消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

間違えてる人が多いが、法律とマナーで補完するのだ

どうも、法律に違反していないなら、問題ない、
と考えてる輩が多いように感じる。
ツイッターとか、ネット配信とか、
そういったエリアに多い気がする。
(私がその辺をよくみているからかもしれない)

法律なんてものは、社会、世界の、ほんの断片を切り取ってるに過ぎない。
日々常に新しい事象は生まれ、
状況は変わり、
対策と課題は変化し続ける。

法律が追いつけるわけがない。

基本的に我々が生きてるこの世界、生活を形作り、
秩序あるものを保たせているものは、各自の意識だ。
私はそれを「マナー」と呼ぶと理解しているが、
モラル、かもしれないし、常識、と呼ぶ人も居るだろう。

いずれにしろ、
「明文化されていないけれども他者と譲り合って生きていかなければいけない社会において守るべき規範」
というものは確実に存在し、
それは法律なんていうザルのような穴だらけの制御ではなく、
緻密に、
丁寧に、
人々の「共通認識」として形作られているものなのだ。

しかしいかんせんこの時代、
人々は、想像力をどんどん鈍らせ、他者の存在を認識しなくなってる、、ように感じる。

大事なのは法律ではない。
他者を気遣う心だ。
この世界はお前らだけのものではない。
…ということが、
小中学校、あるいは、家庭教育でしっかりなされなくてはならないのだろうな。

やはり教育、なのでしょう。
教え諭されなけらば、
人間はどんどん退化するのだ。