消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

僕とネコと離婚物語~その28~

序章



「随分久しぶりね」
「そう…だね。3年半、ってとこかな」
「おめかししてるみたいだけれど、何かあったのかしら」
そういう自分も毛づくろいでおめかししている。
ネコの質問はいつもそうで、聞きたくて聞いてるわけじゃない、興味なんてない。
それでも僕は応える。

「挨拶するときは、やっぱそれなりには、ね」


記録を見なおしてみると、加藤家年表にはこのような記述で残っている。
2010/04:妻(元)不倫発覚
2010/05/26:妻(元)不倫追求、離婚へ
2010/06/21:離婚協議書認証、離婚届提出

随分時間がたったような、
その一方で、まだたったこれしか経ってないような。
年表の後の出来事、2010年6月以降のことを色々思い出してみる。
iPhoneに変えた。
引っ越しを二回した。
お袋が死んだ。
開発部からサポート部へ異動した。
それから、ネコが一匹増えた。

「そうよ。ネコが増えたのよ」
「増えたにゃ」
口うるさい気まぐれなのが増えた。
日々ネコ同士で喧嘩したりじゃれあったり毛玉を吐いたりしている。
おかげでサミシイと思う隙間がなかった、と
周囲の人間には思われていた。思わせていた。
実際はどうあれ。


「実際はどうなのよ」
「どうなのにゃ」

実際はどうだったのか。
「離婚物語」としてブログに書き綴ってきたように、
私は元妻の不倫に気付いてから、その犯罪の証跡を集め、
その不貞を糾弾することに疲弊していた。
正義をなす側が、その正義にモチベーションを持つことができるかどうかと、
意気揚々とそれを行使するかどうかは別の問題である。
正しいことをしていても疲れること、不毛な気持ちになることは往々にして、ある。
特に、これだけ個人的なこととなると。
正義も何もあったものではない。
ごくごく個人的な出来事だった。

だとすれば、笑うしかないじゃないか。
ごくごく個人的に笑うのはしんどかったから
ごくごく公に笑うことにした。

自分の離婚をネタにして人々に笑ってもらう、
ブログに公開してあの異常な出来事、しんどい日々を笑う。
おかげさまでブログは好評を博した。
それはそれでありがたかったけれども、
本当は孤独に疲弊していた。
年表にある通り、4月からはじまり、6月に発表するまで、
誰にも相談せずに孤独の中にいた。


「ネコがいたわ」
「いたにゃ」
「お前はいなかっただろう(チビネコは2年後の6月に着任)」


ある晴れた日に、私はふと思った。
そうだ、プロポーズしよう。
一緒に暮らしていた女性に内緒で指輪を買い、
夜、近所の神社で蓋をあけた。
そしたら指輪が台座から外れて転がっていた。


僕とネコと離婚物語。第二部。「再婚」
その日に至る日々を、書いていこうと思います。