消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

森見登美彦「夜は短かし歩けよ乙女」Audible

Audible のライブラリにておススメされていたので、
なんの予備知識もなく読み(聴き)始めた一作。
後で嫁に聞いたところ、受賞歴のある有名な作家だそうで、
実のところAudible は、そういう「名のある大作」を優先して音読化しているのだろう。
それはそうだろう。そういう優先度になるだろう。

「夜は短かし歩けよ乙女」は、
作者森見登美彦出世作で、
Wikipediaによると四作目くらいの作品、
山本周五郎賞受賞、本屋大賞2位。

そういう予備知識なく聴き始めたこの作品はしかし、
すこぶる面白くて夢中にさせてくれた。
物語は、タイトルにある乙女、であろう大学一年生の女子と、
その女子の先輩であり、浅からぬ思いを寄せる男の先輩、
双方の一人称視点によるザッピングシステムで描かれる。
同じ舞台、同じストーリーを両サイドの視点から見て行く、あの手法だ。

面白い、と感じたのはその文体、語り口調である。
最初、この表現はなかなか難しいのだが、文体と描写、主人公たちの語り口調を、
「オタ臭い」
と感じた。
いい印象ではない。
ライトノベルとか…Web文章とか…
そういうノリの文体に感じられた。
オタクを、悪くいうつもりではない、のだが、
「オタ臭い文章」というのは、
何か、自分の知識、知っていること、言い回しの妙をひけらかすような、
やたら気取って賢そうに書き綴る文体だ。
博識さと興味の向く方向をやたらクローズアップし、
時折は「萌え」のようなキーワードを挟んでくる。

その文体に最初、気乗りしなかった自分であるが、
(妻にしてもたまたま全く「オタ臭い」という表現を下した)
ある辺りではたと気がついた。
現代における太宰治芥川龍之介、などなど。
つまり彼らもこんなだったのではないだろうか?
芸術家ぶり、やたらと内省的な文体を使い、
時に舶来の最新の横文字を使い、
知識をひけらかすようにこねくり回す…
そうして、しかし、描こうとしていたのだ。
描けないようなものを、描くべきでは無かったようなものを、
ドロドロに渦巻く若者の欲望とか、
人の生きる醜さとかを。

つまりー、
文体は、彼ら文豪よりは真剣さに欠ける、軽妙な弁士といった感じだけれど、
この作者、森見登美彦は、現代の太宰治然とした、そういう筆者なのではないか、と。

そう感じたら、面白い面白い。
言葉の紬や選び方が軽妙な演劇のように見えてきて、
ザッピングシステムの切り替えと視点の物語的上手さも手伝って、
非常に楽しく読み尽くすことができた。

いつもの事ながら、朗読される声優さんの力もすごい。
主人公の女子大学生の可愛さは、
文章で逐次説明されていたが、
それを見事に声音で体現する愛らしさで、
…ちょっと大学生の割には天然でウブな、わざとらしい可愛さも含めて、
とてもとても、物語に引き込まれたのであった。

Audibleは世界を広げてくれる。
ありがたい次第である。

本日はAudibleユーザーへのインタビューがあったのだけれど、
残念ながらお招きの抽選から漏れてしまって行けなかった。
伺って絶賛したかったのに残念である。