消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド

長らく待たされたゼルダの伝説最新作は、
長い長い冒険、いや「生活」の始まりだった…。


自分のプレイ時間を確認していないけれども、
おそらくは二百時間を超えるプレイ時間でもって、
発売から4ヶ月、
ついにこの傑作、大作をクリアすることとなった。
しかし、認識しているだけでも、
このゼルダの世界に封じられた祠、アイテム、人々からのクエストの、
半分…いや三分の一も終えていない。

主目的である、ゼルダ姫を救うことは出来たけれども、
世界を救うたびとしては、本当に信じられないほどのボリュームが詰め込まれた作品だった。

今、たまたま、昔自分が書いた「ゼルダの伝説トワイライトプリンセス」の感想を読んだところ、
プレイ時間60時間。
その3倍以上の時間、ひたっていたブレスオブザワイルドの世界で、
まだまだクエストが残っているというのは、もう、脅威とさえ言える。
仕事の忙しいサラリーマン、
子供が生まれて育児をしなくてはならない私の時間を、どれだけ奪うことになるのか。

これ以上奪われては困るので、
ゼルダ姫を救った、というこの事実と感動でもって、
このゲームを完了としたいと思う。

あぁ、それにしたって、
このゲームの追加シナリオが、つい先日1つ目、冬にはもう一つ発売されると予告されている。
どこまでのボリュームにするつもりなのか…。


今作、ブレスオブザワイルドは、
元々任天堂WiiU にて発売する、と宣言されていたゲームである。
しかし開発は遅れに遅れ、
多分当初予定から二年以上遅れるに至り、
任天堂としては失敗ハードであったWii U の次のハードがリリースするまで遅れてしまった。

しかしそれは怪我の功名、
任天堂Wii U の失敗を挽回すべく、社運をかけた新ハード、
(そして若くして亡くなった天才社長、岩田氏の夢の結実でもあった)
任天堂Switch を広める起爆剤たる役目を果たす、爆発的ヒット作となったのである。
(と言って、百万本は達成されなかったみたいなので、ゼルダとしては、爆発的ヒットといったところか?)


私自身は、「ゼルダが出ると聞いてたからWii U を買った」、
まぁちょっとした騙され組の一人であったので、
今も世間を大いに騒がせているニンテンドーSwitch ではなく、
Wii U 版の当ゲームを購入、プレイした。
もちろんWii U 版でも内容は同じで、素晴らしいという言葉以外無いゲームであったが、
費やしたプレイ時間と、今後の追加シナリオなんかを考えると、
Switch 版にしておけばよかったかな…なんて少し後悔したくなるものでもあった。
しかししかし、私がいずれSwitch を手に入れるとして、もう一度、Switch 版を購入しても構わない、
そこまで思ってしまうほどの完成度と満足感のあるゲームでもあった。


このゲームは、「ゼルダの伝説オープンワールド版である」
という説明でほぼ全容を現している。
そして正直、オープンワールドというジャンルにおいては、
私は少なくとも、傑作ウィッチャー3 の方が面白い、と思っているし、
他にも傑作と謳われる、グランド・セフト・オート、スカイリム、Fallout などと比べると、
「それらを凌駕して圧倒」というゲームではない。
「比肩する素晴らしい傑作」である。

しかし、雰囲気、という側面でこのゲームを捉えると、
上述のオープンワールドの大作、傑作たちと異なり、
ファンタジックですがすがしくて心地よい、圧倒的な作品となる。
任天堂開発陣をそれを認識していて、だからこそ「オープンワールド」と呼ばず、
「オープンエアー」と当ゲームを呼んだ。
プレイしてみたらわかる。
世界中を旅する、圧倒的なボリュームの大作「オープンワールド」を目指したのではなく、
このゼルダの世界の空気、野生の息遣い、人々の生活、遠くまで見える景色と澄んだ空気、
その「オープンエアー」を作り上げたのが、今回の「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」なのだ。


過去、多くのゼルダの伝説をプレイしてきて、
その偉大なる(大好きな)マンネリに対し、
消してそれらを否定する形ではなく、しかし「ゼルダの当たり前を見直し」た当ゲームは、
わりと一本道だったこれまでのゼルダの伝説に対して、
自由過ぎる空気を与えてくれていた。
最初のチュートリアル的なせまい世界を抜け出し、世界に放り出されたときの、
「なんだこの美しい大自然は!」という感動、
本当に澄んだ空気が鼻に入り込んでくるような、草原の広がりと遠くに見える山々、
その遠くに見える山々のすべてに「行くことができる」と感じる肌触りが、
このブレスオブザワイルドの凄さ、凄み、そして面白さであった。

「…あそこ行ってみたいな」
そう思わせる景色、雰囲気が、あらゆる場面で用意されているものだから、
その寄り道でいったいどれだけの時間を使ってしまったことか。
そしてそれを無駄と感じさせないゲーム性と、美しい景色。
正直、辿り着いたその場所に何もなくても、「来た」ということ、その景色の中に自分が立ってることに、
ものすごい充足感を感じてしまうほどなのである。

これはもはや、現実世界における山登り、ハイキングに匹敵する。
我々はそこに、宝物や強力な武器なんかが隠されて無くても、
富士山の山頂を目指したり、
高尾山で寄り道をしたり、
湖を一周してみたりするのである。
それに匹敵する感動がある、と行ってしまうと、
アウトドア派の人からは失笑を買うかもしれない。
けれども、インドア引きこもりな人間にとっては、事実そういう感動があるのである。

さすがに私も、現実世界で汗水流して登った山頂の景色と、
ゼルダの伝説でコントローラ握ってただけでたどり着いた山の頂上を、
同じ価値というのは言いすぎだ、とは思う。
だけれども、別物ではあっても、感動があるのは、本当に本当なのだ。
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドは、コントローラを傾けて歩いているだけで感動できる、
稀有なゲームなのであった。


私の大好きなウィッチャー3 だったら、そこには今のレベルではかなわない強力な竜がいるかもしれない。
グランド・セフト・オートでは、わかんないけれど、敵のギャングがいるかもしれない。
ゼルダでは、小石が置いてあるだけかもしれない。
ゲームとしてのオープンワールドでは、何かしらの物語と苦労があるものであるが、
ゼルダのオープンエアーは、わりと景色と到達した事実だけで満足できてしまうから、
この感覚はかなり不思議である。
ドラクエとかだったら、「…なんだよ、何もないのかよ! また敵倒しながら帰るのかよめんどい…」
となるところが、
ゼルダのオープンエアーでは、「次はあそこに行ってみたい」と、
景色の先にまた興味深いものが見えているのである。


いささか褒め過ぎている気がするが、
この連鎖のせいでプレイ時間はどんどん伸び、
さしてストーリーもサブクエストも進まない、という事態になるので、
完全に「良い」としてしまうのは問題かもしれない。
それでも、プレイしている満足感としては「良い」のだが。


雰囲気だけの感想を書いてもしょうがないので、
もう少しゲーム内容に触れていく。

基本は、割りとシンプルである。
敵があちこちにいる。
剣を手に入れて敵を殴りつけてもいいけれども。
できればこっそり背後から近づいて不意打ちを喰らわせたい。
あるいは少し離れたところから弱点を弓矢で狙い撃ちしてしまう。
そんな風に敵と戦いながら旅をしていく。
ちなみに、経験値とレベルアップの概念は無いので、敵を避けて進んでも良い。
敵を避けて進めば無駄なしんどさを感じる必要もない。
ただ…敵を倒して手に入る素材と、武器。
素材は売ればお金になるし、武器はよく壊れるのでなるたけ手に入れておきたい。
そんなことから、敵がいても、戦う、戦わないの自由が、ある。

そんな風に敵と戦ったり避けたりしながら世界を旅し、
世界を滅ぼしかねない厄災であるガノン討伐の方法を考えていく。
そのガノンゼルダ姫に封じられてかれこれ百年だそうである。
百年間、封じっぱなしのゼルダ姫。
正直言って発狂しないのが不思議な気がする。
ガノンは、世界の中心にあるお城に封じられているので、
そいつを倒してゼルダ姫を解放するのが目的である。
割りとシンプルである。
実に、昔ながらのゼルダである。
昔から、ゼルダの伝説は、ガノンを倒してゼルダ姫を救う物語なのである。


さて、ガノンを倒すためのネタは、どこにあるのか。
それをなんとなく世界をめぐりながらとらまえていくのが、この物語の全体である。
とにかく寄り道要素が多いのであちこち寄り道をするのであるが、
その寄り道をしていくうちに、ガノンを倒すキーになる人物の噂を聞いたりして、
その四人の人物の課題を一緒に解決していったりする。
そうするとなんとなく、百年前に起こった出来事とか、世界の全体像がプレイヤーに伝わっていく。

この、寄り道がキーになっているゲームと言えるかもしれない。
オープンワールドは何しろ自由なゲーム性であるから、
何をすればどうなるか、という指示無く、とりあえず歩いて行くことになる。
その歩いて行く目的地が全くなければ、何していいかわからないで退屈してしまうのだが、
なんとなく目につく、変わった山や塔や祠や建物に向かっていくうちに、
情報が集まり武器が集まりキーワードが集まっていく、という仕組みになっている。

その仕組みづくりが自然で、プレイヤーの自主性に任されているほど、
プレイヤーは楽しく没入し、なおかつゲームを「やっている」感になるものである。
いくら美しい景色の中で大きな目的のために歩いていても、
事実上マップが一本道では、やらされ感を感じて退屈するのだ(FF13 のこと言ってます)。

このブレスオブザワイルドは、その「誘い」が非常にうまい。
「こっちに来てみればー?」と無理なく嫌味なく誘ってきて、
そこで物語がうまいこと動いてくれる。
しかも順番はプレイヤーの自由だから、
うまいこと話の辻褄があわなきゃならないところを、うまーく補完してくれている。
補完と言うか、疎結合と言うか。


そして、いかにもゼルダらしいギミックがある。
特殊な能力をもつアイテムたちである。
これまでのシリーズと比べると少々少ないようにも感じるが、
プレイしていればそんな比較は忘れて、「世界に影響を与えるアクション」を
自然と楽しみつつずっと旅し続けることとなる。
爆弾で岩を砕き、
磁石で鉄のものを持ち上げて、
落下してこないように不思議な力でビタっと止めて、
水の上には氷を出す。
高い所に登って、グライダーを広げて滑空して降りる。

これまでのゼルダシリーズで定番だった、
ブーメランは武器として存在するので、武器を投げる(敵がしびれて止まってくれれば完璧だったが…)。
ファイアロッド、アイスロッドのように、炎などを出すアイテムも今作では武器扱い。
それから弓矢はわりとよく使うので標準装備。

今作でよかったな~、というアイテムの削減としては、
ビン、虫取り網、釣り竿的なものの廃止かもしれない。
オープンワールドを駆け回っていると、虫がいたり魚がいたりする。
それを見つけて捕まえようとするたびに装備を変更していたら面倒くさい。
最初に今作をやり始めたとき、虫に近づいてボタンを押すだけの仕組みに物足りなさを感じたが、
慌てて装備を変える手間がなくて、突発的な虫対応ができるのが素晴らしかった。
同様、妖精についても、ビン無しで捕まえることができた。
まぁ、一体どこにしまっているのか気になるところであるが。


今作で一番特徴的で、一番最初に引っかかるのは、「よく壊れる武器」だろう。
これまでのゼルダも、
他のゲームたちも、
基本的に強い武器を手に入れたら、嬉しい。
そしてそれを使いつつさらなる強い武器を求めていく。
その「強くなっていくこと」が楽しいものであった(見た目もかっこよくなったりして)。

今作では、残念ながら武器は壊れる。
しかも壊れまくる。
最初期の段階では、敵を斬りつけるのが怖くなるほど、だ。
武器が壊れたら当然代わりの武器が必要となる。
元々、今作では複数の武器を保持できるようになっており、壊れたら次、壊れたら次、と、
使いまわすゲーム性となっている。

最初、これがきつい。

保持できる個数がそんなに多くないことも去ることながら、
次の武器がどこで、どれだけ手に入るのか感覚でわからないので、
今、この敵を倒すのに殴りすぎていいのかどうか、壊れるまで戦っちゃっていいのかどうか、
その判断ができずに困ってしまうことになる。

ある程度ゲームを進めると、
武器となるものは凄まじく豊富に世界に散りばめられていて、
むしろ余って捨てるほどある、ということがわかってくるものの、
それでも、強力な武器は出し惜しみしたくなるし、
壊れてしまったときの切なさは、でかい。

私の場合、ある強力な敵と戦っていて、武器で殴りつけて、
ついに全部の武器を壊してしまった時がある。
武器が、弱すぎたのだ。
今思うと、もっと強い武器を揃えてから挑むべき相手であったが(ライネルだ)、
その時は絶望しか無かった。
何しろ、手ぶらになっても、相手の猛攻は変わらないわけで、
倒すすべを失ってしまっているのだから。

一方で、強力な武器を手に入れたとき、
たまに出会う、大型モンスターに対して叩き込んで、
わりと余裕で倒せたときなんかは非常に嬉しかった。
その武器を大切にしたものだった(当然それでもやがて壊れるわけだが)。


ゲーム当初、おそらく40時間ほどは、
この「武器が壊れる仕組み」はどうも気に入らなかった。
頑張りゲージと同様。
しかしやはり慣れると、このゲーム性を楽しみながら、強い武器を保持しておく楽しみ、
保持しすぎて捨てなくてはならなくなる悩みのカタルシスを、楽しめるようになった。
そして、若干のネタバレだが、後半、この「武器が壊れる」を劇的に変化させる武器も用意されている。
そこからゲーム性も変わって、もっと面白くなった。
…もっと面白くなったから、最初からその武器があれば良かったようにも思うが、
でも多分、苦労の果てに手に入るからこそ、あの感動があったのだろう。



上記のようなゲームシステムと特徴を駆使しながら、
どこまでいっても美しく、興味を惹く景色を眺め、寄り道しながらゲームを勧めていく。
オープンワールドの宿命として、どこにでも行ける代わりに、
行ったら大変な目にあう、ということが往々にして発生する。
強すぎる敵がいてほんとに恐怖を感じながら逃げまくったり、
装備の能力が足りず、寒すぎてダメージ、暑すぎてダメージ、なんて土地に入ってしまったり。

ゼルダの伝説は初代から、レベルの概念が薄い(無い、というには、ハートの強化が矛盾する)。
しかし武器は壊れるし、やはり強い武器は最初のエリアからは遠い世界にあるので、
「まじで敵が強い」という恐怖のエリアも、ウィッチャー3ほどではないが、たまにある。
しかし一方でそういうとき、
工夫次第で倒せるのもまた、今回のゼルダの自由度ゆえの楽しさと言える。

こっそり近づいて後ろから襲えば、ある程度強力にダメージを与えられる。
(かならず即死させられる、わけではないのが残念なところだが)。
敵の周囲に爆弾がオチていることもあるので、それを破壊してみるのも手だし、
弓矢で顔面を狙うと気絶冴えることもできる。

オープンワールドでありながら絶望な状況にも活路が残されているゲームバランスが、
かなり秀逸で面白かった。
それは、難易度がぬるい、ということとイコールではあるのだが、
どうやらそういう声に応えてか、
先日配信の有料コンテンツの中には、ハードモードが含まれているそうだ。
より絶望的な状況が発生しやすくなり、それでも、針の穴のような活路は残されているのだろう。
その緊張感は楽しそうだ。
(私は現在の難易度でも結構ヤバイ目にあっているので、とてもハードモードを試す気にはなれないが)


…ここまで長文を書いてきて、
この調子で、魅力を書き連ねていったらとても終わらないことがわかった。
それだけボリュームがあり、様々な仕組みが高次元で融合している、面白いゲーム、ということだ。



■エンディングを迎えて
少しネタバレも含んでしまうのだが、
エンディングを迎えての感想で締めたい。
本当に、長い冒険が終わり、放心してしまった。

素晴らしい物語と素晴らしいエンディングではあったが、
ただ、このエンディングの前にクリアしたPortal というゲームの、
エンディングの音楽が素晴らしすぎたせいか、
エンドロールの音楽だけは、ちょっと惜しかったな、と思っている。

長い旅路で訪れたエリアの曲はもちろん深い懐かしさと感動があったが…
曲が一本の曲になっておらず、シーンごとで途切れてしまうのが残念であった。
もっとうまくアレンジすること、絶対できたはずである。

そしてそして、
もっと壮大で感動的な音楽にしてほしかった!!
具体的には、ゼルダのメインテーマを、オーケストレーションで流してほしかった!!
その要素はハイラル城のフィールド音楽から既にビンビンに感じさせられていたのに、
エンドロールの音楽が意外なほどそっけなくて、
「え!? 盛り上げていたくせに、使わないの!?」と拍子抜けしてしまった。
絶対もっと盛り上げる編曲、オーケストレーションができたはずだから、
なんとももったいなかった。
まぁ、私の言う編曲はわりと単純な盛り上げ編曲だから、ワンパターンかつありがちではあるのだが…
スカイウォードソードのときなんかは、確か、ものっすごい盛り上げてくれたように思うんだけれどなぁ…


そしてそしてそして、
不満ばかりで申し訳ないが、これが最大の不満。
英傑たちの子孫、もっと活躍させてほしかった。
絶対最後の戦いに参戦するもの、と踏んでたら、まさかの未登場。
エンディングで出て来るだけって、…さみしすぎ。
テバ以外の3人なんか、ものすごい絡んで一緒に苦労した記憶があるのだから、
(正直四英傑よりよっぽど思い入れがある、一緒に旅をしたといえるのだから)
最後の闘いの、神獣の場面でちょっと出てくるくらい、
あっても良かったんではないかなー。
もったいなかったなー。


最後の不満。
エンドロール、
ハテノ研究所と古代研究所だそうよ…そこは出そうよ…
インパだけって、片手落ちでしょう…
進め方によっては出会ってないかもしれない、のはわかるけど、
それは四英傑、子孫も同様なんだから、
エンドロールにからめてほしかったなぁ。


と。
エンディングの話で不満を書きつつ、
けれども作品、物語を損ねる不満ではまったくなかった。
素晴らしいゲームでした、という感想に、いっぺんの疑う余地、なし。
この二百時間…もう一回プレイするのはあまりにも長すぎるけれど、
いつか…もう一度プレイできたら、いいなぁ。
そんな思い出深い作品となりました。

ありがとう、任天堂