消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

考察「日本の教育現場と、小泉政権が生んだ現実」②

なぜ、小学生の保護者が、小学校の教育雑費を、
地方自治体の「補助金」に頼るような事態が生まれているのか。

なぜ都内の小学生、4分の1という大多数にこの現実が当てはまってしまうのか。


個人的な理由よりも国家の理由で考えてみよう。
実は、この「小学校教育費の不払い」が激増したのは、ここ四年である。
四年?
そう、小泉政権の任期とほぼ合致する。

ご存知だろう、小泉政権の行ってきた改革はどれも革新的だったが、
一部では「貧富の差を広げる政策」とも言われてきた。
小泉首相本人もそれを受けて「がんばったらがんばっただけの甲斐のある社会、政治」
と公言していた。

頑張ったとは聞こえがいいが、とにかく
「もうけようとして儲ける手段を講じた人間が儲かる社会」
それが小泉政権である。
結果貧富差を拡大して、小学生4分の1が教育費を満足に払えない事態になったのだとしたら。

おそるべき事態である。
出生率は低下、新しい国民が減り、古い国民もまた減っていく、
国力の低下。

この由々しき事態に、せめてと補助金が教育の場に注入される。
大変結構な話だ、それだけ聞けば。

別の側面、即ち「個人の側面」で考えてみよう。
月々25,000程度が払えない親たちの側面である。

大丈夫か?
と素直に思う。
子供が自立するまでに数千万の費用がかかると言われている。
自立をはるか先に控えた小学生の段階で
月々25,000円が払えない家庭の財布は、本当に大丈夫なのか?

大丈夫かわからないのに、何故産んだ?

帰結する部分がある。
犬やネコではない、人間だ。
避妊する方法もある。
命だ、大切だ、だから堕胎は禁止である、
とする宗教もある。
よろしい、では生む行為それ自体も規制せよ。

生みたい、生まれる、育てられない、
冗談ではない。

親の責任、親の資格とはいかなるものであろうか。
結婚した、子供が生まれた、離婚して引き取った、育てるお金がないから援助をもらう。
少し甘えていやしないだろうか?

法律の穴をついて、援助をもらいながら学習塾に通わせてる親はいないだろうか?
それならまだしも、自分たちの遊興費にあててる親は本当にいないだろうか?

教育がすべてではない、しかし教育が人間を育てると言う点で
人々は少なくとも意見が一致していると思う。
成人した息子が殺人事件を起こした際に親が罪を問われることは滅多にない。

しかし育てたのは親であるはずである。
教育したのも。

子供が欲しいと言う時に、人は、
どれだけの覚悟をもって新しく生まれてくる人間と向き合うのだろう。
そして、この国は、どれだけの覚悟を若い(はずの)夫婦に求めるのだろう。

25,000円を、子供の教育のために稼ぎ出すことすら難しくしているこの国の政治は
誰のために運営されているのだろう?