消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

カトウ邸、まだ書き足りないピーマンたち。

俺が子供の頃、ピーマンといえば緑だった。
アマガエル、ミドリガメ、メロンシロップ。
若干強引だが、緑といえば愛らしいものばかり、
見てれば目がよくなるという都市伝説まで生むほどに(いや本当らしいけど)、
それは清楚精錬、善なるもの、ラブ&ピース、良質温泉、といったイメージで塗り固められている。

果たしてそうだろうか?
緑は、そんなに素敵に思い出がいっぱい、だっただろうか?
古いアルバムの中に隠れて思い出がいっぱいなんだろうか?
ガラスの階段のぼるキミはまだシンデレラだろうか?しつこすぎるだろうか?

獅子唐に当たった人なら苦々しくこう言うんじゃないだろうか。
「少女だったと、懐かしく…」やはりしつこすぎるだろうか?

実際俺にとってのピーマン嫌いは、むしろ獅子唐嫌いであるかもしれない。
かじりついたチビピーマン(通称チビーマン)の獅子奮迅の辛さに度肝を抜かれたのは
小学生だったか、その前だったか。
元来辛いものは苦手らしく、大人になった今も中辛より先には進めないでいるが
もしかしたらそれすらも、この「獅子唐事変」がPTSDとして、暗く尾を引いているのが原因ではないだろうか。
そんな衝撃的な出会いを経て「敵」と認識された獅子唐、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の習いで、獅子唐の親玉っぽく見えるピーマンにまで敵対心を燃やすようになったのは
至極当然のことだった、と分析される。

幼心に深く刻まれた「緑=敵」のパブロフ的発想が、大好きなアマガエルまでを巻き込まなかったのは奇跡に近かったけれども
数年後、日本文化と流通の発展・多様化は思わぬ方向を見せ、まさかと思える第三、第四の敵を見出すに至る。

パプリカって、あれ、よくトイレとかにある、ビニール製のおもちゃじゃねぇの!?
食べ物なの!?
スーパーで出会った「ピーマン・レッド」「ピーマン・パンサー」とかいうサンバルカン的新たな刺客の登場には驚いた。
見た目もハイカラ(てか食べ物っぽく見えないし)、形もハイカラ(ビニール製にしか思えん)
しかし味はピーマン。断固ピーマン。
臭いもピーマン。あぁ、ピーマン。
子供の頃は、あんな強烈原色な野菜、みたことなかったのだけれどね。
パプリカっていうらしい。名前までハイカラ。
そんなわけで、日本の流通事情や食文化が変わって、ライバルまで増えました。
まぁ、トマトの方が「敵」だけど。