消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

娘にこの日々のことをなんて語り伝えよう

幼い娘は、日々私に人形の声音(裏声)を使わせるだけで、今世間で何が起こっているのか気づいてはいない。

なぜやたらと保育園を休んで家に居させられるのか。

なぜ残業ばかりで家庭を省みなかった父親が毎日家にいるのか。

 

娘よ。

父はリストラされたわけではないよ。

やる事がなくて毎日君を風呂に入れてるわけではないよ。

世界ではコロナウィルスが猛威を振るい、

オリンピックが史上初の延期措置となり、

東京での感染拡大が危機的状況になり、

都知事が「ロックアウト」とかいうなんかカッコいい横文字を使ってる、

そんな状況は、君が物事を理解する年頃になったら昔話になってるだろうね。

 

教科書にはなんて書かれるかな。

「デマに踊らされた人間どもがトイレットペーパーなどの紙製品買い占めに走って世間が混乱した」かな。

「自分のことさえ良ければいい人間たち(主に目立つのは老人)がマスクを買い占めて感染拡大に協力した」かな。

あるいは「ほんとに自分のことさえ良ければと考える民衆がスーパーから食料を買い占めた」かな。

 

「その当時、日本国民は自らを民度が高い集団だと考えてる風潮がありました。

コロナウィルスパンデミックで曝け出された、

自己責任論と他者を省みない個性偏重の教育は身勝手な国民を、

それこそウィルス感染のように拡散させただけでした。

事態を重く見た良識ある人たちが産んだ規範と活動が、後の世で「助け合おう人はみんなで一つ」運動だったのです」

 

…なんかそんなこと教える道徳の授業とかができてるかもね。

他者を思いやる心、

それから、他者を想像する想像力。

そういったものが教育には重要、なんてことが後の世に伝われば、

この馬鹿馬鹿しい狂乱も悪い見本として価値があると思うんだ。

 

娘よ。

何も他人の犠牲になれと言うんではない。

一番大事なのは自分自身だ。

だけれども、自分自身を守るためには、周りを拒絶するのではなく排除するのでなく、

協力することこそが大事なのだよ、と。

 

小学生くらいになったら、娘に伝えたい歴史。