消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

「エルミナージュ2」/PSP ゲーム(その2)

(その1 からの続き)

ウィザードリィエルミナージュは、3D ダンジョン探索型ゲームである。
ある町を拠点に冒険をはじめ、多くのダンジョンへ挑んで行く。
ダンジョンとダンジョンをつなぐ、ドラクエのようなワールドマップは存在しない。
一覧からダンジョンを選ぶと即座に3D のマップが表示される。


まずエルミナージュの楽しさとして、このダンジョンのマップを埋めていくのが楽しい。
エルミナージュのダンジョンは、多分すべて方眼紙で作成されている。
斜めの線とかグニャグニャの道などない。くっきり方眼紙のマス目に沿って線を引けば地図が作れる。
大概はストーリーそっちのけで各ダンジョンのマップ作りに躍起になることとなる。

が、
ダンジョンにおいて奥へ行くほど凶悪凶暴なモンスターが怒涛のごとく襲ってくるようになる。
とてもじゃないけれど、ダンジョンの二階、三階のマップをすぐに埋めることはできない。
あまりに敵が強すぎて全滅寸前の状態で逃げ帰ることになる。


となると、自らを強化してモンスターへ対抗できるようにするしかない。
この「自らの強化」がウィザードリィエルミナージュの最もはまる部分で
ここに楽しさを見出してしまうともう抜け出すことができなくなる。
ストーリーそっちのけで自らの強化に励むことになる。


エルミナージュ2 においては、ちゃんとストーリーが存在する。
大切な神様が封印だかされてしまい、封印を解くために八つの聖なる道具が必要となる。
八つの聖具はどこにあるのかわからないのでドラゴンボールでいうところのスカウターみたいなもので
地道に世界各地を回って探すことになる。
その道具は魔族や悪い神様も狙っているため、見つけたら奪い合いになる。これもドラゴンボール的。

だいたいこんな物語である。もしかしたら間違っているかも知れない。
私がここまでいい加減な解説をするのには理由がある。
「もうそんなのどうでもいいから」となってしまうからである。


「自らを強化すること」
いつの間にか本題がこちらに移ってしまい
ひたすら自らを鍛え強力な武器を手に入れ、ダンジョンのマップを埋めていくことしか
考え無くなってしまうのである。

その過程でたまたまドラゴンボール、らしく聖具が見つかることがある。
特に興味もないのだけれど、一応世界を救う大事な道具だから拾っておく。
奪いに来た魔族とは強制的に戦闘になるので已む得ず戦っておく。


こうして、「片手間に」世界を救う旅をするわけである。
こうなるとあれですね。ボディービル。
何か作業のために筋肉をつけるのではなく、筋肉のために鍛えているような、そんなパラダイム


それはさておき、自らの鍛え方であるけれども
敵を倒して経験値を貯め、ある程度たまるとレベルアップ、という一般的な成長がある。
この「経験値を貯める仕組み」を作ったのもウィザードリィが最初と言われているので
だから原点なのですね。ドラクエ、FF はウィザードリィ方式を取り入れたというわけです。


ドラクエやFF ではレベルが上がると劇的にキャラクターが強くなっていき
これまで倒せなかった敵にも勝てるようになり探索の幅が広がるが
エルミナージュの場合はそう単純に事は進まない。
確かにレベルが上がるとある程度強くはなっていくのだが、どうしても物足りない成長に感じる。

それよりも強力な武器、防具を手に入れる方が「重要」であり「効果的」なのである。


ドラクエ、FF であれば(どうもこの二つとばかり比較してしまうけれど)
次の町に行けば基本的に強い武器が店で売られている。
なのでお金をコツコツ貯めて欲しい武器を手に入れる、という小学生的な慎ましやかな生活をすることになるが
エルミナージュの方ではそうはいかない。
まともに運営している店はひとつだけ。その店の品揃えたるや悲惨なもので、
強力な武器を新たに仕入れる気配すらない。

我々冒険者がダンジョンに向かい、強大なモンスターを命がけでぶちのめし、
落とした宝箱を開けて中身を持ち帰り、そこで初めて新しい武器が手にはいるのである。


ランダム性が高く、努力=結果とは限らない側面がある。
一生懸命探してもしょぼい武器しか見つからないことがある。
何気ない敵が落として言った武器がとんでもなく強力だったりすることもある。
このランダム性が、人をダンジョンへ向かわせる。
「ここにこんだけ強い武器があるよ(売ってるよ)」とはわからないものだから
ひたすら探すことになるのである。


ランダムとは言え、やはり強い敵が強い武器を持っている可能性が比較的高い。
となると「多大な犠牲を払ってでも強力な敵に挑戦する」という目標、目的が出てくる。
仲間六人でダンジョンに潜るのだが、五人までがぶち殺されてもうダメ、というところで
新しい武器防具を手に入れられた達成感といったら。
このあと、五人の「死体」を引きずって出口を必死で目指す、たった一人の緊張感といったら。


これは非常にマゾヒスティックなゲームと言えるかも知れない。
あるいは、「難易度が高い」と表現されることもある。
物語に沿ってだいたい順当に敵を倒していけば、中ボスの強さと程よい仲間の強さで程よく苦戦をするような
そういうタイプのゲーム進行ではないのである。


いきなり強い的に挑戦することもできる。
こちらのHP が100に満たないのに、150近いダメージを一撃で叩き込んでくる敵にすぐさま挑戦することができる。
普通は勝てない。
しかし工夫と犠牲とちょっぴりの運に頼って倒した日には、思わず歓声を上げてしまうのである。
楽しみの質としてはモンスターハンターにも近いかも知れない。
モンハンとはことなり、アクション性は皆無なので、そこは戦術と戦略で勝つことができる。
(モンハンの方は、ボタンを押すコンマ一秒の瞬間が勝敗を左右するので、すさまじい緊張感と集中力だ)


そんな具合に自分と仲間を強化していくと、
いつの間にかドラゴンボール的な宝物を手に入れることができたりする。
なんとなく手に入ったのでなんとなく王妃のところへ持っていくと感謝される。
けれども、「それはさておき」なのである。
それはさておき、強くなりたくなる。そんなゲームがウィザードリィエルミナージュというわけである。



エルミナージュでは、冒険に出るキャラクターを一から作ることができる。
名前、性別、年齢、職業を自分で決める。
六人でひとつのパーティとなるが、その六人全部を自分で生み出すことができる。
よくあるRPG みたいに、主人公だけ決めてあとは物語の過程で仲間になっていく、
というストーリー性はない。


PSP版のエルミナージュ2 では、さらに顔さえ自分で作ることができるようになった。
なんと写真や画像を取り込んで、キャラクターの顔とすることができるのである。
当然、家族や友達、恋人、ペットといった名前と顔写真をキャラにする。
と、ものすごい感情移入度である。
妻の名前で妻の顔で共に冒険ができるのである。


自分よりも妻やペットの方が強くなっていくのは複雑な気持ちである。
自分があっさり殺されてしまうのを横目に、妻とペットがとどめをさしてくれる。
あとから復活の魔法で復活して頭をかいている自分が不甲斐ない。

だがやがて自分が強力な呪文を覚え始め、パーティの主戦力として戦えるようになってくる。
妻とペットの視線が明らかに変わっていく。
使えないお荷物から戦術の要へと成長していく。


ウィザードリィエルミナージュには「転職」という特徴的なシステムがある。
魔法使いは攻撃魔法を覚えるが、防御力がなく腕っぷしも弱い。
しかし転職すれば呪文を覚えたまま「戦士」になれるのである。
こうなってくると宿屋で「穀潰し」と陰口叩かれていた自分も胸を張ってステーキが食えるのである。


そういうストーリーが勝手に出来上がる。
これはプログラミングされた物語ではない。
他の人とも異なる、自分自身(と妻とペット)の物語となるのである。
与えられた物語を楽しむのも、もちろん楽しいものである。
が、勝手に脳内で紡がれていく物語もまた、非常に魅力的なのである。


エルミナージュでは聖なる道具を集めて世界を救うのが目的である。
その一方で家庭不和を解消し、ダメな夫から一家の大黒柱へと成長していく物語ともなるのである。
実に引き込まれる世界ではないか。


80時間ほどプレイをして、聖具は四つ見つけることができた。
単純に考えるとあと四つ、総計160時間の冒険度なる。
長い。
社会人の大切な時間が160時間も浪費されることは重大な問題である。
しかし私はゲーム内の家族を守り、「俺についてこい」と言えるまでの自分に
成長することが面白くて仕方が無いのである。


おかげでPSP を購入したものの、
ほとんどこのエルミナージュ2 とモンハンしかやっていない有様であるが
それを不満に思う要素はひとつもない。
私のキャラは攻撃魔法と錬金魔法をマスターし、盗賊としてレベルを上げているところである。
盗賊がいないと敵の落とした宝箱を開けることが出来ないので、
妻もペットも私のことを非常に大切に守ってくれる。

なぜか分からないけれど宝箱を開けることにやたら失敗するので
若干白い目で見られているのだけれど、それもまた私らしいといえば私らしい。
カトウ家の物語は世界を救う傍らで
地味に育まれているのである。