をつかもうとしていたのである。忘れがちだが。
その探知機となるような紙片をソフィーの衣服に仕込んでいたようである。
「随分古めかしい手を・・・」
ハウルは年寄りの魔法を嘲笑いながら、紙片の魔法を消してしまった。
荒地の魔女は、果たしていつハウルに出会えるのだろう。
この追う、追われる二人の構図も、屈折した愛の形ではある。
この物語には多くの愛が出てくる。
親子愛、家族愛、エゴイスティックな愛、師弟愛、片思いの愛。
その中で、唯一ハウルと、特にソフィーの愛だけが「本物」なのだが、
それもいささかやり過ぎに感じる要素ではあったりする。


いかにソフィーとハウルの愛が本物であり、この物語の中心であるかについて
観覧者は徐々に気がつき始めていく。
荒れ地を杖をつきつつやっと歩いていた老婆が、ハウルと会って以降、
明らかに元気に、若返ってきているのである。
恋は人を元気にするというが、これは荒地の魔女の呪いを、
二人の関係が越えて行きつつあることを示しているのであろう。

まぁ、単に荒れ地の魔女の言ったとおり、
「呪いはハウルに解いてもらいな」の結果として、
近くにいれば解けていくだけだったのかもしれないけれど。

かくして、ソフィーは掃除婦としてハウルの動く城に住み込むこととなり、
マルクルカルシファー相手に、日々を賑やかに過ごすのだった。

(つづく)